金正恩を逆上させたのは母親の出自暴露ビラ?
朴斗鎮(コリア国際研究所所長)
【まとめ】
・北朝鮮の「ゴミ・汚物ビラ」、韓国に「9・18軍事合意」全面停止の名分与える。
・金正恩は、韓国が飛ばした風船のビラが母親高ヨンヒの出自暴露に激怒。
・北朝鮮の国民の間には、金正恩の血統に疑問の声が出始めた。
韓国民間団体の風船ビラに激怒して、5月28日から6月2日にかけて、金正恩総書記が1000個あまりの「ゴミ・汚物ビラ」を韓国全土に飛ばし、2018年9月に文在寅政権と結んだ「9・18軍事合意」全面停止の名分を韓国に与えた。
■ やぶ蛇となった金正恩の「ゴミ・汚物ビラ作戦」
この尹錫悦大統領の裁可を受け、韓国軍当局は4日、陸上・海上・空中緩衝区域(敵対行為禁止区域)での砲射撃など軍事訓練を全面的に復元する手続きに着手した。軍事境界線(MDL)から5キロ以内の陸軍の砲兵射撃訓練と西海(ソヘ、黄海)北方境界線(NLL)一帯の西北島嶼海岸砲射撃訓練が早ければ今月中に再開される見通しだ。
この決定の翌日である6月5日には、早くも米戦略爆撃機B―1Bが飛来し、韓国空軍のF-35A、F-15K、KF-16戦闘機と米軍のF-35Bなどと連合空中訓練を行った。B―1Bは7年ぶりに精密誘導弾JDAMの発射訓練を実施した。また韓国海兵隊は今月中に海上射撃訓練の再開を決めた。
「ゴミ・汚物ビラ作戦」は韓米から新たな軍事圧力を受ける墓穴まで掘ることになった形だが、この後(あと)先も考えずに行った「作戦」は、北朝鮮住民からも不評を買っている。
咸鏡北道のある住民消息筋(身辺安全のため匿名要請)は6月4日、「ここ(北朝鮮)で汚物風船を送ったニュースが拡散している」とし「大部分の人が、汚物風船散布は国家次元で犯した恥ずかしい行為だと非難している」と自由アジア放送に伝えた。
先代の「統一路線放棄」で、一部北朝鮮住民と幹部から「疑問」を持たれている金正恩だが、今回の破廉恥な「ゴミ・汚物ビラ作戦」で、その精神構造まで疑われ始めているのだ。
内外のひんしゅくを買っただけでなく、韓国の「拡声器放送再開」の口実まで与えてしまった金正恩は、その深刻さに気がついたのか、6月2日に急遽「暫定的に中断する」と発表した。しかしこの「作戦」での権威の失墜はこれまでにない打撃となったようだ。
では、金正恩が逆上し、後先も考えずに墓穴を掘った主な要因はどこにあったのだろうか?それは、韓国の脱北者団体が飛ばした北朝鮮向け風船の中に、金正恩打倒のビラとともに母親高ヨンヒが在日同胞出身の踊り子だったことを暴露したビラが含まれていたことと関係していると思われる。
韓国の民間団体が、北朝鮮に飛ばした風船の中には、1ドル紙幣や韓流ドラマなど外部情報が入ったUSB、そして金正恩打倒を呼びかけたビラ等とともに、金正恩の母親高ヨンヒが在日出身の踊り子で父金正日の正妻ではなかったなどの情報が含まれていたという。
金正恩は執権後、この母親問題を解決するために、母親の名前まで変えた「偉大な先軍朝鮮のお母様」なる記録映画を作り、一部その内容を高位幹部だけに公開した。だが、あまりにも否定的影響が大きかったために、その後この映画は回収され、封印された。
ところが今回の韓国からの風船ビラが影響してか、風船ビラが北朝鮮内に舞い降りた直後、それを封印だけでなく削除する命令を下したとの情報が、自由アジア放送(RFA)からもたらされた。
■ ビラ直後「(母親高・ヨンヒの)記録映画を即時削除せよ」の命令
咸鏡北道のある住民消息筋(身辺安全のために匿名要請)は5月26日、自由アジア放送(RFA)に対して「最近、道の保衛部と安全部など司法機関が、多媒体(様々な宣伝媒体:映像、写真、絵を含む)取り締まりに出た」と述べ、「特に総書記(金正恩)の生母と関連した文献映画を回収して削除するよう指示が下された」と伝えたという。この消息筋はさらに「今月中旬、国家保衛省と国家安全省が下達した多媒体取り締まりの非公開、非組織録画編集物取締目録には映画文献「偉大な先軍朝鮮の母」が指定されている」と説明した。
ところがこの記録映画に回収、削除の指示が下されたというニュースが広まるや、住民の関心が集中し、消息筋は「元帥様(金正恩)の略歴(出生と親家系など身元情報)が公式紹介されてこなかったため、この削除指示がむしろ疑惑を呼んでいる」と伝えた。
そして「過去、先代首領様(金日成、金正日)らは白頭血統の純潔性、革命伝統の正当性を主張して権力を世襲し、親家(父方)と外家(母方)の曾祖父母、祖父母、親、兄弟はもちろん指導者の出生と生涯まで公開して愛国的な標本として宣伝したが、三大世襲で権座に上がった元帥様(金正恩)は、自分の略歴をいまだに公開していない」と語ったという。
これと関連して両江道のある住民消息筋(身辺安全のために匿名要請)も5月28日、文献映画「偉大な先軍朝鮮のお母様」は、一時党、政権機関、軍部の高位幹部らを対象に普及したが、2015~16年に一回中断されたことがある、しかし、映像物の普及を中断しただけで、回収または削除するよう指示したのは今回が初めて」と指摘した。
続けて「世襲執権してから12年が過ぎるのに、元帥様(金正恩)の略歴が公開されないため、一部ではベールに包まれた生母に疑惑が持ち上がっている」とし、「元帥様は半分だけの血統ではないかと疑っている」と強調した。
トップ写真:合同水陸両用演習「サンヨン2023演習」に参加する米韓両軍 (2023年3月29日韓国・浦項) 出典:Woohae Cho/Getty Images
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この記事を書いた人
朴斗鎮コリア国際研究所 所長
1941年大阪市生まれ。1966年朝鮮大学校政治経済学部卒業。朝鮮問題研究所所員を経て1968年より1975年まで朝鮮大学校政治経済学部教員。その後(株)ソフトバンクを経て、経営コンサルタントとなり、2006年から現職。デイリーNK顧問。朝鮮半島問題、在日朝鮮人問題を研究。テレビ、新聞、雑誌で言論活動。著書に『揺れる北朝鮮 金正恩のゆくえ』(花伝社)、「金正恩ー恐怖と不条理の統