辺野古事故はなぜ起きたのか(下)
目黒 博(ジャーナリスト)
【本稿のポイント】
・同志社国際高校の沖縄研修旅行の企画のプロセスと実施方法は、あまりにもずさんだった。亡くなった高校生の遺族は、深い悲しみと行き場のない怒りを抱く。
・辺野古反対派「オール沖縄」は、参加団体が事故を起こした深刻な事態に直面し、対応をめぐって迷走する。
・「平和教育」に「基地問題」を含めるべきであり、辺野古訪問も重要との意見があるが、安全保障を含めた「基地問題」の複雑さを踏まえた議論は少ない。
まず最初に、辺野古の事故で逝去された故武石知華さんに心から哀悼の意を表します。
本年3月16日に辺野古で起きた死傷事故に関連して、遺族による刑事告訴を受けて、7月27日、海上保安当局は、事故を起こした抗議団体、「ヘリ基地反対協議会」に加え、同志社国際高校を家宅捜査した。
文部科学省の「見解」発表、学校法人が委嘱した「第三者委員会」の「調査報告書」公表、遺族からの告発などを受けて、8月25日には、学校法人同志社の理事長が辞任の意向を示し、同志社国際高校の校長も退任の意向とのニュースが流れた。
さらに、8月27日には、同法人は、教育の中立性などを検証する「第三者委員会」を新設する方針を固めたと、報じられた。
同志社関係の動きは目に見える形で進むが、沖縄では、9月に知事選と統一地方選があるため、県民とメディアの関心は選挙に集中し、事故については「休戦中」という奇妙な状況になっている。
この記事では、事故とその後の経緯を簡単に振り返ったのち、この間に明らかになった当事者や関係者たちの事故に対する反応、そして「平和教育」と「基地問題」の関係を考える。
■事故後の経緯
修学旅行中の高校生が命を落としたことに加え、「基地問題」という政治がからむ事故であっただけに、発生直後には多くの報道がなされた。中には、センセーショナルな、根拠のないコメントも大量に出回った。彼女の遺族は心を痛め、誤りをただすべく、配信サイト「note」によって発信を始める。
5月22日には、文科省が「同志社国際高等学校の研修旅行について(これまでの把握事項と文部科学省の見解)」と題する文書を発表し、主に、「安全管理体制」のずさんさと、政治的中立性」の欠如を指摘した。
7月30日には、遺族が記者会見を行い、「ヘリ基地反対協議会」関係者7名と、同志社国際高校関係者4名を刑事告訴したことを明らかにする。遺族は「この事故を『船の船長ひとりの事故』で終わらせないために、今回の告訴に踏み切りました」と語り、問題の全体像を明らかにしたいとの決意を述べた。
その翌日の7月31日に、「第三者委員会」が「調査報告書」を公表し、同時に記者会見を行う。
一方、沖縄県議会においては、「辺野古沖船舶転覆事故に関する調査特別委員会」の設置をめぐって、「オール沖縄」側が、当初「時期尚早」などとして抵抗した。しかし、遺族の強い意向を踏まえ、賛成に転じざるを得なくなり、全会一致で設置が決まる。
9月13日に、沖縄では県知事選挙と統一地方選挙がある。参加団体「ヘリ基地反対協」の大失態で、激しい批判を浴びた「オール沖縄」陣営の本音は、この問題を棚上げすることだ。逆に、自民党などは、当初「オール沖縄」と知事の責任を厳しく追及したが、事故の政治利用は逆効果になるとの声もあり、とりあえずトーンダウンした。
先述した「第三者委員会」は、高校の沖縄研修旅行の実施状況について、過去にさかのぼって綿密に調査する。連絡が取れる関係者の全員から聞き取りを行うなど、徹底した検証を行った結果、「調査報告書」は、関連資料を含めると200ページを超える長文になった。
ただ、この委員会の調査の対象は、安全管理の問題であった。同志社国際高校の驚くほどのずさんさを指摘したが、研修旅行に辺野古訪問を組み込んだ際の考え方、「辺野古」や「基地問題」に関わる事前学習など、教育内容の検証は、調査の対象外とした。教育内容に関わる問題は、別途、学校法人同志社によって新設される「第三者委員会」によって行われることになる。
■辺野古での船舶転覆事故により亡くなった、高校生の遺族による発信は、多くの事実を掘り起こし、重い問題提起になった
亡くなった武石知華さんの遺族がnoteを使って発信を始めたのは、事故発生から12日後の3月28日だ。事故発生直後から、「不確定な情報をもとに」、亡くなった知華さんの「尊厳を貶めるコメント」や、「同志社国際高校」や同校生徒への「誹謗中傷やデマ」が流されていた。
たとえば、日本保守党代表の百田尚樹氏は、3月18日に配信されたYouTube番組「ニュースあさ8時!」で、亡くなった女子高校生は「基地反対という気持ちで(抗議船に)乗った」と言い切り、「軽率な行動」、「頭のちょっとゆるい」という表現まで使った。
百田氏の発言には猛烈な批判が寄せられ、後に謝罪することになるのだが、辺野古の活動家集団と、辺野古を訪問した高校生を同一視するような見方は少なくなかった。
一方で、「遺族は死亡した高校生とは別人格であり、代弁すべきでない」と、遺族が発信すること自体を非難するジャーナリストもいる。一部活動家の無責任な行動、県知事も含む「オール沖縄」側の鈍い反応、主流メディアの取材・報道不足もあった。
遺族が自ら情報を収集し、問題提起を行わなければならなくなったのは、彼らがこのような不条理な状況に置かれたためだ。
5月22日に文部科学省と京都府が、この事故の調査結果と「見解」を発表したが、実はそれ以前に、遺族は同志社国際高校の沖縄研修旅行に関する情報を、過去にさかのぼって収集し、「note」で公開していた。
遺族の「note」と第三者委員会の「調査報告書」を突き合わせると、さまざまな問題点が浮き彫りになる。
特に、注目されるのは、研修旅行に「辺野古平和コース」が導入された2010年(2009年度)だ。この時期から、辺野古テント村への訪問が始まったという。また、2015年(2014年度)には、生徒が「ヘリ基地反対協」共同代表の話を聞いている。
2018年(2017年度)からは、今回の事故の当事者である故金井創牧師が、研修旅行の冒頭で行われる「開会礼拝」を担当するなど、重要な役割を果たすようになる。さらに、2023年(2022年度)には、故金井氏の提案により、「辺野古ボートコース」が導入されたという。
■「辺野古コース」導入の根本にある考え方に問題はなかったのか
文科省の「見解」は、辺野古移設に関する学習は「政治的活動を禁じる教育基本法第14条第2項に反する」と断じる。この判断に対して、「オール沖縄」支持者だけでなく、多くのリベラル系の学者や教育関係者から、教育現場を委縮させるとの批判が出た。
学校法人同志社が委嘱した第三者委員会が公開した「調査報告書」の別紙資料をチェックすると、事前学習などで使用された教材や学外講師による講演などの内容は、「反基地」「反辺野古」の色彩が濃いことがわかる。
だが、文科省を批判する人たちは、辺野古で事故を起こしたのは、安全性を軽視したごく一部の活動家であり、辺野古移設反対運動には正当性があるとする。政治的に偏っているとの「見解」は、教育への政治介入だというのである。
同志社国際高校の沖縄研修旅行の「総合主題」は、「平和を作り出す人」を育成することであった(『調査報告書』32ページ)。この概念は、「平和運動」にコミットすることを奨励するものだ。
問題は、「平和運動」自体にあるのではなく、どのようなスタイルの運動が許容されるべきかにある。他人(警察機動隊や海上保安官、警備員などを含む)を傷つけたり、地元コミュニティに迷惑をかけるたりする可能性のある、違法な「実力闘争」まで認めるべきかどうか。その基準の判断が重要なのではなかろうか。
「沖縄基地問題」には特殊な事情がある。多くのメディアが激しい抗議行動の参加者を、権力に抵抗し、平和のために「命がけの闘争」を展開する人たちとして、称賛したことだ。また、「基地問題」をテーマとする映画作品や、膨大な数にのぼる「沖縄本」も、活動家を英雄視する傾向がある。
このような情報環境があるため、「平和を作り出す人」を目指して、「沖縄基地問題」を学べば学ぶほど、活動家の立場に共感するようになりやすい。行動の倫理的な基準を明確にしなければ、いつの間にか、「ヘリ基地反対協」のような過激な団体を美化しかねないのだ。
■事故に対する「オール沖縄」関係者・支持者の反応は迷走した
事故を起こした「ヘリ基地反対協」が、「オール沖縄」勢力に参加する団体であるだけに、困惑した同勢力関係者・支持者も少なくない。
たとえば、5月16日に開催された「県民大集会」では、登壇したフォーラム平和・人権・環境行動代表の染裕之氏は、「基地反対の運動がいかに正義であっても、決して独善的であってはならない」と述べている(『琉球新報デジタル版』2026年5月17日)。
また、東京の大学院に通う崎浜空音さんは、「今こそ平和運動の転換期」だと訴え、「若い世代は、デモやシュプレヒコールになじみが」ないとする。これまで運動を主導してきた人たちは「若者の意見」をもっと聞いてほしいとも語った(『琉球新報』2026年6月26日)。彼女のメッセージは、「体を張った」現地闘争への違和感を示唆したと言える。
「沖縄の平和教育を守れ」という大合唱が起きる中で、玉城デニー県知事の発言は迷走する。彼は、文科省の「見解」に「踏み込みすぎ」と反発し、沖縄の「平和教育」は偏向していないと断言する。だが、遺族から「平和教育」が多様性を欠いていたのでは、との疑問が出され、「ご遺族のおっしゃる通り」と軌道修正した。
ところが、のちに、再び主張を変え、「政治的中立だけを強調すると、片方の意見はなかなか上がらなくなるので、多角的に見ることが大切だろう」と述べる。これは、「中立」を目指すと「偏りやすい」との主張であり、論理的に矛盾している。
文科省による「政治的中立」の要求に反発する学者や教育関係者が、一般県民からは「浮いた存在」になっている活動家たちの実態をほとんど知らないことも、事態を複雑にしている。
亡くなった生徒が乗っていた船、「平和丸」の船長の行動もまた不可解である。生き残った彼が共産党員であることが判明しているが、記者会見を開かず、謝罪も公表していない。しかも、「オール沖縄」のリーダーたちはこの問題を見事にスルーする。
天下分け目の知事選を9月に控え、共産党の責任を追及したくないのだろう。大型選挙戦において、断トツの組織力を持つ、この党にダメージを与えてはならない、というのは陣営内の暗黙の了解なのだ。
■「平和教育」に「基地問題」を入れるべきとする意見が数多く出されているが、「基地問題」の複雑さについての議論は低調だ
「平和教育」と「基地問題」の関係は複雑である。本稿では踏み込んで述べることはできないので、以下にポイントのみ記す。
沖縄は、広島、長崎と並ぶ「平和教育」の中心地である。毎年、就学旅行で沖縄戦の跡地を訪れる生徒は年間約30万人におよぶ。
ただし、広島、長崎と違って、沖縄には巨大な米軍基地がある。しかも、沖縄戦終結後、ただちに米軍基地の建設が始まり、沖縄の本土復帰(1972年)後もその多くが残った。日本全体の面積の約6%しかない沖縄に、在日米軍基地(米軍専用施設)の約70%が集中する。
沖縄における「平和教育」関係者たちの多くが、米軍基地問題を組み入れべきとするのは、沖縄戦と、米軍基地の建設と存続が、「連続」して起きた歴史に注目するためだ。
そして、この60年の間に、米国が実行してきた、ベトナム、イラク、イランなどの戦争で、沖縄の米軍基地は軍事拠点としての役割を果たしてきた。つまり、沖縄は米国の戦争に無理やり組み込まれてきたとも言える。
ひとたび東アジアで戦争が起きれば、米軍基地が集中する沖縄はただちに戦域になる。島嶼県であるため、戦争が起きれば逃げ場はないと感じる県民は多い。沖縄は今や、東アジアの安全保障の最前線に立たされている。
ただし、その状況を作り出したのは、日本でも米国でもなく、中国である。ところが、沖縄で「基地問題」を議論する際に、話題になるのは米国と日米同盟であり、中国に関する議論はほとんどない。
このように「基地問題」は、沖縄が背負う「過重な負担」と「東アジアの安全保障」という、次元の異なる要因が複雑にからむ。高校生や高校教員たちが「基地問題」を多様な角度から考えることができるかどうか。容易なことではない。
トップ写真) 故武石知華さん
出典:辺野古ボート転覆事故遺族メモ
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この記事を書いた人
目黒博ジャーナリスト
1947年生まれ。東京大学経済学部(都市問題)卒業後、横浜市勤務。退職後、塾講師を経て米国インディアナ大学に留学(大学院修士課程卒)。NHK情報ネットワーク(現NHKグローバルメディアサービス)勤務(NHK職員向けオフレコ・セミナー「国際情勢」・「メディア論」を担当)、名古屋外国語大学現代国際学部教授(担当科目:近現代の外交、日本外交とアジア、英文日本事情)、法政大学沖縄文化研究所国内研究員などを歴任。主な関心分野:沖縄の「基地問題」と政治・社会、外交・安全保障、日本の教育、メディア・リテラシーなど。

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