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.社会  投稿日:2020/10/24

不妊治療の保険適用、弊害多し


上昌広医療ガバナンス研究所 理事長)

「上昌広と福島県浜通り便り」

【まとめ】

・菅総理は全世代社会保証検討会議で、不妊治療の保険適用認める議論開始。

・不妊治療の保険適用で収入が減ると考える産婦人科医多く、医師会保険適用に慎重。

・保険適用外にも不妊治療希望者の自己負担軽減について議論すべき。

「不妊治療が保険収載されると、何がどう変わるのでしょうか」

福島県で働く女性医師から聞かれた。

彼女は、日常診療で不妊治療について質問を受けることが多いらしい。東日本大震災から9年が経過し、当時、10代だった人たちも結婚・出産適齢期を迎えた。徹底した被曝対策が功を奏し、大部分の住民では、内部・外部被曝の影響は皆無あるいは軽微だが、色々と気になることがあるのだろう。子どもを希望するのに、妊娠しなければ、不妊治療を考える人もいるだろう。彼らにとって、管政権が打ち出した不妊治療への健康保険の適用は朗報だ。今回は、この問題を考えてみたい。

少子化・人口減が進むわが国で、少子化対策は喫緊の課題だ。管総理は、自分自身が議長を務める全世代社会保障検討会議で、不妊治療の保険適用を認める議論を始めた。早ければ2022年度の実現を目指し、年内に工程をまとめる予定だ。

管政権の方向性に、私は賛同する。なぜなら、不妊症は病気だからだ。詳細は省くが、世界では、癌、心臓脳血管疾患とともに不妊症は「21世紀の3大疾患」と見なされている。美容整形やアンチ・エイジングなどとは、区別して考えられている。病気であれば、その治療費は健康保険でカバーするのが道理だ。

健康保険に適用されれば、医療費は保険組合が負担する。従来は患者から徴収していた治療費の大部分を保険組合が支払うことになる。取りっぱぐれなく、医療機関にとっても有り難いはずだ。

ところが、必ずしもそうではないようだ。10月4日、日本経済新聞は「管改革に日本医師会が抵抗 オンライン診療や不妊治療」という記事を掲載し、中川俊男・日本医師会会長の「一気に保険適用ではなく、十分な合意形成をしながら進めて欲しい」というコメントを紹介している。

なぜ、日本医師会が反対するのだろうか。それは、不妊治療が保険適用されると収入が減ると考える産婦人科医が多いからだ。なぜ、だろうか。それは、我が国の国民皆保険制度は、治療行為の値段である診療報酬を厚労省が全国一律に決めるからだ。東京の銀座もへき地も同じ値段だ。地方は利益を得るが、都心部では赤字になる。

さらに、厚労省は保険診療と自費診療の併用を禁止している。これを混合診療の禁止という。もし、併用したければ、保険診療の分まで全額自費で支払わねばならない。厚労省は、混合診療を規制する目的として、悪徳医師が情報格差を利用して患者に不適切な治療を強いるのを防ぐことなどを挙げているが、そのようなケースばかりではないだろう。    

混合診療は本来、運用次第で患者の選択肢を増やす手段になる。医療が日進月歩で不確実であることを踏まえれば、むしろ一律に禁ずる方が弊害は大きい。厚生労働省が「正しい治療」を決めることはできないし、どこまでリスクをとるかは患者により異なる。治療は時間との勝負であり、柔軟に対応しなければ患者ニーズに応じられない。

ただ、現状では、このような意見は通らない。2011年10月25日、腎臓癌患者の清郷伸人氏が、保険診療のインターフェロン療法と保険外診療の活性化自己リンパ球療法の併用を希望して起こした裁判で、最高裁(大谷剛彦裁判長)は、混合診療の禁止を妥当とする判決を下した。その理由として、「保険医療の安全性や有効性の確保と財源面からの制限はやむを得ない」と述べた。

実は、日本は世界でもっとも不妊治療の盛んな国で、レベルも高い。少し古くなるが、国際生殖補助医療監視委員会が2018年に発表した報告によると、2011年に実施された生殖補助医療の回数は約27万件で、2位の米国の約12万を大きく引き離してトップだ。その数は、その後も増加し、2018年には約45万件に達する。

▲写真 お腹の中の我が子を慈しむ様子(イメージ) 出典pikist

わが国の不妊治療が世界最高水準なのは、健康保険が適用されないからだ。医療機関が独自に価格を設定できるため、患者満足度を上げれば価格に転嫁できるし、収益を増大すれば最新機器を購入でき、専門スタッフも雇用できる。同時に、不妊治療の専門医が増え、医療機関間の競争を通じてサービス内容・料金が多様化した。最近では成功報酬型料金体系を取り入れているクリニックが増え、患者から歓迎されている。

不妊治療は儲かった。だからこそ、こんなに数が増えた。ところが、最近はそうでもない。総合情報誌『選択』2019年10月号の「中国「不妊治療」一千万人の壮絶」によれば、日本の不妊症治療クリニックの数は、2000年の511から2010年には591に増加したが、2016年には604と伸び悩んでいる。近年は倒産するクリニックもあるらしい。厳しい競争の結果だ。

近年は不妊治療クリニックの収入源となってきたのは、一人っ子政策が終わり、二人目の子どもを希望する中国人の受け入れだった。前出の記事には、中国人ブローカーの発言として、「(その価格は)日本人の3割増しから2倍くらいで、100~150万円が相場」と紹介している。このような中国人特需も、新型コロナウイルスの流行で終わってしまった。

この状況で、不妊治療が健康保険適用となればどうなるだろうか。不妊治療を健康保険で支払った場合の費用の総額は1000~1500億円と推定されている。医療費抑制が喫緊の課題である政府は、価格を抑制するだろう。前述した理由で、混合診療は禁止されている。多くの不妊治療クリニックが閉院に追い込まれるだろう。残った不妊治療クリニックも、価格が統制されれば、患者数をこなすしかなくなる。そうなれば質が下がる可能性が否定出来ない。

今回の不妊治療の保険適用は、日本の不妊治療システムを崩壊させるリスクを抱えている。繰り返すが、管政権が不妊治療を希望するカップルを支援する姿勢に私は賛成だ。ただ、現状で保険適用することが、どのような結果を及ぼすかは、もっと考えるべきだ。保険適用するなら、混合診療の規制を緩和すべきだが、最高裁判決があり、また価格統制権限を失う厚労省や、その恩恵を蒙る日本医師会との全面戦争になる。管政権に、そこまでの覚悟はないだろう。そう考えれば、現状での保険適用は弊害が多い。不妊治療希望者の自己負担の軽減のためには、保険適用以外にも希望者への経済的支援など様々なやり方がある。いまいちど、患者視点に立ち、見直すべきである。

トップ写真:生まれたばかりの新生児(イメージ) 出典:pxfuel




この記事を書いた人
上昌広医療ガバナンス研究所 理事長

1968年生まれ。兵庫県出身。灘中学校・高等学校を経て、1993年(平成5年)東京大学医学部医学科卒業。東京大学医学部附属病院で内科研修の後、1995年(平成7年)から東京都立駒込病院血液内科医員。1999年(平成11年)、東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。専門は血液・腫瘍内科学、真菌感染症学、メディカルネットワーク論、医療ガバナンス論。東京大学医科学研究所特任教授、帝京大学医療情報システム研究センター客員教授。2016年3月東京大学医科学研究所退任、医療ガバナンス研究所設立、理事長就任。

上昌広

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