[青柳有紀]世界の医療は、なぜこれほどまでに不均衡なのか?〜容認することができない「命が平等に扱われていない」という現実
青柳有紀(米国内科専門医・米国感染症専門医)
23歳の時に留学してから、帰国して医学部で学んだ4年間と、卒業後にインターンとして市中病院に勤務した1年間を除いて、ずっと日本以外で生活してきた。
アメリカ、ナミビア、フランス、ルワンダ。どれだけ英語で仕事をしていても、深い部分で思考する時はいつも日本語で、自分の感情を最も正確に表現できる言語があるとすれば、それは日本語以外にない。自分は紛れもない日本人だ。だが、自分がどの国に属しているかと問われれば、「国籍という点」では日本でも「精神的には」それは自分が生を受けた日本なのか、最近は曖昧に感じられつつあるような気がしている。
医師の仕事は、端的に言って、患者の訴えに耳を傾け、彼等について理解し、解剖や生理の知識に基づいて疾患を診断し、治療することにある。患者の社会および文化的な背景を考慮することは当然あっても、この基本的なアプローチが変わることはないし、実際のところ、異なる色の肌を引き剥がせば、解剖や生理は共通しており、私たちはひとつだ。だから、誰かがかつて言ったように、医師という仕事ほど、国籍や人種による差別や偏見から自由になれる機会に本質的に恵まれている職業もないのかもしれない。
その意味で、「国際」医療協力という言葉は、最近、私にとってどこかパラドクスのように響いている。私の日常は、ここに暮らし、若い医師や医学生たちと共に、病んだ人々の訴えに耳を傾け、癒し、その過程で、自らの知識と技術を分け与えることにある。患者や共に働く人々に対する私の共感は、日本やアメリカにいた時に感じたそれと寸分の変わりもないし、自分がこの先どこに行くことになっても変わるとは思えない。私にとって、international(国際的)という概念は、結局のところinterpersonal(人間相互間)と容易に置き換えられてしまう。
だからこそ、世界の医療がこれほどまでに不均衡であること、すなわち、命が平等に扱われていないという現実を容認することができない。それはあまりに大きな社会的不正義であり、個々の力では簡単に跳ね返されてしまう。だが、エルドリッジ・クリーヴァー(黒人解放闘争を展開したブラックパンサー党の中心人物の一人)がかつて述べたように、私たちが問題の解決の一部を担わないのであれば、それは私たちが問題の一部そのものであることと同義なのだ。
ルワンダで共通の目的のために働く私とアメリカ人およびルワンダ人の同僚たちは、この社会的不正義と日々闘っている。
【あわせて読みたい】
- 【滝川クリステルの動画番組】『今、何を考え、どう動くべきか』第二回
- 37兆円の医療費〜高水準の国民皆保険はいつまで続くのか(石川和男・NPO法人社会保障経済研究所理事長/東京財団上席研究員)
- ルワンダの医師の数はアメリカの50分の1、1000人あたり0.052人〜「存在しなかったジェノサイド」で失われた医療を取り戻す(青柳有紀・米国内科専門医/米国感染症専門医)
- 国際社会の●●ランキング〜ロシアが1位で日本が57位(藤田正美・ジャーナリスト/元ニューズウィーク日本版編集長)
- 母親にも学びの機会を(江藤真規・サイタコーディネーション代表)
- 被災者からの声:今、知ってほしい東日本大震災後の福島~行き先となる住宅がない~