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.社会  投稿日:2014/12/30

[青柳有紀]【今、そこにある医療崩壊を直視せよ】~人材不足で地域医療は危機的状況~


青柳有紀(米国内科専門医・米国感染症専門医)

執筆記事プロフィールWeb

 

未来を予想するのは難しい。そして、それ(=まだ起きていないこと)に対する見解を述べるのは、更に難しい。私は臨床医であり、大学の教員であり、占い師ではないからだ。だから、不確かなことに対しては、「わからない」と答えることにしているし、それがとりうるべき最も誠実な態度だと考える。

だが、「既に起きていること」に対しては、ある程度の確信を持って語ることができる。問題は、ある人々にとっては「既に起きていること」が自明でも、その他の多数の人々にとって自明でなければ、それは社会において「まだ起こっていないこと」として認識されつづけるということである。少なくとも私と周囲の人々とっては「既に起こっていること」だが、今年以降、より多くの人々に認識される可能性がある事象として、医療崩壊をあげたい。

私が医学生として日本の大学病院で実習をしていた10年前、ある外科手術の見学をした。それは血管吻合(血管同士を繋ぎ合わせること)を含む大掛かりな消化管の再建術で、朝9時頃に開始された手術が終了したのは、夜11時半だった。驚いたのは、夜9時を過ぎた頃に、器械出し(執刀者に手術器具を手渡す役割)の看護師が勤務規定を理由に帰宅してしまったことだった(当時から看護師の過重労働は問題となっており、そのような規定ができたのだろうと想像する)。

器械出し担当が立ち去ったため、本来であれば第1術者を注意深くサポートする立場の第2術者が器具の受け渡しをすることになり、そのたびに術野から視野を外さなくてはならず、手術の進行がかなり妨げられているように見えた。

県内随一の高度先進医療施設で、なぜ重要な器械出し担当者が手術途中で立ち去らなくてはならないようなスケジュールしか組めないのか—それが絶対的人材数の不足によるものだとしても、またはそのようなスケジュールしか組むことができない管理体制の不備によるものだとしても、それが本来あるべき医療からかけ離れているという点において、当時の私には「既に崩壊した医療」として映った。また、そうした状況が他でもない医療関係者に「仕方のないこと」として受容されているという驚くべき現実が、私が感じた「崩壊感」をより確かなものにした。

看護師の過重労働を防ぐ対策がとられる一方で、しばしば彼等より過酷な勤務環境にある医師たちを守る体制は、当時も今も多くの施設で十分には確立されていない。器械出し担当は立ち去ることができても、医師は患者を置き去りにできない。これまでも多くの報道で指摘されてきたように、36時間以上の連続勤務を日常的に行っている医師はどこにでもいる。

当直後の医師の注意力は、ビール大瓶2本を飲んだ酩酊初期状態と同程度であるとされる。自分や自分の大切な家族が、十分な休養を取っていない医師の診療を受けざるを得ないという日本の医療の現実を前にして、それでもまだこの国の医療が崩壊していないと言えるだろうか。

また、地方中核都市における医師不足は依然深刻である。2004年に導入された医師臨床研修制度は、より優れた臨床教育を希望する新卒医師たちの大学病院離れを加速させ、多くの地方国公立大学附属病院における医師の定員割れを引き起こした。こうした大学病院からの派遣に頼ってきた医療施設では、人材不足を解消しようと大学側が派遣先から医師を引き上げると、以降は人材を確保できず、ただでさえ脆弱な地域医療が一気に危機的状況に陥る。

また、勤務医から開業医への移行は年間5千件にもおよび、地域の中核医療施設の医師不足に拍車をかけている。医師不足の現実を実感したいなら、地方の中核教育病院における院内当直体制を調べてみればいい。100床近い内科病棟でも、せいぜい1人の卒後1年目の研修医(当然のことだが適切な診療を独力で行う能力はない)と、1人の卒後3年目以降の若手の2名程度で対応しているというのが現実だろう。

「既に起こっていること」にもかかわらず、それを現実として受け容れることを拒否すれば、とりあえずは問題を先送りにし、当事者は責任を回避できる。これまで多くのメディアで使われてきた「日本の医療は崩壊寸前」という表現は、そんな姿勢を反映しているように思えてならない。ところが、現実は「寸前」どころか、とっくに崩壊しているのだから、それをまず認めることなしに、問題の解決はありえない。

母国の医療の惨状に、自分も微力ながら貢献したいと、帰国して地域医療に携わることを考えたこともあったが、日本の医師免許は取得していても、2004年に成立した医師臨床研修制度にともない改正された医師法(医師法第16条の2第1項)により、診療に従事しようとするすべての医師に2年間の研修が義務づけられたため、卒後1年で日本の研修に飽き足らず渡米した私は、この条件を満たしていないことがわかった。

同じ医師法の条項には「外国の病院で厚生労働大臣が適当と認めるもので研修した期間の一部については、日本で臨床研修を受けたものとみなす」とする部分があり、かつて所属した病院を通じて厚生労働省および関東信越厚生局に詳細を問い合わせてみたものの、どうやら一度所属した研修施設に戻って再審査を受ける必要があるなど、極めて煩雑な手続きと長い時間が要求されることが判明し、断念せざるをえなかった。日本からこうしてまた医師が1人減ったわけである。

 

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