「日本改鋳」続:身捨つるほどの祖国はありや2
牛島信(弁護士・小説家・元検事)
【まとめ】
・日本のバブル崩壊後の失敗は「株の持ち合い」が原因。
・米中対決は長引く見通し。
・日本企業は後継者決定をオーナー会社方式から上場会社方式に変革すべき。
日本改鋳
日本に生まれて、まあよかった。
私の恩師である平川祐弘氏の本のタイトルである。私の実感でもある。しかし、それでめでたしめでたしと終わりになるかどうかは分からない。令和3年2月現在で私がそうした感想を抱いているというだけのことであって、誰にも先のことは分からない。
実のところ、日本は今日までに既に30年間を失っている。その先も、もっともっと失い続けるかもしれない。なんとも分からない。米中の対立を思えば、そうした世界での日本の未来像への不安は尽きない。
そもそも、なにが理由で日本は30年間を失ってしまったのだろう?
いろいろな説を読み聞きした。
最近になって、どうやら戦後日本の成功の原因そのものが、30年間を失った原因なのではないかと思い始めている。例のジャパン・アズ・ナンバーワンである。敗戦後の焼け跡から、東京の土地でアメリカ全土が買えると言われた時代、あの時代までである。
この良き時代である戦後の成功は、株の持ち合いという基礎の上に載っていたように私には思えてならない。これがバブルまでの成功の原因であり、その後の30年間を失った原因でもあると思うのである。
株の持ち合いとは、経営者に疑似オーナーたる地位を与える手法である。我が社は御社の株主になり、御社は我が社の株主になる。しかし、株主としての権利行使はすべてそれぞれのトップ経営者に任せる。株主名簿に株主として登録されているそれぞれの会社は、株主としての議決権行使を、実質的には、しない。お互い様。持合いとはうまく表現したものである。
もちろん、会社法の実質的な潜脱である。しかし、後ろには大蔵省と銀行が付いていた。怖いものなどない。そのため事務的な辻褄合わせが、株主総会のたびごとの会社総務部の担当者個人への株主たる会社からの委任状の交付であった。総務部の担当者は、形式的には委任を受けた者としての権利義務にしたがって議決権を行使する。なに、実質は会社の上司、すなわち社長であり株主総会の議長である疑似オーナーの指示のとおりに議決権を行使するのである。その隠微な世界、ごっこの風景には、総会屋という怪物まで住んでいた。
私は、先日、Commonwealth Clubというサンフランシスコ所在のフォーラムでインタビューを受けることになり、準備の一つとして自分の最初の小説、『株主総会』を読み返してみた。作家として、また弁護士としての活動について聞きたいという話だったからである。
▲画像 『株主総会』 牛島信 著(幻冬舎文庫)
前回にも書いたことだが、そこには、正に、疑似オーナー社長の光景が生々しく描かれていた。社長だった男は、社長を首になったあとになって会社へ行こうとしてハイヤーを呼ぶことになる。車と秘書と個室が役員の三種の神器だといわれた時代が確かにあった。
そんな光景を微に入り細にわたって書くことが私にできたのは、少しも不思議ではない。その世界こそは私がビジネスにかかわる弁護士として毎日息をしていた世界であったからである。私が小説を書いたのは1997年のことである。山一証券などの証券会社の倒産があり、総会屋と巨大銀行のトップとの関係が明るみに出た年でもある。
『株主総会』が出てすぐの6月末、私はテレビに呼ばれて田原総一朗さんの番組に出たことがあった。その場で、突然、目の前の田原さんにスタジオのスタッフから小さな紙片が渡された。一瞬その紙に目を落とした田原さんは、「宮崎さんが亡くなられました」と並んでいた出演者に告げた。第一勧銀の宮崎会長が自死したことを私が知った瞬間である。私はそのテレビスタジオで知ったのである。つい先日田原さんにお会いした際に申し上げたところ、宮崎さんの経緯はよく覚えていらした。
その場での、どうして日本は30年間を失ったのでしょうか?という私の問いに、田原さんはアメリカだよ、と答えられた。私はそれに深く納得した。プラザ合意からバブルへの道、その道は今に続いているのだという感慨があった。
プラザ合意は、日本の対米黒字の結果である。電化製品、そして車の洪水のような輸出。その状況を収拾するために、円は切り上げられなければならず、輸出は自主管理されなくてはならなかった。行き先を失った資金は国内の不動産と株に集中した。
アメリカの求めに応じなければならなかったのは、戦争に負け、その結果たる占領体制が実質的に継続していたからである。疑うものは、日本国内にある米軍基地を思い出すだけで充分であろう。戦後豊かになっても、基本的構造は変わっていない。であればこそのプラザ合意でありバブルであった。
今年はアメリカとの戦いが始まって80年、敗れて76年の年である。しかし、もちろん日本はアメリカとの戦争を突然始めたわけではない。中国との戦争状態は1937年に始まっている。満州事変から数えれば90年前にスタートしたことになる。
それにしても、なぜアメリカと戦争を始めたのか?中国からの撤兵ができなかったからアメリカと妥協ができなかったということなのだろう。しかし私には不思議でならない。誰もが勝てると思ったはずはないのに、と考えるからである。戦争はやってみなければわからない、と東條英樹首相は言ったというが、アメリカに打ち勝つ作戦があったとは聞かない。当時のビルマからインドを攻めることでイギリスを攻略すればアメリカは戦闘意欲を失うだろう、という程度のことであったらしい。
ならば、なぜ真珠湾を?と不思議の感に打たれるのは私だけではないだろう。アメリカに駐在武官として滞在していた経験のある山本五十六が、頑強に真珠湾攻撃を主張したと伝えられる。山本五十六本人には短期戦しか念頭になかったのである。日本海軍としては、石油をアメリカに依存していたのであるから、そういう結論しかないのは分る。しかし、アメリカが真珠湾を攻撃されていながら簡単に講和に応ずると信じたというのだろうか。やはり不思議でならない。
陸軍は中国で戦っていて忙しく、アメリカとの開戦を望む理由はない。ただ、中国からの撤兵に反対したということである。最後は、海軍が決断せざるを得なかったということだったのであろう。
私が日米戦争を振り返るのは、これからを思うからである。
アメリカにとって、日本に対して成功したやり方は中国には通じない。ABCD包囲陣で日本が我慢しきれず真珠湾を攻撃する愚を中国が繰り返す理由は皆無である。また、中国はプラザ合意まがいの屈辱的な妥協をする理由もない。つまり、米中対決は長引くということになる。
そこで日本はどうなるのか?どうするのか?
中国なしに日本の経済はなく、アメリカなしに日本の政治はない。にっちもさっちも行かないところにもう直ぐ行きつくに違いない。さあ、どうするのか?
そのための、失われた30年の検討である。
自力で行くしかない。居直りではなく、大英断である。
自力とは、日本人自身の創意工夫である。
そのためには、失われた30年の根本原因に遡らねばならない。遡れば、疑似オーナーのいる日本の会社ではダメだということが分かる。具体的には、後継社長の決定をオーナー会社方式から上場会社方式に変えるということである。
いまさら?
いまだから、である。30年が失われて、何かをしないと40年間が失われてしまうからである。
これまでの疑似オーナー方式では、社長が取締役を決め、株主総会を牛耳る。疑似が付くのは、形式は上場しているからである。だから始末が悪い。これからは、株主が取締役を決め、取締役が社長を決める。それが上場会社方式である。
取締役が決めるといっても、社内取締役と社外取締役とがある。社外取締役は社外取締役自身が決めるルールにする。社長が後継者を選ぶには社外取締役を説得しなくてはならないことにする。具体的には社外中心の指名委員会ということである。何回か社外取締役自身が社外取締役を決めることが続けば、社長の後任を選ぶについての社外取締役の実質的な権限は強くなる。実質が重要である。社外が過半数かどうかは二次的なことに過ぎない。三分の一でも十分であろう。
といっても、社外取締役には会社の経営はできない。実際に組織を動かすのは社長以下の経営陣である。会社の置かれた状況で社外取締役に外国人が多数である必要がある場合もあろう。女性が社外取締役の過半数が当然の場合もある。その程度なら、社外取締役にも分かることである。少なくとも、経営者に聞くことはできる。
多くの日本の上場企業は社内取締役が過半数という体制を続けたいだろう。会社の内側からみれば、それは大いに理由のあることである。だが、次の社長を決めることを現在の社長に任せて来ての失われた30年である。日露戦争に勝ったあげく、戦艦大和を造った日本に似ている。
さて、どうやれば現実が動くか。単なる改造ではない、再鋳の覚悟が要る。
簡単ではない。しかしやりがいのあることである。この日本のためである。
(続く。1はこちら)
トップ画像:日本(イメージ) 出典:Carl Court/Getty Images