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.社会  投稿日:2024/7/28

福島県立大野病院事件とある医学部生


上昌広(医療ガバナンス研究所理事長)

「上昌広と福島県浜通り便り」

【まとめ】

・福島県立大野病院産婦人科逮捕事件について、ある医学部生がレポートを作成した。

同事件は稀な合併症を起こした妊婦が手術中に亡くなった事件で、後に日本の医療崩壊を問題提起した。

・福島県の先輩テレビマンが番組で取り上げたことで、医療崩壊が国民に認識されることとなった。

 

2006年に起こった福島県立大野病院産婦人科医逮捕事件を振り返る機会があった。伊谷野友里愛さんという横浜市立大学医学部の学生のレポート作成を手伝ったからだ。

伊谷野さんは同大学の学外研修のカリキュラムの一環として、東京大学公共政策大学院の鈴木寛教授の下で学ぶことを選択した。その鈴木教授から出されたテーマが、「福島県立大野病院事件の関係者をインタビューし、オーラル・ヒストリーとしてまとめること」だった。

私は、鈴木教授(当時は参議院議員)とともに、この事件に関わった。そこで、私に指導のお鉢が回ってきたという訳だ。

4月18日、伊谷野さんは初めて医療ガバナンス研究所にやってきた。群馬県内の高校から現役で、難関の横浜市立大学に合格した才媛だ。笑顔が素敵な、真面目な女性だった。「将来の専攻は産婦人科も考えている」と言う。

彼女を指導するに際し、強調したのは、「現地を見ること、当事者と会うこと、福島の歴史を勉強すること」だった。この事件は、福島という土地の歴史や地域性を知らなければ、その本質が理解できないからだ。

伊谷野さんは、私の指導に忠実に従った。以下の写真は、5月15日に彼女が福島県立大野病院跡地を訪問した時のものだ。

 

写真)伊谷野友里愛さん 5月15日に福島県立大野病院跡地を訪問時

筆者撮影)

同院は、福島県大熊町に位置する。福島第一原発との距離は約5キロ。東日本大震災で甚大な被害を蒙り、その後の福島第一原発事故により、医師・患者はもちろん、周辺住民も避難を余儀なくされた。現在も休診が続いており、福島県は病院を建て替え後、2029年度の再開業を目指している。

伊谷野さんは、精力的に関係者をインタビューした。トップ写真は、5月31日に福島市内に位置する福島県立医科大学を訪問し、竹之下誠一理事長、狭間章博副理事長と面談した時のものだ。彼らから話を聞き、伊谷野さんは「福島県内の医師不足、偏在の深刻さがわかった」という。

本稿では詳述しないが、福島県立大野病院産婦人科医逮捕事件は、前置胎盤、癒着胎盤という稀な合併症が重なったために帝王切開を余儀なくされた妊婦が、その最中に亡くなった事件だ。

福島県警は執刀医を業務上過失致死罪容疑で逮捕した。日本の刑事事件の有罪率は99.97%だ。起訴されれば、まず有罪である。ところが、この事件は予想外の展開となった。2008年8月20日、福島地裁は無罪判決を下し、検察も控訴しなかったため、無罪判決が確定したのだ。

地裁判決で無罪が確定した刑事事件は、2010年に大阪地検が控訴を断念した村木厚子厚労省元局長(当時、後の事務次官)の郵便不正事件くらいだろう。この事件は大阪地検が証拠を捏造していたことが判明しており、無罪判決、控訴断念は当然だ。大野病院事件とは、状況は全く違う。

なぜ、大野病院事件は無罪となったのか。それは世論が変わったからだ。当初、世論は逮捕された医師に批判的だった。手錠をかけられ、連行される医師の姿がテレビで報じられ、マスコミは「医療ミス」と糾弾した。

ところが、最終的には、この事件はたった一人で難しい手術を行わざるを得ない日本の地方都市の医療の構造的問題へと認識が変わり、我が国の「医療崩壊」がコンセンサスとなった。

図は日経テレコンを用いて、主要全国紙における「医療崩壊」、「分娩休止」という単語を含む記事数の頻度を、瀧田盛仁医師(東京大学医科学研究所大学院生、当時)が調べたものだ。2006年から「分娩休止」、07年から「医療崩壊」という単語を含む記事が急増していることがわかる。

 

図)主要全国紙における「医療崩壊」報道状況

出典)瀧田盛仁医師調べ

このような世論の転換に大きな役割を果たした番組がある。それは、フジテレビの『とくダネ!』だ。

大野病院事件の後、有志により「周産期医療の崩壊をくい止める会」という任意団体が立ち上がった。ご縁があり、私は事務局を務めたが、この会の関係者からは、「テレビ、特にワイドショーに問題を取り上げてほしい」と要望された。ワイドショーが報じなければ世論は変わらないからだ。

当時、私が知っていた唯一のテレビ関係者は、『とくダネ!』を担当していた宗像孝さんだった。宗像さんは、東京大学在学中に在籍していた運動会(体育会のこと)剣道部の2年先輩だ。

久しぶりに携帯電話をかけ、事情を伝えると「難しい。被害者がいるのに、医師を擁護することは出来ない」と回答された。当時、医師不足は喧伝されておらず、「医師=金持ち」というイメージができあがっていた。医療事故が起きれば、「医療ミス」で医師を断罪するのが常だった。

ただ、この事件は福島県で起こった。宗像氏は福島県出身だ。地元のことで関心もあったのだろう。彼は「後輩に頼まれた」と、優秀な女性スタッフを紹介してくれた。東大医科研の研究室にきてくれた彼女に、およそ2時間かけて状況を説明した。私の説明を聞いた彼女は「これは医師が可哀想ではなく、この事件をきっかけに産科が崩壊したら、国民が可哀想ですよね。動きます」と言って戻った。

数週間後、彼女から電話があり、「見つけましたよ。放送も決まりました」と連絡があった。4月27日の放送で、この事件が取り上げられ、その中で産科医逮捕をきっかけに、全国の産婦人科医がお産の取り扱いを辞めようとしている現状、およびそのような病院に通院している妊婦の悲痛な声が紹介された。「見つけましたよ」とは、番組で証言してくれる妊婦のことだ。

『とくダネ!』での報道をきっかけに、他局や全国紙も、この問題を扱った。その後の展開は、前述の通りだ。

私は、この経緯を伊谷野さんに話した。そして、『とくダネ!』の意義を説いた。それは、この番組までは、事件は医師に対する不適切な逮捕を医療界が憤るという構造だったのが、これ以降、医療崩壊という国民にとっての問題に論点が転換されたからだ。世論は一気に盛り上がった。

私は、このような世論の転換には、福島という土地の歴史、伝統が大きく貢献したと考えている。彼女に強調したのは、私と宗像さんのご縁だ。私と宗像さんが知りあったのは、大学時代の剣道部で先輩・後輩という間柄だったからだが、これは福島という土地の歴史が影響している。

江戸時代、福島県には会津藩18万石を筆頭に、10の藩が存在した。親藩2藩、譜代7藩、外様1藩という構成だ。幕末、福島県の諸藩は奥羽越列藩同盟に参加し、新政府に敗れる。会津藩を筆頭に冷遇されるが、江戸時代から引き継いだ文武両道の教育は、その後も引き継がれる。その一つが剣道だ。

福島県は剣道が盛んだ。私や宗像さんが東大剣道部在籍中の剣道部師範は、小沼宏至先生だった。小野派一刀流の使い手で、警視庁主席師範を務めた有名人だ。私が、人生で初めてお会いした福島県人だった。

福島県からは、2005年に全日本剣道選手権大会を制した原田悟氏も出ている。原田氏で特記すべきは、県内一の進学校である福島県立福島高校を卒業していることだ。その後、筑波大学に進んだ。

宗像さんも同様だ。福島県立安積高校出身。安積高校は、旧制福島一中を前身とし、福島高校と並ぶ福島県の名門校だ。宗像さんは、高校時代にも剣道部に所属し、インターハイにも出場した。

原田氏、宗像さんともに文武両道だ。この伝統は剣道に限らない。今夏の高校野球福島県大会では、磐城高校と相馬高校がベスト4に進出した。それぞれ旧制第二中学、第四中学を前身とする名門だ。

福島県内の高校生の名門大学への進学率が低いことは前述した。ところが、文武両道の教育を受けた福島県出身者が各地で活躍し、そのネットワークが機能している。大野病院事件は、このようなネットワークが有効に機能した一例だ。

もし、宗像さんがいなければ、大野病院事件はもちろん、我が国の産科医療がどうなっていたかわからない。福島県の教育が、日本の医療を救ったと言っていいのかもしれない。伊谷野さんは、大野病院事件の舞台裏を聞いて、地域の歴史を学ぶ重要性を認識したようだ。今回の経験が、彼女の視野を拡げることに貢献したことを願っている。

トップ写真)左から 福島県立医科大学竹之下誠一理事長、伊谷野友里愛さん狭間章博副理事長挟間副理事長

筆者撮影)




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