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スポーツ  投稿日:2019/7/7

パフォーマンス理論 その12 リラックスについて


為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)

 

 

【まとめ】

  • リラックスとは肝心で必要な部分がオンになっている状態で、必要ではない部分がオフになっている状態。
  • 重力と記憶との向き合い方がリラックスへの鍵。
  • 動きの中で何が必要で何が不必要か見い出すために体幹を鍛えるトレーニングが効果的。

 

【注:この記事には複数の写真が含まれています。サイトによっては全て表示されないことがあります。その場合はJapan In-depth https://japan-indepth.jp/?p=46608 のサイトでお読みください。】

 

 

スポーツの世界で頻繁に使われる言葉にリラックスというものがある。確かにトップ選手の動きを見ていると、リラックスしていると感じられることも多い。けれどもリラックスしようとしてもどう獲得するのかの具体的な方法は私にはわからず、時間をかけて自分なりに獲得するしかなかった。

 

よくリラックスは力を抜くことだと思われているが、スポーツは必ず筋肉を動かす身体動作があるので、力を抜くということは肝心なところがしっかりと支え切れていることが条件で、それができていなければ力を抜くことはできない。リラックスは必要十分な支えの結果である。足の力を抜けば転んで身体にダメージがあるのがわかっていて、完全脱力することはできない。

 

リラックスは身体動作におけるMECEだと私は考えていた。MECEは、もれなく、だぶりなくとよく言われるが、これによく似ている。リラックスはただの脱力ではなく、動きに必要な部分のみがオンになりそれ以外がオフになる状態のことだ。身体動作は極めて複雑かつ連動していて、あらゆる身体の部分が動きに介入している。例えば走るという動作一つにおいても、臀筋、ハムストリング、腸腰筋群、背筋群などあらゆる筋肉が稼働する。熟達者はこの中でも必要な局面で必要な部分だけに力を入れることができるが、非熟達者はすでに動きの中で役割を終えた部分や、同時に拮抗した部分に力が入る。新しいスポーツをすると意外な部分が筋肉痛になったりするが、これは必要な筋肉でコントロールできないために補助する筋肉が過剰に稼働してしまうためだと私は考えている。

 

例えば針に糸を通すことを複数回行うと、初心者は疲労感を覚える。もしかすると上腕あたりに疲労を覚える人もいるかもしれない。これは狙いを定めるために拮抗する筋肉両方に力を入れてコントロールしているためだ。足で言えば前面と後面、腕で言えば肩、腕に力を入れることでコントロールしている。熟達者はこのコントロールが中心に近いところで迷いなく行える。だから拮抗した筋肉同士が力を入れ合うということが起きない。必要な部分が必要なだけ動く。そうした動きは連動していて、滑らかに見え、リラックスして見える。

 

私たちに最も大きな影響を与えているものは重力である。少なくとも立位のスポーツにおいては重力とどう付き合うかがリラックスを決める。膝や腰に痛みがあり、姿勢を維持できない時にそのままの状態で歩いてみると、あっという間にどこか別の部分がとても疲れるか痛みを覚えるようになる。重力は常時絶え間なく私たちに影響を与えているために、重力に対し自然な姿勢で向き合えるかどうかがリラックスを決める。姿勢が悪く首が前に出ている人間にとって、僧帽筋がリラックスすることはできない。これは本人の意識というより、重力に対抗するために必要な反応だろう。

 

リラックスを阻害している他の要因に記憶がある。人間は危険に対して恐れを抱くが、危険の範囲より恐れの範囲は圧倒的に大きい。人生のどこかで草むらに蛇がいたことがあったとして、全ての草むらに蛇がいるわけではないが、人は草むらを見て恐れを抱くようになる。この物語に人の身体は左右される。記憶に関しては、また別の章で説明するが、リラックスには重要なことなので書いておきたい。

リラックスに至る過程を私の経験から書いてみると、

①動きを反復し、それほど意識せず行えるようになる

②競技で使えるような速度で行えるだけの筋力がつく

③自分の中心を意識し中心から全てを行える

④意識的にリラックスできる

このようなプロセスをたどる。だから①や②の人間がリラックスをしようとしても、それは難しい。ただし、熟達すると、仮に年齢を重ねて力が衰えてもリラックスできるということはありえる。ただ、こういった人間も一度は十分に反復と力をつけた上でそこに至ったことを忘れてはならない。

人間は不必要な部分に力を入れているかどうかを試すことをあまりしない。そもそも今どこに力が入っているかに自覚的な人間は少ない。また長時間力を入れていると、力を入れていることすらわからなくなる。だから、リラックスの前にまず力が入っていることに気づく必要がある。当たり前のように行なっていた動作で、改めてある部分の力を抜いてみるとむしろもっとうまく動けたということがありえる。もちろんそこの力を抜いてしまったが故に崩れることもある。だがやってみなければ境目がわからないので、力を入れてみたり抜いてみたりしながらどこが本当に必要な部分かを探らなければならない。私はよく転んだり、失敗をしたり、動きを頻繁に変える選手に才能を見出す傾向にあるが、それはそのように実験をする人間は、何が必要で何が不必要か理解するのが早い可能性があるからだ。

リラックスできるようになると何が起きるか。それは早く反応し柔軟に動けるようになる。リラックスとはフリーの状態であり、どのようにも力が入れられるということだ。反対に力が入っていれば一回抜いてからではないと力が入れられない。自分の手のひらで力を入れた状態でパーを作り、なるべく早くグーの状態の移行するのと、力を抜いて手を開いておいて、グーの状態に移行するのでは後者の方が早いと感じる。ではどうやれば力を抜けるかというと、必要な部分が必要なだけ支える必要があり、リラックスしたいがために結果として体幹を使えるような方向に選手の意識が向かう。

ちなみに陸上競技の短距離では高速で動いているように見えて実はそれほど早くない。卓球やバドミントンの方がよほど早い。走るという行為は、早さを競っているのではなく、移動速度を競っていて、いかにリズミカルに自分をドリブルさせるようにするかで速度が決まっている。例えばお風呂に入り、体を前後に揺らすと徐々に揺れが大きくなりいずれはお風呂の水が外に溢れるようになる。しかるべきタイミングで揺らすからそうなるわけで、もしタイミングを早くしても揺れは大きくならず乱れるだけだ。このように身体の中にある揺らぎを捕まえてタイミングよく揺らし続けることで速度が上がり続ける。レース中に急に遅れる選手は、早く動けなくなるというよりもこの身体のドリブルのリズムが掴みきれなくなって乱れているのに近い。身体を自由に揺らがせることができるのも、リラックスの恩恵と言える。

私はリラックスしたいという人間がいればまず適切な立位状態を作りそれを維持できるように、スクワットや体幹に近い部分のトレーニングを進める。その際にまず顎の力を抜いたり、足の指の力を抜いたり、いくつか部分的に力を抜いて遊ぶことを進める。結果として動きの中で何が必要で何が不必要かを体で学べるようになる。遠回りのようだがこうした繰り返しの先にリラックスがある。リラックスは効率化の結果であり、中心がくっきりした場合に生まれる現象だと私は考えている。

 

 

トップ写真)Pixabay Photo by skeeze


この記事を書いた人
為末大スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役

1978年5月3日、広島県生まれ。『侍ハードラー』の異名で知られ、未だに破られていない男子400mハードルの日本 記録保持者2005年ヘルシンキ世界選手権で初めて日本人が世界大会トラック種目 で2度メダルを獲得するという快挙を達成。オリンピックはシドニー、アテネ、北京の3 大会に出場。2010年、アスリートの社会的自立を支援する「一般社団法人アスリート・ソサエティ」 を設立。現在、代表理事を務めている。さらに、2011年、地元広島で自身のランニン グクラブ「CHASKI(チャスキ)」を立ち上げ、子どもたちに運動と学習能力をアップす る陸上教室も開催している。また、東日本大震災発生直後、自身の公式サイトを通じ て「TEAM JAPAN」を立ち上げ、競技の枠を超えた多くのアスリートに参加を呼びか けるなど、幅広く活動している。 今後は「スポーツを通じて社会に貢献したい」と次なる目標に向かってスタートを切る。

為末大

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