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.社会  投稿日:2024/2/24

どうした「ものづくりニッポン」 失敗から学ぶことは多い その6


林信吾(作家・ジャーナリスト

林信吾の「西方見聞録」

【まとめ】

・年初来、株価がバブル期以来の最高値を更新し続けている。

・ダイハツや豊田織機で検査不正が発覚、ビッグモーターでは、保険金詐欺が発覚。

・製品の品質や商道徳がないがしろでは、日本の製造業の未来は極めて暗い。

 

前回は「いつか来た道」という表現を用いたが、今回は「またも道を間違えているのでは」という話をさせていただかねばならない。

年初来、株価の上昇が続き、バブル期以来の最高値を更新し続けている。

本誌でもすでに報じた通り、元日から災害や事故、企業の不祥事が相次いだばかりか、名目GDPではドイツに抜かれ、実質賃金はほとんど上がらない。にも関わらず、株式市場だけは活況を呈している。

欧米諸国が新型コロナ禍のダメージから脱し、景気回復に向かいつつある、という説明も聞くが、やはり最大の要因は、円安によって輸出産業が潤ったことだと衆目が一致している。

私は、幾度となくお伝えしてきた通り、1983年に英国ロンドンに渡ったのだが、当時すでに、日本製品がかの国の市場を席巻しつつあった。

なにしろ英国の家電メーカーが「MATSUI」という、日本語じみたブランド名で、しかも

「100%日本の技術」

というキャッチフレーズでオーディオを売り出したのだが、これが実際のところ日本製の部品が一部用いられていただけだったので、広告に偽りあり、と当局からお咎めを受けたということまであった。日本ではさほど大きく報じられなかったようだが。

日本で、なんでも舶来品らしく見せかけて売る商法が問題視されていたのは、さほど昔の話ではなかったのだが、今や日本製らしく見せかけた家電製品がロンドンで売られるようになったか、と愛国者の私には感慨深いものがあったので、少し後で文章化もした。

自動車も然りで、1970年代の初め頃からロンドンで暮らしている人から聞いたのだが、その人が渡英した当初は、街で日本車を見かけると、驚きかつ喜んだものだそうだ。

1980年代の当時すでに、たとえばヒースロー空港からロンドン中心部まで車を走らせたならば、賭けてもよいが日本車を見かけずに到達するのは不可能、という状況であった。なにしろ有名なロンドン・キャブ(タクシー)でさえ、日産ディーゼルのエンジンを積むことが決まったのである。

これについて、英国人実業家の一人は、私のインタビューに答えて、

「たしかニッサンの最初の量販モデルは、オースチンのコピーだったのでしょう?一体どこでひっくり返ったんでしょうなあ」

などと笑いながら語っていたので、そんな風に「ゆとり」の態度だからだよ、とまずは内心で思い、こちらも後で文章化した。

これはあながち笑いごとではない。たしかに、車は動けばよい、と割り切ってしまったならば、シコシコと改良を重ねて行く、などというのは虚しい努力だと思えるだろう。

とは言え、家電や自動車をはじめとして、日本メーカーの、既存の製品に満足することなく改良を続ける姿勢こそが、わが国を世界トップレベルの輸出大国に押し上げたのだということは、疑問の余地がない。少なくとも私はそう確信している。

実際問題として、当時の日本の輸出産業は、世界中から畏怖の目で見られていた。なにしろ、トヨタの工場から人口に膾炙するようになったらしいKAIZENという単語が、あのオックスフォード英語辞典に所収されたほどである。

「日本企業において、現場の労働者が率先して業務の在り方や工程を見直し、製品の価値を高めようとする運動」

などと説明されていた。

ところが、1980年代の後半に入るや、急に様相が変ってきたのである。

ある年代以上の読者は、すでにピンときたのではないだろうか。そう。バブル景気が始まったのだ。

前年すなわち1985年に、ニューヨークのプラザホテルに、G5(日米英独仏)の蔵相・中央銀行総裁が集まって開かれた会談の結果、当時の「高すぎるドル」を是正して、米国の輸出競争力を回復させるべく、協調介入することが決まった。世に言うプラザ合意である。

これを受けて日銀は低金利政策へと舵を切り、結果、市中にカネが溢れることとなった。

株、不動産から美術品まで、ほぼあらゆるものが投機の対象となって価格が暴騰したことは、今も語り草だ。金利が安いのだから、借りられるだけ借りて投機に回せば、借入金の何倍もの不労所得が得られる。多くの人がそのように考えたのも、無理からぬところであろう。

こうなると日本の企業社会全体に、カネがカネを生むといった幻想がはびこる。実際、私の旧知のジャーナリストなども、大手ゼネコンの社員を父に持つのだが、当時は、純利益が1000万円台という仕事など、

「疲れるだけだから、引き受けるな」

と言ってはばからない空気があったそうだ。建設業者が、巨大プロジェクトに非ざる一般的な建設の仕事に魅力を感じなくなっていたのである。

輸出産業にせよ、当初は円高のせいで売れ行きが落ちたり、売れても利益率が下がったりしていたが、コストダウンや業態転換でなんとか克服できた。ただ、本業の減益を投機で補っていた会社がかなりあったことも、また事実である。

ここでひとつ、忘れていただきたくないのは、株や不動産の取引というものは、それ自体がなにかを生産するわけでもなければ、大勢の人を楽しませるわけでもないということだ。バブル(泡沫)とは言い得て妙なので、絵に描いた餅よりも現実味のない「富」に、当時の日本人はまるっきり目がくらんでいた。

その後なにが起きたかは、これまたすでに語り尽くされた感がある。景気が加熱することを憂えた日銀が、不動産取引の総量規制や、融資実態の詳細な報告を求める政策に、再度舵を切ったために、バブル景気は崩壊。その後「失われた10年」「20年」「いや30年だ」などと言われる、長期の不況に突入したのである。

私見であるが、この事態から日本の金融業界が、なにも学ばなかったわけではなかった。

2008年に起きた、世に言うリーマンショックに際して、日本の金融界が受けた打撃は、世界的に見て少ない方にとどまった。バブルの教訓から、住宅ローンを債券化して売りさばこうなどという商法は、危険極まりないと考え、購入を手控えた金融機関が多かったのだ。

しかしその一方では、バブルとその崩壊について、政府・日銀の経済政策の誤りを厳しく追及するのではなく、むしろ、英国のような「ゆとりの社会」を目指すべきであるとか、年収が低くても楽しく暮らせる、といった声がメディアや出版界でよく聞かれるようになってきた。

そうした意見もあってよいのだが、一部の企業人は、品質向上に真摯に向き合わないことを「ゆとりある会社」「新しい働き方」などと、考え違いをしたのではあるまいか。

年初来、ダイハツや豊田織機(トヨタの親会社である)で、検査における不正が発覚し、ダイハツでは経営陣が刷新されることとなった。

メーカーではないが、大手中古車販売業者のビッグモーターでは、保険金詐欺の事例が相次いで発覚し、こちらも経営陣の交代が取り沙汰されている。

そのような中で株価の上昇を喜んでいて、よいのだろうか。

前にも述べたことがあるが、円安が進めば輸出企業の利潤は増え、帳簿上の業績は上がる。この結果、諸外国の投機筋にとって日本株は「割安感がある」と見られるようになり、カネが集まって株価が上がる。

その一方で、本当に肝心なはずの、製品の品質や商道徳がないがしろにされているのでは、日本の製造業の未来は極めて暗いと考えざるを得ない。

もちろんこれは「このままでは……」という前提で語られることではあるが、日本製品に対する諸外国の消費者の信頼を裏切ることだけは、なんとしてもやめて欲しい。

トップ写真:東京ビッグサイトにてダイハツの車が東京モーターショーで展示される(2017年10月25日)出典:Photo by Tomohiro Ohsumi/Getty Images




この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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