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.社会  投稿日:2022/6/17

名前の流行と世相 地名・人名・珍名について その2


林信吾(作家・ジャーナリスト)

林信吾の「西方見聞録

【まとめ】

・命名にも時世時節があるが、時代趨勢にちなんだキラキラネームが流行するのは良しとしない。

・漢字本来の読み方と異なる読み方の名前は90年代半ばから目立っていた。

・元は身分の高い女性のみ名前に「子」を付けたが、四民平等になったからか「子」を付けて名乗るのが流行した。

 

前回、私は「名前の無政府状態」を良しとするものではない、との意見を開陳させていただいた。

実際、いわゆるキラキラネームの弊害としてよく言われるのは、私立小学校などの「お受験」や、就職活動に際して著しく不利になる、ということだ。

それは一種の都市伝説に過ぎない、と見る向きもあるようだが、私が仮に企業の人事部で採用を担当する立場であったとして、名前の欄に「悪魔」と記載された履歴書やエントリーシートを受け取ったとしたら、どうだろう。

一度聞いたら忘れられない名前だから営業向き、という判断はしないと思う。と言っても、私はサラリーマン経験が事実上ない人間なので、ここはひとつ、企業で経験を積んでこられた方のご意見を伺ってみたい。コメントいただければ幸甚です。

さて、本題。

キラキラネームという言葉は21世紀になってから人口に膾炙するようになったものだが、漢字本来の読み方とはかけ離れた名前は1990年代半ば頃から目立つようになってきたらしい。たしかに2000年代初頭、都内で開かれた少林寺拳法の大会で審判を務めた際、女子の参加者名簿を見て、

(宝塚かよ……)

などと思ったことがある。個人情報でもあり、本人が気にするといけないので具体的な記述は控えるが、そこはまあ、読者ご賢察の通り、とだけ述べておく。

その後2010年代に入ると、AKBがブレイクしたが、当時、人気を牽引していたのが(前田)敦子、(大島)優子、(篠田)麻里子といったあたりで、名前が意外と古風だ、などと評判になったものである。

ただ、色々と読んでみると、日本では女の子の名前に「子」がつくもの、というのは一種の先入観と言うか、明治20年代からの比較的新しい伝統であることが分かった。

もともと名前に「子」をつけるのは、身分の高い女性に限られていた。平清盛の娘で、高倉天皇に嫁ぎ、最期は壇ノ浦の戦いで平家が滅亡した際、幼い安徳天皇とともに入水した建礼門院徳子が、最も有名であろうか。

ちなみに彼女の名前の読み方について、私はつい最近まで「とくこ」だと思い込んでいたが、本当は「とくし」もしくは「のりこ」なのだとか。

なにかのドラマのナレーションで、たしかに「とくこ」と読んでいた、との記憶はあるのだが、詳細まで思い出せないし、また、現在もある名前だが「のりこ」と読ませる方が多いとも聞くので、おそらく私の記憶違いなのだろう。

話を戻して、明治20年代に、新しい世の中で「四民平等」になったからか、若い女性たちが生来の名前に「子」を加えて名乗るのが流行した。

たとえば、近代日本における国際結婚の第一号であるクーデンホーフ光子だが、結婚前の姓名について「青山光子」と紹介されることが多い。本当はミツで、三女だからという安直な、もとい、実に分かりやすい命名である。

彼女と同年代の人で、明治を代表する女流作家である樋口一葉の場合、戸籍名は奈津だが、明治20年代には夏子と名乗っていた。

流行ということで思い出されるのは、私は元号で言うと昭和33年生まれで、皇太子(現・上皇)の婚約が発表されたことから「ミッチー・ブーム」が起こった年である。これまでも様々な場で書かせていただいたが、小学校以来、同級生の中に必ず「美智子さん」がいる、という経験をしている。

▲写真 国立劇場にて記念式典にご参加する上皇上皇后両陛下 出典:Photo by Pool/Getty Images

とは言えその後、女の子に紀子、雅子、愛子、眞子といった名前をつける親が増えたという話は聞かない。これは私見だが、皇室に対する見方が変わってきたということ以上に、TVが各家庭に普及していった当時の話だけに「ミッチー・ブーム」は別格だった、ということではあるまいか。祝賀パレード見たさにTVを買った人も大勢いたと聞いている。

かつてブログに書いたことだが、高校の同級生にエリカという名前の女の子がいた。昭和の男子高校生の感覚では、色白だし、ハーフなのかな、と思ったりした。

そうではないと分かって、こちらは未だに忸怩たる思いがあるのだが、

(今はいいけど、年とってエリカお婆ちゃんになったら、収拾つかないんじゃないかな)

などと考えたものだ。卒業以来会っていないが、この場を借りてお詫び申し上げます。もちろん、いくら私でも面と向かって無礼を働いたりはしていないが笑。

今では絵里香とか漢字を当てて、割と普通の名前になっているようで、つまりは「昭和世代としては珍しい」ということだ。誰でも年をとるのだから、エリカお婆ちゃんも今に珍しくなくなるのだろう。

2015年頃には、前述のAKBとは別に、古風な名前の若手女優が相次いでブレイクし、今度は「シワシワネーム」というのが人口に膾炙するようになった。具体的には(広瀬)すず、(門脇)麦、(大野)いと、(二階堂)ふみといったあたりだが、さすがに失礼ではないかと思ったので、やはりブログで取り上げた。

名前もひとつの個性だから……と言ってしまえばそれまでなのだが、人間が社会的存在である以上、やはりそれだけで済まされない面はあるのではないか。

先ほどミッチー・ブームの話をしたが、結婚祝賀のパレードの際、天皇制に抗議すると称して、馬車に投石した少年がいたことをご存じだろうか。その名を「建設」と言い、そのままケンセツと読む。戦時中に生まれており「大東亜建設」にちなんだ命名であるそうだ。

1970年に起きた世に言う三島事件では、三島由紀夫ともども東京・市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部で割腹した。右翼団体「盾の会」の学生隊長は必勝と書いてマサカツと読む。こちらも戦時中の命名で、これ以上の説明は不要だろう。

これは人名ではないが、正露丸は1903年に発売された当時は「征露丸」という商品名であった。翌1904年に日露戦争が勃発していたわけだが、これに先立つ日清戦争で、前線の兵士が生水を飲んで下痢をする事例が多発したことから、効果的な下痢止めであるとして商品化されたのだが、最大の納入先は陸軍で、なおかつロシア帝国との関係がすでにきな臭かったから、というのが名前の由来である。

こういった命名はよろしくない、などと今更したり顔で言うつもりはない。単に子供の名前にも時世時節があるというだけのことで、まして名づけられた子供にはなんの責任もない。

シリーズの冒頭でも述べたが、今言えるのは、こうした命名が流行する世の中には二度となってほしくない、ということだ。

トップ写真:東京都台東区の佐野印房で展示されている判子 出典:Photo by Carl Court/Getty Images




この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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