続:身捨つるほどの祖国はありや
牛島信(弁護士・小説家・元検事)
【まとめ】
・自著読み、「日本が会社制度の中核に抱えた潜在的矛盾」に気付く。
・株持ち合いで会社の独立性尊重し合うのは日本全体の黙約に通じる。
・日本はどこへ向かうのか。祖国と未来の人々に少しは恩返ししたい。
表題は、去年11月に出た8冊目のエッセイ集(幻冬舎)である。その続きを、このサイトで毎月やらせていただくことになったので、「続き」とした次第である。
その本のまえがきに、私はこう書いた。
「『身捨つるほどの祖国はありや』と題した。寺山修司の1957年発表の短歌の一部で、上の句を「マッチ擦るつかの間の海に霧ふかし」という。
あの戦争が終わったときに9歳であった少年が21歳になったとき、祖国はそのように存在したのだろう。
だが、果たして祖国はあったりなかったりするのだろうか。
十人十色。私は日本について所与のものと思っている。気に入っても気に入らなくても、そこに生まれ、育ったのだ。選べるものではない。祖国とは先ずなによりも自分の家族である。
もちろん、時として祖国は身を捨てることを要求する。
要求?
しかし、戦艦大和に乗っていた21歳の青年はそう考えなかった(本書521頁)。
日本が「敗レテ目覚メル、ソレ以外ニドウシテ日本ガ救ハレルカ(中略)俺タチハソノ先導ニナルノダ」と自分に言い聞かせ、「日本ノ新生ニサキガケテ散ル マサニ本望ヂャナイカ」と自ら納得して死んだ。同じ頃の河合栄治郎の思いと共通する。(本書324頁)
日本の現在と未来は、その先にある。
祖国を、日本を、改めて考えなくてはならない時代になっている。新型コロナウイルスは、国以外に頼るものがないことを明らかにした。
しかし、ことはコロナだけではない。外側の世界から我々を守ってくれるものは、日本という祖国以外にない。そう思い知らされる日がついそこに来ている。戦後75年。思えば、安倍政権は嵐の前の長い静けさだった。」
日本に生まれ、日本語を母国語として育った私には、状況次第で祖国を選ぶという発想はない。この国に生まれ、たぶんこの国で死ぬ。それだけでも、生きている間に少しは祖国とそこに住む未来の人々に恩返ししたいと願っている。
日々をビジネス・ローヤーとして忙しく暮らしている一人の人間の月報といったところであろうか。
アメリカに住んでいるアメリカ人の友人から久しぶりに連絡があった。或るブッククラブのインタビューアーをしているので、お前の書いた小説とどうやってそこそこの法律事務所をやりながら、小説を書く時間があるのか、その他お前が今の時代について考えていることなどについて話をしたいと言う。オン・ラインでとのこと。もちろんと気軽に引き受けた。
ところが、どうやらCommonwealth Clubという大変由緒あるフォーラムで単なる読書クラブではないらしい。話が私の書いた小説についてということで始まったので、早合点してしまったのだ。
大変なことを引き受けてしまったと思ったものの、それも一興かと妙に納得してしまった。インタビューをしてくれるというジョージ・ハモンドはアメリカの弁護士で、いっしょに日本の重要な会社の買収をやった仲なのだ。それに、弁護士としての交際を越えた付き合いでもあった。どうやら彼は大変身を遂げていたようだ。
その準備のためとばかり、私は23年前に書いた『株主総会』という小説を読み直してみた。面白い。次はどうなるのか、と興奮しながら読み進んでしまう。自分で書いた小説にドキドキしながら魅入られるものおかしなものだが、事実そうだったのだ。
ああ、結局主人公はあれがこうなって、会社から出て行くことになるのか、と最後にはなるほどと得心して独り笑いをしてしまった。
その小説について、インタビューの準備にと事務所のアメリカの弁護士にいろいろ英語で説明しているうちに、私はとんでもないことに気づいた。どうやら、この小説はたいへんな代物らしい、ということである。
予定されたトピックの一つが、日本文化の変遷だった。私は明治維新から始めて、敗戦、バブルとその崩壊についてかいつまんだ説明をしながら、この小説が、実は伝統的日本が会社制度の中核に抱えていた潜在的矛盾を描いていたことに改めて気づかされたのだ。自分の書いた小説を読み返すことなどなかったからなのか、日本語の小説を英語で説明しなければならなかったからなのか。私が描いた矛盾は、それがいまやコーポレートガバナンス改革として、日本の企業にとっての一大重要事となっている。株の持ち合いである。
それだけではない。単なる経営争いを越えて、日本的取引慣行、日本的労使関係も描かれている。当時の日本では当たり前であり、私もそのように理解していた。
ただ、私は法律家だった。
具体的には、私は上場株式会社の株主総会指導をしていたから、総務部の部長や次長が大株主の委任状をもって株主総会に出席していることは知っていた。持ち合い株なのである。株主が議決権行使を実質的に判断することはない。お互い様である。であればこその、総務部次長への委任状であり、その委任状によるクーデタだった。
なぜそんな奇妙な委任が存在したのか。
議長である社長に大株主の委任状を出すわけにもいかず、といって会社から見ても大株主から見ても安心できる立場の人間でなければいけないからである。個人である。
いうまでもない。背景にあったのは、持ち合いである。会社のオーナーは社長なのか、という問いである。
話は以上に留まらない。
私は『天皇論』(富岡幸一 文藝春秋社2020年刊)を読んでもいた。副題に「江藤淳と三島由紀夫」とある。
そのなかでの江藤淳の発言が引用されていて、小林秀雄の『様々なる意匠』について、「題によく象徴されているように、仮装行列じゃあるまいし、いろんな恰好をしてみたって駄目だよ、という批評だった」とある。(131頁)さらに富岡氏は、「最近のそれでいえば、グローバリズムなどはその最たるものだろう。」と付け加えている。
コーポレートガバナンスは、グローバリズムにその大きな脚を置いている。それがすべての脚なのか、その脚だけではなく、他に日本という脚もあるのかどうか。
私は、法の支配は基本において世界の普遍的な価値であると信じている。それにもかかわらず、会社の経営者を選任するために不可欠の法的手続きである株主総会での議決権の行使において、壮大なバイパスづくりが長年にわたって行われていたのだ。社長がオーナーの如くふるまい、それが代々継承される。総会屋はそのあだ花であったということである。バブルが崩壊して、銀行が破綻し、このバイパスは修復しようもなく崩れ去った。
おそらく、書いた人間よりも、こうした事情が分かっていた方は何人もいたに違いないと私は感じた。携わっていたのは法律家のアドバイスを得ながらことを進めていた総会担当の面々であり、社長以下の会社の権力機構はそれを便利なつっかえ棒として屹立していたのである。
私は、『株主総会』のあとがきにこんなことを書いている。
弁護士の書く訴状や準備書面も、作家の書く小説も、散文という点では同じ文章にすぎないと考えていた。しかし、弁護士の散文は秘密が前提である。私は不特定の人間に話しかけたくなったのだろう、と。つまり、弁護士として大量の法律文書を書いてきた蓄積は、小説家修行でもあった、という趣旨である。
法律が創りだした法人の代表たる株式会社が、日本では壮大な虚構の上に載っていたこと、株主は実は株主権を行使せず、持ち合いによってそれぞれの会社の独立性を尊重し合っている体制だったことは、日本全体の黙約に通じる。
黙約は会社法制度に限られない。
富岡氏の本は、「やっぱり昭和神宮というのを建立しなければいけないのではないかと思うのです。」という江藤淳の言葉を引用している。(132頁)。また、江藤淳が、昭和天皇の最後の歌である「あかげらの叩く音するあさまだき音たえてさびしうつりしならむ」に触れている事実をあげる。(136頁)
私は、過日新宿御苑を歩いていて見事な大きな松を見た。スマホですぐに「降り積もる深雪に耐えて色変えぬ松ぞ雄々しき人もかくあれ」を確認した。昭和21年の歌会始での昭和天皇の歌である。45歳だった。あかげらの歌は亡くなられる直前、87歳のときの歌である。
私は、初めてのエッセイを書いた2004年5月、三島由紀夫の「無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国」を引用している。(『この国は誰のものか』19頁 幻冬舎2007年刊)去年は三島没後50年だった。
戦後75年。米中対立の世界で祖国日本はどこへ向かうのだろうか。
(続く)
トップ画像:日本(イメージ) 出典:Getty Images
あわせて読みたい
この記事を書いた人
牛島信弁護士
1949年:宮崎県生まれ東京大学法学部卒業後、検事(東京地方検察庁他)を経て 弁護士(都内渉外法律事務所にて外資関係を中心とするビジネス・ロー業務に従事) 1985年~:牛島法律事務所開設 2002年9月:牛島総合法律事務所に名称変更、現在、同事務所代表弁護士、弁護士・外国弁護士56名(内2名が外国弁護士)
〈専門分野〉企業合併・買収、親子上場の解消、少数株主(非上場会社を含む)一般企業法務、会社・代表訴訟、ガバナンス(企業統治)、コンプライアンス、保険、知的財産関係等。
牛島総合法律事務所 URL: https://www.ushijima-law.gr.jp/
「少数株主」 https://www.gentosha.co.jp/book/b12134.html