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.政治  投稿日:2022/4/5

児童数「14分の1」の末に学校統合「高岡発ニッポン再興」その1


           出町譲(高岡市議会議員・作家)

【まとめ】

・少子化による学校の統合再編が富山県高岡市でも起きている。

・同市では、統廃合された小学校に巨額投資が行われていた。

・小学校跡地の利活用も早急に対応しなくてはならない。

学校の統合再編は、全国どこでも起きています。急ピッチな少子化が原因です。わが故郷、高岡市も、その直撃を受けています。

先日、2つの小学校の閉校式に行きました。平米小学校と定塚小学校です。いわば高岡市の街中の小学校です。新しく統合されて、高陵小学校になります。

衝撃的だったのは、平米小学校の児童数の推移です。

昭和32年度には、児童が1448人いました。ところが、状況は一変しました。令和3年度の児童数は103人です。実に14分の1です。人口減少がとりわけ、中心市街地で深刻な影響を及ぼしたのです。

 昭和32年と言えば、日本経済は、神武景気のさ中。高度経済成長に突入する入り口です。政府は経済白書で「もはや戦後ではない」と宣言しました。

こんな時代を背景に、高岡は商都として名を上げ、その中でも牽引車となったのは、平米小学校区なのです。高岡の経済力の象徴だったのです。高岡市は当時、県庁所在地の富山市に匹敵するパワーがあったのです。

 平米小学校区にある山町筋には、問屋が数多くあり、お金持ちが多く住み、「高岡の学習院」と呼ばれました。また、銀行も多く、「高岡のウォール街」という異名もありました。

私が小学生だった高度成長期も、平米は輝いていました。富山県内でも有数の「都会の学校」というイメージがあったのです。

しかし、時代は移り変わり、高岡の経済力が衰退、とりわけ、平米小学校の校区からの人口流出は加速しました。その結果が「14分の1」の児童数の減少です。にっちもさっちもいかなくなって、統合に踏み切ったのです。

平米小学校の生徒数の推移(筆者撮影)

私は、学校の沿革を見て、また驚きました。平成23年プール改修工事完成、24年おおとり歴史館完成、25年校舎耐震補強完成、26年体育館補強工事完成、令和元年普通教室棟エアコン設置、令和2年普通教室、特別教室大型テレビ配置、一人一台学習運用端末配置、GIGAスクール運用開始。

 最近になって、「耐震、エアコン、通信機器」という3点セットを中心に整備。施設が急ピッチで充実しているのです。

教育委員会は、東日本大震災、夏場の異常気象、一人一台タブレットといった時代背景があったからだとしています。

しかし、それは、住民を勘違いさせます

ある住民は、「耐震工事が行われ、エアコンが整備されたのだから、統合されることはないと安心していた」と話しています。わずか数年で廃校になる小学校に、これだけ巨額の税金をつぎ込むことはない。それが多くの住民の感想だったのです。

繰り返しますが、平米小学校の人口減はかなり以前から深刻でした。いやもっと早く、統合していれば、巨額の税金を投じる必要なかったのです。先送りは、事態を悪化させるのです。

  過去を嘆いても、仕方ありません。でも過去や歴史から学び取ることも大事だと思います。それが未来のための教訓になります。

さて差し迫っているのは、平米小学校の跡地問題です。利活用するにも、取り壊すにも早急な対応が必要だと思っています。放置しておけば、それが税金の支出に直結します。

建物は生き物です。水道管などが使われなくなれば、一気に痛みます。文部科学省は、空き校舎になった時点での利活用を求めています。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」。ビスマルクの言葉を肝に銘じたい。

トップ写真:筆者撮影




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