福島での研究と人材育成
上昌広(医療ガバナンス研究所 理事長)
「上昌広と福島県浜通り便り」
【まとめ】
・超過死亡数に消え行く感染者数、不信だらけの「日本モデルの成功」。
・専門家は何をどこまで分かっているか明示する必要あり。
・坪倉医師、患者目線の活動で成果出した。
日本の新型コロナウイルス対策が迷走している。安倍総理は「日本モデルの成功」と自画自賛するが、国民の評価は芳しくない。
また、安倍総理は「我が国の人口当たりの感染者数や死亡者数は、G7、主要先進国の中でも圧倒的に少なく抑え込むことができている」と言い、専門家会議の尾身茂副座長は記者会見で「肺炎を起こす人はほとんどがCT検査をされ、その多くはPCR検査をされる。死亡者は正しい件数がピックアップされている」との見解を示しているが、東京都の6月11日の発表によると、都内の4月の死者数は1万107人で、過去4年間の平均(9,052人)より1,056人も多い。かなりの超過死亡数が存在することになる。
ところが、このうち新型コロナウイルス感染と診断されているのは104人に過ぎない。死亡数は信頼度の高いデータだ。PCR検査陽性数や抗体陽性率とは比較にならない。多くの感染者が見逃され、そして亡くなっていることになる。
なぜ、こんなことになるのだろうか。私は厚労省や国立感染症研究所、さらに専門家の責任が重いと考えている。エビデンスに基づかず、曖昧なイメージで議論を進めるため、やがてどこまでがエビデンスで、どこからが推測に過ぎないかわからなくなる。その象徴が「三密」や「日本モデル」だ。具体的に何を意味するのかわからない。
写真)尾見茂氏・安倍総理(2020年4月7日安倍内閣総理大臣記者会見)
出典)内閣官房内閣広報室
専門家に求められるのは、エビデンスを提示することに加え、分からないことをはっきり言うことだ。つまり、何がどこまでわかっているかを明示することだ。この区分けが難しい。実態を知るには地道に研究を続けるしかない。世界中が力を注いでいる。
世界保健機関(WHO)の調査によると、5月22日現在、各国が発表した論文数は、多い順に中国1,158報、米国1,019報、イタリア375報、英国312報、フランス182報となる。日本は56報で、韓国や台湾にも劣る。
未知のウイルスとの戦いで、正確な情報を持たないことは致命的だ。ファクトに基づかず、それぞれが自分の思うことを声高に述べれば、神学論争になる。新型コロナウイルスが流行し始めたころ、PCRが必要か否かで国民的議論が起こった。専門家会議の委員を務める押谷仁・東北大学教授は「PCR検査を抑制しているから、日本が感染をこの程度に抑えることに成功している」と公言した。
当初、どんな仮説を抱いてもいい。ただ、その後、無症状の感染者対策にはPCR検査しかないなど、その有用性を示す論文が大量に発表された。実証研究の結果が出たら、それに基づき、柔軟かつ速やかに対応を変えるべきだ。ところが、いまだにこの発言を訂正していない。日本でPCR検査体制の整備が遅れたのも宜なるかなだ。
この状況は福島第一原発事故と対照的だった。確かに、この事故で福島は甚大な被害を蒙った。そして、現在も多くの住民が避難生活を余儀なくされている。彼らの無念さは想像にあまりある。
あまり議論されることはないが、福島第一原発事故は高齢化社会で起こった世界初の事故で、人類が未経験であるという点で新型コロナウイルスと似ている。何が問題となるかは経験しないと分からない。当初、チェルノブイリ事故で問題となった内部・外部被曝が懸念されたが、実際の被害は避難や独居に伴う高齢者の慢性疾患の悪化が甚大だった。このことは、今や世界的なコンセンサスとなっているが、この合意形成は臨床研究の積み重ねによるものだ。
一連の臨床研究をリードしたのは、震災後、福島県浜通りに入り、診療の傍ら、論文を書いた若手医師・看護師たちだ。その代表が坪倉正治医師(38)だ。6月20日、安藤忠雄文化財団が坪倉医師を表彰した。医師ではペシャワールで灌漑活動に従事した故中村哲医師に次いで二人目だ。
写真)安藤忠雄文化財団の受賞式の光景
坪倉氏提供
筆者と坪倉医師の付き合いは長い。最初に出会ったのは2006年だった。当時、彼は東京大学医学部の学生で、従来の医師のあり方に問題意識を抱く若者だった。私は東大医科学研究所に研究室を開設したところだった。
その後、彼との付き合いは続き、2011年4月、彼は私の研究室に博士課程の学生として在籍することとなった。その直前に起こったのが福島第一原発事故だ。
東日本大震災直後、私はご縁があって、立谷秀清・相馬市長と知りあった。立谷氏は医師で病院経営者の優秀な人物だ。私は立谷氏の求めに応じて、若手医師を相双地区に派遣していた。被災地はフットワークが軽い若手医師を求めていた。丁度、その時、私は坪倉氏の携帯電話に連絡した。3月半ばことで、彼は欧州を旅行中だった。電話に出た彼に「福島に行かないか」と伝えたところ、彼は即座に承諾した。これが坪倉氏と福島の長い付き合いが始まるきっかけだ。
それから2020年6月現在まで9年3ヶ月にわたり、現地での診療・研究を続けている。これまでに約130報の英文論文を発表し、その中には世界保健機構(WHO)などの国際機関のガイドラインに引用されたものもある。昨年10月にはフランス政府の招聘で渡仏し、放射線防護・原子力安全研究所(IRSN)の専門家と共同研究を行った。IRSN関係者は「坪倉医師たちの一連の研究が福島原発事故の健康被害の実態を明らかにした」という。これは冒頭にご紹介した新型コロナウイルス対策を巡る議論とは対照的だ。
写真)EGNRS Meeting, Paris
出典)flickr by CBSS Secretariat
坪倉医師たちと、新型コロナウイルス対策の専門家の違いは何だろう。私は患者目線だと思う。
厚労省のクラスター対策班の西浦博・北海道大教授は「(接触減)8割は絶対必要」と主張し、政府は、この推計を元に国民に自粛をよびかけた。ところが、この数値目標は実現しなかった。東京や大阪などの都市部では接触は4~6割減にとどまったことが分かっている。しかるに、新型コロナウイルス感染は終息した。私には空虚な数字遊びに聞こえる。彼らは院内感染で無念の死を遂げた患者や、「超過死亡」として処理されている人々に思いを寄せたことがあるのだろうか。
坪倉医師たちの活動は違った。彼らは住民を支える活動を続け、その結果を発表した。例えば、2012年8月に坪倉医師が『JAMA』(アメリカ医師会誌)に発表した内部被曝に関する論文だ。
相双地区で最初に内部被曝検査を始めたのは南相馬市立総合病院だった。この論文では2011年9月~2012年3月までに同院で内部被曝検査を受けた住民9,498人の検査結果をまとめた。小児の16.4%、成人の37.8%で内部被曝が確認されたが、被曝量の中央値は小児で590ベクレル(範囲210-2,953)、成人で744ベクレル(210-12,771)だった。預託実効線量が1ミリシーベルトを超えたのは1人だけだった。
写真)南相馬市立総合病院
これは福島の内部被曝の実態をはじめて世界に報告したものだ。世界中のメディアが「福島の被曝は問題とならないレベル」と報じ、風評被害対策に貢献した。
これが彼の学位論文となった。私はこの論文を高く評価する。それはインパクトファクター51.2 (2018年)という一流誌に掲載されたからではない。内部被曝に悩む住民を支えるための活動の結果だからだ。
内部被曝検査を立ち上げるのは至難の業だった。その際、中心的役割を担ったのは坪倉医師だった。自衛隊や早野龍五・東大理学系研究科教授(当時)らに助けを求め、試行錯誤を繰り返した。
写真)早野龍五氏
検査開始後は検査に立ち会い、住民の相談に乗ってきた。坪倉医師は「立ち会った検査は10万件、個別相談に応じた住民は数千人を超える」と言う。
今年6月、坪倉医師は福島医大の放射線健康管理学教室の主任教授に就任した。それ以前から特任教授を務めていた関係で、約10名の大学院生を指導する。多くは医師や看護師の社会人大学院生で、診療の傍ら研究を進める。新型コロナウイルス対策で永田町・霞ヶ関の機能不全が顕在化している傍ら、原発事故を契機に福島から新しい医療が生まれようとしている。時代は変わりつつある。変革は辺境から起こる。
トップ写真)福島原発
出典)flickr by shingo kusuda