[青柳有紀]【全世界感染者1億人デング熱】~どうする「顧みられない伝染病」対策~
青柳有紀(米国内科専門医・米国感染症専門医)
・昨年8月、都内の献血センターを訪れた男性がシャーガス病の原因となる寄生虫、クルーズトリパノソーマに感染していることが判明し、この男性の血液が過去に輸血に使われていたことが報告された。(注1)
・今年8月、これまでそのほとんどが輸入感染症例だったデング熱の報告が国内で相次ぎ、デング熱ウイルスに感染した蚊が捕獲された代々木公園が閉鎖されるなど、大きな社会不安を引き起こした。
・10月、ハンセン病患者の裁判を1972年まで裁判所外の隔離施設などで行っていた「特別法廷」の実態について、最高裁が検証作業を開始した。
・同月、輸入症例を除き国内で50年以上にわたり感染報告がない狂犬病について、昨年台湾で野生動物に感染が確認されたことを受け、厚生労働省が国内の犬や野生動物の実態調査に乗り出した。
おそらく、一般の読者でこれら4つの疾患に共通する点を指摘できる人は極めて少数だろう。
「顧みられない熱帯病」(注2)(neglected tropical diseases, NTD)とは、WHO(世界保健機構)が重要視する17の細菌、ウイルス、および寄生虫感染症からなり、現在、世界149カ国でおよそ10億人がこれらの疾患に感染し、毎年53万人以上が死亡している。
これらの疾患のほとんどは、衛生状態が劣悪で、医療資源が乏しい低所得国に集中していることから、直接的な影響を受けることが少なかった先進国では公衆衛生上の脅威となりえず、したがって有効な対策のための国際的な努力が限られてきた。それが、「顧みられない」という形容の所以である。一例をあげるとすれば、1975から1999年の間に登録された1393の新薬のうち、熱帯病治療を目的とするものは1%以下であり、その開発にかけられた予算は全体の0.001%以下であった。
ところが、今年国内での感染報告が相次いだデング熱のように、これまで日本に暮らす多くの人々にとって日常を脅かすものではなかった感染症が、直接的な脅威として意識されざるをえないような事態が生じている。
デング熱は、全世界で約1億人が感染しているとされ、蚊が媒介する感染症としては世界で最も流行している疾患である。デング熱の流行地域は世界的に見ると拡大傾向にあり、例えば、1934年以降国内感染が報告されていなかったアメリカのフロリダ州南部では、2009年からデング熱の感染報告が相次いでおり、現在では流行地域として定着している。
日本に関して言えば、デング熱ウイルスを媒介可能なヒトスジシマカはもともと国内に生息しており、実際に太平洋戦争中には南方からの帰還兵によって持ち込まれたと考えられるウイルスにより、長崎、神戸、大阪など西日本における大流行が報告されている。今年になって国内での感染報告が相次いだ理由としては複数の要因が考えられるが、グローバル化と人々の国境を越えた活動の増加がこうした感染症の再流行の背景にあることは明らかだ。
これは、「顧みられない熱帯病」をめぐる歴史的・社会的文脈が、グローバル化の更なる進行とともに、急速に変化しつつあることを示唆している。今後、デング熱以外にも、国境を越えて新たに熱帯感染症が国内で流行するリスクは高まるだろう。現在も進行する、西アフリカ地域での流行に端を発するエボラウイルス感染症の拡大も、この点において象徴的である。
「顧みられない」ものを「顧みる」ことができるか。デング熱やエボラウイルス感染症の問題は、グローバル・ヘルスがなぜわれわれにとって重要なのかという問いに対する答えを、極めて明確に示している。
注1)輸血による感染例はなし。
注2)顧みられない熱帯病:デング熱、狂犬病、トラコーマ、ブルーリ潰瘍、トレポネーマ感染症、ハンセン病、シャーガス病、アフリカ睡眠病、リーシュマニア症、嚢虫症、メジナ虫症、エキノコックス症、食品媒介吸虫類感染症、フィラリア症、オンコセルカ症、住血吸虫症、土壌伝播寄生虫症
〈参考文献〉
Center for Disease Control and Prevention. Locally acquired dengue: Key West, Florida, 2009-2010. Morbidity and Mortality Weekly Report. May 21, 2010/ 59(19);577-581.
堀田進「デング熱とデングウイルス —熱帯医学の挑戦」日本熱帯医学会雑誌. 第28巻 第4号.
青柳有紀「熱帯医学・寄生虫感染症・旅行医学」・岩田健太郎編著『感染症999の謎』 メディカル・サイエンス・インターナショナル刊.
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