アメリカへの多攻撃テロから25年
執筆者:古森義久(ジャーナリスト/麗澤大学特別教授)
「小森義久の内外透視」1100回
■本稿のポイント
・筆者は当時ワシントン駐在の新聞記者として同時多発テロを現地で体験し、日本で使われる「多発」という表現には、テロを天然災害のように扱う違和感があると指摘する。
・事件はイスラム原理主義過激派アルカーイダによるもので、首謀者オサマ・ビンラーディンはアフガニスタンのタリバン政権下で訓練を受けたテロリストらを送り込んでおり、ブッシュ政権はテロ関連容疑者の引き渡し拒否を受けてタリバンへの戦争に踏み切った。
・ブッシュ政権が制定した「愛国者法」の下、2001年から2013年までの13年間に米国内で起きたテロは合計214件・死者61人にとどまり、世界全体(72185件・死者17万人以上)に占める割合はわずか0.3%にまで減少した。
9月11日はアメリカ同時多発テロの記念日である。事件から25年、当時ワシントンに駐在し現地でその瞬間を経験したジャーナリストの古森義久氏は、「多発」という呼称に潜む違和感、事件の経緯、そしてテロ対策が生んだ数字の変化を振り返る。(Japan In-depth編集部)
◆「多発」という呼称への違和感
9月11日はアメリカへの同時多攻撃テロの記念日である。このテロ事件は日本ではまず「多発」という表現が使われているが、2001年9月11日にその攻撃目標とされたワシントンの現地にあって、テロの破壊の猛威を目撃した私としては当初から「多発」という言葉に引っかかる思いを感じていた。
「多発」というと、天然災害の地震や津波が起きる、つまり発生するという印象を受ける。だがテロは発生する現象ではない。特定の人間が特定の意志で大量な殺戮や破壊を起こす人為的な犯罪行為なのだ。だからどうしてもこの発生という言葉に抵抗を感じる。そのネーミングの背景にはやはり日本独自の「力」という現実を直視しない偏向があるようにも思わされるのだ。
さてこの同時多攻撃テロを被害を受けた現地で目前にみた、あるいは体験したという日本人の数も25年が過ぎた現在、かなり減ったことだろう。とくに歴史の証人を気取る意図はないが、それでもなお原体験にはそれなりの意味があるだろう。
◆ワシントンで迎えた「9.11」の朝
2001年9月11日の朝、私はアメリカの首都ワシントンに居住していた。産経新聞のワシントン駐在特派員として、それ以前の毎日新聞ワシントン特派員の時代から通算すると、すでに15年ほどの現地への駐在だった。だからそのテロの日もアメリカでの出来事を新聞を通じて、日本の読者に伝えるという報道職務のためにワシントンに住んでいたのだ。そしてそれから4分の1世紀、つまり25年が過ぎたいま現在も同じワシントンにいて
この回想を書いている。
多攻撃のテロが起きた日はワシントンは早朝から絶好の青空の天気だった。初秋と呼んでもよい快適な気温だった。だがふだんとは異次元の大異変が起きたことはインターネット、テレビなどによりすぐわかった。ホワイトハウスから直線で数キロという私の自宅のある住宅街でもすでに遠方からのサイレンや砲声のような異様な音響が届き、非常事態を告げていた。
ニューヨークの世界貿易センターにテロリストにハイジャックされた旅客機が2機、突入していったことがわかった。ワシントン地区のアメリカ国防総省へ3機目の旅客機が同じように突入したこともすぐに判明した。その報道のために私はワシントン市内中心部にある産経新聞ワシントン支局のオフィスへと急行した。だが中心部はすでに自動車の出入りが一切、禁じられていた。車を停めて、徒歩でオフィスに向かった。
市街では連邦政府の建物や民間の諸施設からも一斉避難が始まっていた。これまで想像したこともない首都中心部の異様事態だった。どのビルからも洪水のように男女の波が出て、市外の方向へと動いていく。だがその人の流れはさすがにアメリカの首都の核心部分の人間の動きだけあって、一定の秩序が保たれていた。ただしホワイトハウスや財務省という要衝の周囲に立つ警備要員はみなライフルや機関銃を誇示するように構えていた。
連邦政府の主要機関の中枢職員たちは大多数が日ごろから定められていた特定の避難場所への集団で撤退していた。そんななかで国務省の関係者から「わが国務省の避難場所を日本の田中真紀子外務大臣が日本メディアに明かしてしまった」という非難の言葉を聞いたことが印象に残った。
ワシントンの中心部からポトマック川を隔てただけの国防総省、ペンタゴンにもテロリストに乗っ取られた旅客機の1機が突入し、乗員全員と国防総省側職員100人以上を一挙に死亡させたことがまもなく判明した。4機目はホワイトハウスへの突入を狙ったとみられたが、乗客の抵抗の結果、ペンシルベニア州の荒野に墜落した。アメリカ側全体で一気に3000人以上が命を失った。この時点で世界が変わったといっても誇張ではない。
◆アルカーイダの犯行とブッシュ政権の対応
テロを実行したのはイスラム原理主義の過激派集団アルカーイダだった。国際基準では完全にテロリスト集団と特徴づけられた存在だった。首謀者はサウジアラビア人の富豪オサマ・ビンラーディンだった。本人が明確な犯行声明を出していた。

写真:Osama Bin Laden on Television
出典:Maher Attar / 寄稿者 / GettyImages
アメリカ側の当時の二代目ジョージ・ブッシュ大統領はこの攻撃に対して戦争行動をとった。この犯行を実施した17人のテロリストはイスラム国家からそれぞれアメリカへ留学生の資格で入国し、飛行機の操縦技術の習得などテロへの準備に数年もの時間をかけていた。アメリカにとっては多様な意味で国家のドアを外部に開けて、多くの人間を歓迎したグローバルゼーションの結果としての大失態だった。
アルカーイダのテロリストたちは同じイスラム原理主義のタリバンが支配したアフガニスタン国内でテロの訓練を積んでのアメリカ入国だった。首謀者のビン・ラーディンもまだアフガニスタン国内にいると推測された。ブッシュ政権はタリバン政権に対してテロ関連の容疑者の引き渡しを求めて拒否された。その結果、タリバン政権への戦争宣言となったわけだ。
ブッシュ政権は自国内の対テロ取り締まりを画期的に強めた。国内治安を保つためには国民の権利や自由をも一部、制限するような「愛国者法」を施行した。自国民の間でもテロに少しでも関連のありそうな人物に対しては当局に電話やメールを傍受できるような権限を与えた。入国管理も一気に厳重にした。
テロとは政治や宗教の目的のために、相手国の国民に恐怖(テラー)を感じさせ、その政府の政策を特定な方向へ変えさせるために、事前に準備をして、一般民間を無差別に殺傷する暴力行動である。
◆数字が示すテロ対策の成果
アメリカ政府の愛国者法に対しては内外での批判も多かった。だが国際テロを減らすというその一義的な目標は達成された。テロ活動がその後のアメリカでは一気に減ってしまったのだ。アメリカ司法当局の発表によると、同時多攻撃テロの2001年から2013年までの13年間にアメリカ国内で起きたテロ事件は合計214件で死者は61人だった。その同じ13年間に全世界ではテロ事件は総計72185件、死者は170000人以上だった。なんと超大国のアメリカでのテロ件数は全世界のわずか0.3%にまで落ちてしまったのである。
ちなみに国際テロが盛んになった1970年代の10年間、アメリカでのテロは合計1470件、死者184人だった。この時期、全世界でのテロは合計9840件、死者は7000人だった。アメリカ国内でのテロは全世界のテロの15%をも占めていたのだ。
この数字から浮かびあがる教訓はやはりテロには軍事面、法律面で断固とした戦いを挑むことのようである。同時にグローバル化には国際テロを招くという負の面もあることがあまりにも強烈に印象づけられたともいえよう。
【よくある質問(FAQ)】
Q1:「アルカーイダ」とはどのような組織ですか?
A:イスラム原理主義を掲げる国際テロ組織です。
Q2:「タリバン」とはどのような勢力ですか?
A:イスラム原理主義を掲げ、当時アフガニスタンを支配していた勢力です。
Q3:「愛国者法」とはどのような法律ですか?
A:アメリカ同時多発テロ後にブッシュ政権が施行した法律で、対テロ対策として通信の傍受権限の拡大や入国管理の強化など、国内の治安維持を目的とした措置を含みます。国民の権利や自由を一部制限する内容であることから、国内外で批判も招きました。
Q4:「グローバリゼーション」とはどのような現象を指しますか?
A:人・モノ・情報などが国境を越えて活発に往来するようになる現象。
Q5:テロの「定義」とは何ですか?
A:政治や宗教上の目的のために、相手国の国民に恐怖を与え、政府の政策を特定の方向へ変えさせることを狙って、事前に準備した上で一般市民を無差別に殺傷する暴力行動を指します。
(本稿のポイント、リード、FAQの文責:Japan In-depth編集部)
トップ写真:World Trade Center Attacked
出典:Spencer Platt / スタッフ / GettyImages
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この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授
産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。

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