「森保監督批判」は大いに結構。ただし・・・日本の言論状況を考える その2
林信吾(作家・ジャーナリスト)
林信吾の「西方見聞録」
【まとめ】
・連勝なのに森保監督批判がやまないのは、日本のサッカー文化が徐々に成熟しつつあることの証左。
・「アジア以上、世界未満」を打破するために、目先の勝ち点より4年先、8年先を見据えたチーム作りが大事。
・必要なのは「サッカー協会上層部」と「代表サポーターたち」の意識が変わること。
今夏に開催されるワールドカップ(以下W杯)カタール大会への出場権を賭けた、アジアB組最終予選が佳境を迎えている。
今次の大会では、アジアに出場枠「4」が与えられたため、ABの2組に分かれて最終予選が戦われている。ちなみにA組では韓国とイランが、2試合を残して出場を決めた。各組で総当たり戦のリーグ戦を行い、上位2カ国は自動的に出場、3位になるとプレーオフに回る、というルールになっている。
我らが日本代表は、当初こそ1勝2敗(対オマーン0-1、対中国1-0,対サウジアラビア0-1)と大苦戦し、監督解任まで取り沙汰されたが、その後はオーストラリア、ベトナム、オマーン、中国、サウジアラビアを立て続けに下し、この原稿を書いている6日の時点で2位。次節、アウェーでのオーストラリア戦に勝てば、1試合を残して2位以内が確定するため、出場権を得ることになる。
サッカーにさほど詳しくない、という読者のために、あえて蛇足の解説を加えると、ホーム・アウェーの2試合ずつ行うルールなのである。
さて、本題。
日本代表を率いる森保一(もりやす・はじめ)監督への批判が止まらない。
前述のように、W杯出場が危ぶまれる状況の時ならばともかく、その後の連勝で出場に王手をかけても、依然として「森保やめろ」が検索上位に来るほどなのだ。
これについての私の意見だが、まあ我ながら少々ひっかかる表現ではあるけれども、
「総論賛成、各論反対」
ということになるだろうか。
ヨーロッパでは、サッカーの代表監督は、
「首相の次に誰もやりたがらない仕事」
などと言われる。罵詈雑言に耐えるのも仕事のうち、と割り切るくらいでないと務まらないからだ。そしてこれは、代表監督に限ったことではない。クラブ監督も同様だ。
しかし、その罵詈雑言はサポーターたちの「サッカー愛」のなせるわざだということも、また事実なのである。
どういうことかと言うと、例えばスペインでは、立派な成績(リーグ戦で3位とか)を残した監督でも、
「あんな守備的なサッカー、面白くもなんともない」
といったサポーターからの批判にさらされ、更迭の沙汰となる、といったことが年中起きるし、かつて日本国籍を取得して日本代表としてW杯にも出場した、アレックスこと三都主アレサンドロ氏は、ブラジル代表について、
「たとえ全勝で南米予選を突破しても、選手起用とかには批判が殺到する」
などと語ったことがある。
写真)三都主アレサンドロ氏(2005年)
出典)Photo by Junko Kimura/Getty Images
私を含めて、自ら「サッカー者」と称するような人たちというのは、勝ち負けにこだわるより、面白いサッカーを見せて欲しい、と考える傾向が強い。もちろん、なにをもって面白いサッカーと呼ぶのかは人それぞれで、今回のテーマは言論状況についてであるから、ここではその議論に深入りするのは避けたい。本当は色々と発信したくてムズムズしているのだが笑。
とどのつまり私が、代表が連勝しているのに森保監督への批判がやまない状況を肯定するのは、これこそ日本のサッカー文化が徐々に成熟しつつあることの証左だと考えるからなのだ。
ただ、個別具体的な批判の内容については、納得しがたいものが多い。だから各論反対と言わざるを得ないのである。
監督に対する批判の中で、今次とりわけ目立ったのが、選手起用に対する不満で、これはまあ「国際的サッカーあるある」なのだが、予選の段階ではなによりもまず、出場権獲得が至上命題だということを忘れてはいけない。
中でも左サイドバックの長友佑都が先発起用され続けている事に対しては非難囂々で、マスメディアでも話題になったほどだ。中国戦で途中交代した中山雄太が、絶妙の攻撃参加で追加点を演出したことで「長友不要説」はピークに達した感があった。
写真)アジアB組最終予選・対サウジアラビア戦での長友佑都選手(2022年2月1日 埼玉スタジアム2002)
出典)Photo by Etsuo Hara/Getty Images
しかし、次なるサウジアラビア戦で、その長友が鬼気迫るほどの献身的なディフェンスを見せるや、急に「手のひら返し」となったのである。私などはむしろ、攻撃参加のスピードは明らかに衰えが見られるし、前々から問題視されていた「とりあえず、上げとけ」みたいなクロスの精度の低さは改善されておらず(1アシストを記録したが、あれは伊東純也の走り込みが見事であったに尽きる)、やはり「替え時」ではないか、と思ったが。
これも、いわゆるネット世論の典型なのだろうが、大事なことを忘れてはいまいか。
もともとサッカー戦術に関しては
「勝っているチームはいじるな」
というセオリーがある。同じメンバーで戦い続けることで連携がよくなるのだし、各選手の調子がよいからこそ勝てているわけだから。
写真)アジアB組最終予選・対中国戦での中山雄太選手(2022年1月27日 埼玉スタジアム2002)
出典)Photo by Masashi Hara/Getty Images
さらに言えば、中山雄太は左サイドバック以外にも複数のポジションをこなせるユーティリティ・プレイヤー、俗な言い方をすれば「使い勝手のよい選手」なので、交代枠3というルールの中、監督がベンチに置いておきたい気持ちも分かる。それでなくとも森保監督は、サンフレッチェ広島を率いていた時代から、先発も戦術も固定して戦い続けることで有名だった。
これらを延長して考えると、次なるオーストラリア戦も、先発メンバーは固定されたまま、と容易に予測できる。故障で戦列を離れたセンターバックの二人(吉田麻也、富安健洋)を除いての話だが。
監督の資質もそうだが、先日オーストラリアはオマーンと引き分けに終わっている。サッカー好きの読者には釈迦に説法だろうが、リーグ戦の国際ルール(つまりJリーグでもまったく同じ)では、勝てば勝ち点3、引き分けなら両者1、負ければゼロとなる。この勝ち点で順位が決まるのだが、次戦では、日本は引き分けで勝ち点1でも、自力で2位以内を確保できる可能性が大なのである。
そうであれば、
「勝たなくてよい。負けなければよい」
というサッカーこそ正解だと言うこともできるし、代表サポーターの多くも、それはそれでよしとするのではあるまいか。
実は私が問題視しているのは、まさにこの点なのだ。
今の日本代表は、そもそもアジア予選で敗退することなど考えにくい、というレベルに達している。しかし一方、W杯本大会においてはベスト16以上の戦績を残したことがない。「アジア以上、世界未満」などと言われるゆえんである。
この状況を打破するためには、本連載でも幾度か述べてきたことだが、目先の勝ち点にこだわるより4年先、8年先を見据えたチーム作りをしなければならない。
この視点からは、監督代われ、と連呼するのはいかにも虚しく思える。本当に必要なのは「監督を選ぶ人たち=サッカー協会上層部」の意識が変わることだろう。
このことは同時に、代表サポーターたちの意識が、もっともっと高くならなければならない、という意味でもある。私自身も、はなはだ微力ながら、日本サッカーのためになる建設的な意見を発信し続けて行く決意だ。
応援よろしくお願いします!
(その1)
トップ写真)アジアB組最終予選・対中国戦での森保一監督(2022年1月27日 埼玉スタジアム2002)
出典)Photo by Etsuo Hara/Getty Images
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。