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.国際  投稿日:2020/8/26

金正恩の焦り 党大会前倒し


朴斗鎮(コリア国際研究所所長)

【まとめ】

・朝鮮労働党第8回大会、目標未達成にも拘らず開催を前倒し。

・金正恩の健康不安とハノイ米朝首脳会談失敗の払拭がねらい。

・中国との関係構築の為、米大統領選挙結果から新戦略を構築。

 

朝鮮労働党第8回大会の来年1月開催決定については、成果も誇示できない最悪の状況で、なぜ前倒しにしてまで開くのかとの疑問が多い。過去の金日成・金正日時代であればありえない決定であるからだ。

金日成時代では、経済目標未達成の場合は、なんとか説明を付けられるまで党大会を延期したし、金正日時代にいたっては党大会すら開かなかった。しかし金正恩委員長は、「国家経済発展5カ年戦略」の破綻まで認めながら、前倒してまで開こうとしている。

開き直り開催とも思えるものだが、これについては権力が盤石だからとの意見もある。もしそうだとしたら、金日成・金正日時代は、権力が安定していなかったということになる。それは無理な解釈だろう。

やはり権力が不安定化しているからこそ、開き直りとも取れる党大会開催で、「起死回生」を図ろうとしていると見るのが妥当と思える。

そうした視点から今回決定の狙いを探ると、まず第一に、著しく弱まっている金正恩委員長の統治力を、早期に回復させようとの狙いだ。

1990年代中盤に300万人が餓死した状況が目前に迫り、そこに金正恩の健康不安が重なることで、いま金正恩の焦りは普通ではない。

この焦りは、2019年2月の「ハノイ米朝首脳会談の失敗」で、金正恩が手痛い打撃を被ったことから始まった。この流れをなんとか逆転させるために、昨年末には「クリスマスプレゼントを云々し、あらたな核実験や長距離弾道ミサイルの発射をちらつかせて、トランプ大統領を脅したり透かしたりしたが、むしろ2017年を彷彿とする軍事圧力を受け、結局何もできなかった。

▲写真 米朝首脳会談(ハノイ) 出典:Twitter Dan Scavino Jr.🇺🇸@Scavino45

そこで渾身の力を振り絞って、昨年12月末に第7期第5回中央委員会総会を開き、3日間で7時間の演説を行い、自力更生による「全面突破戦」を打ち出し、「世界は我々が保有することになる新しい戦略兵器を目撃するだろう」と再び米国を脅した。しかし、これも徒労に終わった。その後の「新型コロナウィルス事態」で、自らが国境を封鎖せざるを得なくなり、「セルフ制裁」といえる状態を作りさらに傷口を広げた。

昨年末の7時間演説は、心臓疾患をはじめ様々な持病持ちの金正恩には相当こたえたようだ。4月11日以降、金正恩の健康は深刻な状況となり、4月15日には、欠かしてはいけない祖父の誕生日の錦繍山太陽宮殿への参拝も中止せざるを得なくなった。この時期に、多分何らかの集中治療を受けたと思われる。

その後の金正恩の活動は、それ以前とは全く様子が変わった。会議が中心となり、統治力維持で欠かせない現地指導はほとんどなくなった。これでは統治力が弱まるのは当然だ。

 

飛び出した国家情報院院長の「委任統治説」

ところがこうした状況の中で、韓国の国家情報院院長・朴智元(パク・チウォン)氏の「とんでも分析」が飛び出した。金正恩委員長がストレス解消と責任回避のために、金与正をはじめとしたキム・ドクフン総理、リ・ビョンチョル軍需担当副委員長、チェ・ブイル党軍事部長(注:3月から軍政指導部責任者)などに一部権限を移譲する「委任統治」を行っている。だが健康には全く問題はないと韓国国会で報告したのだ。

▲写真 朴智元氏(真ん中) 出典:Flickr; Republic of Korea

いま韓国の北朝鮮専門家の間では、嘆きの声が広がっている。こうした認識が国家情報院全体の認識であるとしたら、国家情報院の劣化は、想像以上に進んでいるとの嘆きだ。

そもそも北朝鮮の政治体制は「首領絶対独裁体制」で、その統治方法は「首領の唯一的領導」すなわち最高指導者の絶対権力による唯一的統治である。それが北朝鮮の最高規範である「党の唯一的領導体系確立10大原則」の要求だ。

したがって北朝鮮では、統治という言葉や「指導」と言う言葉は、金正恩以外は使えない。だから最高幹部が現地で指導を行う時は「了解」、すなわち金正恩に報告するための「調査」との表現を使うのである。いま金正恩に健康不安がある状態で、負担を軽減するために、金与正をはじめとした一部の最高幹部に、責任を明確にして裁量権を拡大することがあっても、金正恩の承認なしで権限を行使する「統治権限」の委任は絶対にありえない。それは首領独裁体制の崩壊をもたらすからだ。

金正恩体制の危機が深まる中で、朴智元氏国家情報院が、何らかの政治的思惑でこうした情報を国会に報告したとするならば、絶対言ってはいけない国家情報院の政治的利用となる。それこそが国政の壟断(ろうだん)といえる。

第二の狙いは、小手先の対策では抑えきれない国民の反発を、党大会という最大のイベントで体制の一新をはかり、抑え込もうとしていることだ。

いま北朝鮮では、住民に対する配給だけでなく、軍人に対する配給さえもできなくなっている。そうした中で国民の金正恩に対する反発が高まりつつある。これまでのように住民の不満を幹部に責任転嫁し粛清する方法は限界に来ている。党中央の幹部だけを集めて指示を出すだけでは問題解決ができなくなっているのだ。全住民を巻き込んだ一大イベントでリセットし、統制を強化する新たに統治体制を組み直して、住民の反発を抑え込むしか方法がなくなっている。

労働新聞を始めとする最近の北朝鮮メデイアが、やたらと金正恩の「人民愛」を強調しているのはそのためだ。金正恩は7月の「老兵大会」で、老兵たちに向かって90度のお辞儀を5回も行った。洪水に見舞われた黄海北道ウンパ郡には、レクサスを運転して訪れるという演出まで行った。そして自身が所有する食料や物資まで与えている。脱北者が江華島から漢江を泳いで帰郷したじた際には、新型コロナ感染の疑いがあるとして開城市を封鎖したが、市民には最小限ではあるが1ヶ月分の生活物資を供給した。

こうした動きは、一般住民の金正恩に対する視線が厳しくなっていることを察知したうえでの動きだ。ほっておけば暴動につながるかもしれないと危惧しはじめているのである。

第三の狙いは、早期開催で全ての経済失政を新型コロナウィルスに責任転嫁しようとしていることだ。

新型コロナウィルス事態がなければ、経済破綻の原因が、核兵器とミサイル開発に国力を消耗させ、国際社会の制裁を受けたとの結論になるのは目に見えている。しかし今はその原因を全て新型コロナウィルスに転嫁できると判断したのだろう。

それは党大会開催の決定書で「過酷な内外の情勢が持続し、予想できなかった挑戦が重なるのに合わせて経済活動を改善することができなかったので、計画された国家経済の成長目標が甚だしく未達成となり、人民の生活が著しく向上しない結果も招かれた」としていることから見ても明らかだ。

第四の狙いは、米国の大統領選挙結果に合わせて新戦略を構築しようとしていることだ。

党8回党大会を来年の1月と定めたのは、国内事情の逼迫もあるが、米国の大統領選挙を見た上で、内外政策を新たに定めようとしていることだ。

▲写真 バイデン候補 出典:Flickr; Chatham House

今金正恩は、起死回生の一手を党8回大会に賭けている。ハノイ米朝首脳会談以後、主導権を失った北朝鮮の命運は、現在米国に握られていると言っても過言ではない。特に米中関係が対立へと向かい、新冷戦と言われている中で、北朝鮮が中国との新たな関係を構築するためにも米国の出方を見守る必要がある。

米国をどの程度まで脅迫し、どこで取引をするのかを見極めることは、金正恩体制の運命を間違いなく左右する。もう一度ハノイでの失敗のような事態を迎えると、今の金正恩体制では持ちこたえられないだろう。

トップ写真:金正恩氏 出典:ロシア大統領府


この記事を書いた人
朴斗鎮コリア国際研究所 所長

1941年大阪市生まれ。1966年朝鮮大学校政治経済学部卒業。朝鮮問題研究所所員を経て1968年より1975年まで朝鮮大学校政治経済学部教員。その後(株)ソフトバンクを経て、経営コンサルタントとなり、2006年から現職。デイリーNK顧問。朝鮮半島問題、在日朝鮮人問題を研究。テレビ、新聞、雑誌で言論活動。著書に『揺れる北朝鮮 金正恩のゆくえ』(花伝社)、「金正恩ー恐怖と不条理の統治構造ー」(新潮社)など。

朴斗鎮

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