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.国際  投稿日:2014/7/28

[青柳有紀]<医師不足問題の本質>日本の定説「一人前の医師になるには最低でも10年かかる」には何の根拠もない


青柳有紀(米国内科専門医・米国感染症専門医)

執筆記事プロフィールWeb

「医師不足」の解消のため、全国の医学部医学科で入学者の定員が増加している。2008年から今年までの増員数は1436名に達し、この7年間で医学科の定員はおよそ2割も増えた。

問題の解決のために医学生の定員を増やすことも重要だが、医学科を卒業した者を可能な限り短期間で優れた臨床医に育成するシステムづくりも同様に考慮されなくてはならない。

私が医師になることを真剣に考え始めていた頃、しばしば耳にしたのが「一人前の医師になるには最低でも(医学部卒業後)10年はかかる」という情報だった。当時、日本の医学部に広がりつつあった学士編入学制度を利用することを考えても、転職後のキャリア形成に学生時代を含めても14、5年もかかるというのはあまりに非効率に思えた。

そこで自分なりに調べてみたのだが、いくら検索しても、納得できる「一人前の医師」の明確な定義はおろか、「10年」の具体的な根拠も見つけることはできなかった。

一方で、米国における臨床医の育成システムのあり方は合理的かつ明解だった。内科医を目指すのであれば、メディカル・スクールを卒業後、3年間の「レジデンシー」と呼ばれる研修プログラムを修了し、その上で、内科専門医試験に合格することで「一人前」の医師および指導医として活動することができる。

また、さらに専門性を深めたい医師は、レジデンシー修了後に、「フェローシップ」という2、3年の専門医養成課程に進み、感染症科や循環器科といった各科の専門医試験に合格すれば専門医としてひとり立ちができるシステムになっていた。

また、これらのレジデンシーおよびフェローシップ・プログラムは、一定の質が担保されるべく、第三者機関によってその教育内容が定期的に厳しく査察されるシステムが確立されていた。キャリア・チェンジのためにその後の数年を投資するという決断に妥協は似つかわしくない。

卒後5年間のトレーニングで内科および感染症の専門医および指導医として世界に出ていけるだけの資質が担保されるのだから、当時の私にとって、日本よりも米国で医師としてのトレーニングを志すのは自明のことだった。

すでに「ひとり立ち」した今になって思うことは、かつて耳にした「一人前の医師になるには最低でも10年かかる」という言説には、全く根拠がないということだ。

実際に、米国での研修時代に出会った有能な指導医には3年間の内科レジデンシーを終えたばかりの若手も少なからずいた(対照的に、3年間で課程を修了できずプログラムを解雇されるレジデントや、半年から1年間も昇格や修了が見送られるケースもしばしば目にした)。

日本では、どんなに有能でも卒後3年のトレーニングで内科医が「一人前」と認知されることはまずないだろう。これは、決して日本人医師の能力自体の問題ではない。人事や職場の人間関係において卒業年度が重視され、年功序列が幅を利かす日本の医療界では、そのような人材育成を可能にするシステムが存在してこなかったからに過ぎない。

そう考えると、「一人前になるには最低でも10年かかる」という言説が、日本において、医師に限らず、料理人をはじめ、いわゆる「職人」とよばれる生業に共通して流布しているのは非常に興味深い。

結局のところ、「一人前になるには最低でも10年かかる」という言説は日本社会では便利なのだろう。どんなに能力や資質に欠けた人間でも、10年もやればそれなりに知識や技術は身につくし、何よりも、自分よりも若く、能力的に明らかに優れた者に追い越される心配がないからだ。

 

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