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.経済  投稿日:2019/10/26

信用を無残に砕いた関西電力


嶌信彦(ジャーナリスト)

「嶌信彦の鳥・虫・歴史の目」

【まとめ】

・関電役員20人が7年以上にわたり金品を受領。

・関電は元助役の恐喝的発言に金品返せず。社内の検討もしていなかった。

・社長は退任せず。関電の企業管理、ガバナンスに疑問。

 

関西電力の会長らトップ経営陣20人が、福井県高浜町の元助役(故人)から32千万円相当の金品を受け取っていた事実には、唖然として声も出ない。電力会社の企業モラルは一体どうして変貌してしまったのだろうか。賛否の激しい原子力発電を扱う電力会社は、常に身を正し公開性や透明性を求められていたし、原発地域の人々も半ばその体質を信じた上で原発建設を認めてきたように思う。

しかし今回明るみに出た関西電力の報告書を読むと、そんな消費者の思いや信頼を無残に打ち砕いてしまったといえる。今回の報告書は、国税当局の調査に基づいて提出したもので2011年から18年までの7年間にわたる金品の授受が記されている。元助役は77年から87年まで助役職を務めており、退職後は原発工事を請け負っていた地元業者や関電の顧問などにも天下っており、関電と地元業者の間に入って手数料を受け取りながら資金の仲介を行なっていたとみられ、仲介役は7年以上に及んでいたようだ。

報告書の内容は驚くべき事実が並んでいる。

「元助役は町、県、県議会、国会議員に広い人脈を持ち、機嫌を損ねると発電所運営に支障を及ぼす行動に出るリスクがあった」

「長時間にわたって叱責、激高することが多々あった。このため出来るだけ手厚く丁重に対応し、地元企業への発注工事等の情報は具体的規模を示しながら説明した。」

 

■ 役員20人が7年間で3億2000万円受領

「元助役に対しては、当社幹部が多数出席し年始会、お花見会、誕生会等を開催。少しでも助役の意に沿わないと急に激高、発電所を出来なくしてやると言われた」「発電所立地当時の書類は今も自宅に残っており、世間に明らかにしたら大変なことになる」「調査対象者26人のうち20人の役員に現金、商品券、米ドル、金貨、小判等が渡されていた。菓子等の土産物の袋や箱の底に金品を入れて見えないように渡すケースが多かった」「多くの者は金品の返上を申し出たが助役から無礼者、ワシを軽く見るなと激高されるので返品を諦めざるを得なかった」「スーツ仕立券付き生地、商品券等はお礼の範囲として一部消費された」「助役に対応する仕組みはなかった」

 

■ 恐くて返却できず?

一連の関電トップらの発言で目立つのは、恐喝的発言が恐くて誰も面と向かって助役に対応しなかった。にも拘わらず会社役員が一体となって対策を論じ合った形跡がなく警察などに相談することもしていなかった。ひたすら20人の役員が個々に戦々恐々としながら誰にもいわず嵐が通り過ぎるのを待っていたかのようだ。しかもその間に役員の中には一部の金品を使ったり、“いつか返そうと思って預かっていたつもりだった”と弁明するのだから話にならならない。

また、助役の機嫌を損ねると原発の再稼動が出来なくなる――ことなどを考え、強く拒めなかったとも弁明している。住民の安全、消費者の利益などを第一に考えるべき原発企業が、ヤクザでもない町の助役に巨大企業のトップ達が恐れた理由がもう一つ判然としない。まだ他にも隠されている理由があるのだろうか。企業の責任者としての凜とした姿勢がまるで見られず、20人もの幹部が誰一人としてモノを申せない企業体質、コンプライアンスは一体どうなっていたのか考え込まざるを得ない。実は元助役の資金は関電から過去に約20億円超の工事を受注していた関連企業から出ていたようで、いわば工事受注の見返りに元助役を通じて資金を配っていた構図だ。

▲写真 高浜発電所(関西電力、福井県大飯郡高浜町)出典:Wikikmedia Commons; Hirorinmasa

 

■ 進退については口を閉ざす

関電の会長、社長は事件の経緯について資料を見ながら淡々と説明していたが、経営責任については、会見中は「今後二度とこうしたことがおきないよう対策を練って行く事が責任と考える」と最近の経営者の常套句を口にするだけだった。後に会長は責任を感じて10月9日に退任したが、社長は事件の総括が終わるまで社長職に留まると述べている。

関西電力といえば、関西では12を争う大企業で関西の雄であり、企業管理、ガバナンスもしっかりしているとみられていた。それだけに不思議に思うのは、20人ものトップが扱いに困る金品を受け取りながら、企業として役員間で話し合いがまるでなく、管理や返却行為などについては個々のトップに委ねられたままで、企業全体としての危機感をまるで感じとっていなかったことだ。また元助役は関連企業の顧問などの役職についていたようだが、町の実力者とはいえ、そんなに“恐い”存在だったのか、警察や弁護士と相談する知恵はなかったのか、調査は過去7年分に限られていたようだが、それ以前の調査はしなくても良かったのか――など、まだまだ疑問は湧いてくる。

 

■ 株主代表訴訟へ発展か

筆頭株主の大阪市は、株主代表訴訟も考えているというが、原発の扱いを今後きちんとさせるためにも当然だろう。時を同じくして東京電力は危険な津波を予測していたにも拘わらず裁判では無罪となった。福島第一原発の事故対策には今後数十年の月日と莫大な資金を要することがわかっている。

資源のない日本は電力のためにあえて危険とみられる原発建設に手を染めてきただけに原発に対しては国民も企業も神経過敏となるほど気を遣ってきたはずだが、日が経つと徐々に注意が薄らいでくるのだろう。実を言えばわたしも電力会社と何度か話し合いを行なう接待を受けたこともある。最近の一連の事件を知るにつけ忸怩たる思いに駆られる。

トップ写真:関西電力堺港発電所 出典:Wikimedia Commons; KishujiRapid


この記事を書いた人
嶌信彦ジャーナリスト

嶌信彦ジャーナリスト

慶応大学経済学部卒業後、毎日新聞社入社。大蔵省、通産省、外務省、日銀、財界、経団連倶楽部、ワシントン特派員などを経て、1987年からフリーとなり、TBSテレビ「ブロードキャスター」「NEWS23」「朝ズバッ!」等のコメンテーター、BS-TBS「グローバル・ナビフロント」のキャスターを約15年務める。

現在は、TBSラジオ「嶌信彦 人生百景『志の人たち』」にレギュラー出演。

2015年9月30日に新著ノンフィクション「日本兵捕虜はウズベキスタンにオペラハウスを建てた」(角川書店)を発売。本書は3刷後、改訂版として2019年9月に伝説となった日本兵捕虜ーソ連四大劇場を建てた男たち」(角川新書)として発売。日本人捕虜たちが中央アジア・ウズベキスタンに旧ソ連の4大オペラハウスの一つとなる「ナボイ劇場」を完成させ、よく知られている悲惨なシベリア抑留とは異なる波乱万丈の建設秘話を描いている。その他著書に「日本人の覚悟~成熟経済を超える」(実業之日本社)、「ニュースキャスターたちの24時間」(講談社α文庫)等多数。

嶌信彦

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