女優の気を引こうとレーガン大統領を撃った男、釈放
樫山幸夫(ジャーナリスト、元産経新聞論説委員長)
【まとめ】
・レーガン米大統領暗殺未遂犯が一切の行動制限を解かれた。
・女優、ジョディ・フォスターの気を引こうとしたのが動機で、精神障害の治療を続けていた。
・銃乱射事件が続発するアメリカで、この釈放が銃規制論議に与える影響はないに等しい。
ジョン・ヒンクリー、ジョディ・フォスターと聞いて、レーガン米大統領暗殺未遂事件を連想するのは、老境に入った人たちだろう。
1981年、人気女優の気を引くという妄想にかられて犯行に及んだ元被告が最近、行動制限をとかれて完全社会復帰を許された。
全世界を震撼させ、多くのドラマも生んだ事件を思い起こした人たちも少なくなかったろう。
銃による無差別殺傷事件が相次いでいるなかでの釈放だが、米メディアなどの報道では、銃規制のあり方と結び付ける論調がほとんどみられないのは驚きだ。
■ 生命失う寸前だったレーガン大統領
「41年2か月と15日、ついに自由だ」とヒンクリー元被告はツイッターに書き込んだ。
当局の監視、医師による定期的な治療、投薬、旅行、インターネット使用の制限などが解かれ、今後は完全自由な市民生活を送ることができる。
1981年3月30日を忘れられないアメリカ国民はいまなお少なくない。
ロナルド・レーガン大統領が、ワシントン市内のホテルでスピーチを終えて専用車に乗り込もうとしたところを、拳銃で撃たれた。
胸部に深手を負った大統領は、直ちに2キロほど離れた市内のジョージ・ワシントン大学病院に搬送され緊急手術、心臓のすぐ近くの肺にとどまっていた弾丸を摘出、生命を取り留めた。
大統領は当時70歳、驚異的な回復力を見せ、わずか10日後には退院した。
犯人のヒンクリーはその場で取り押さえられたが、大統領に同行していたホワイトハウス報道官のジェームズ・ブレイディ氏のほ か、シークレット・サービス(大統領警護隊)の護衛官、ワシントン市警の警察官も撃たれ、いずれも重傷を負った。
■ 女優の気を引こうと・・・評決は無罪
心身を病んでいたヒンクリーは、「タクシードライバー」などに出演した女優、ジョディ・フォスターさんに一方的な恋心を抱き、ストーカー行為を繰り返していたという。相手にされなかったため、自分に振り向かせるために犯行に及んだという。政治的な動機のない暗殺未遂だった。
写真)ジョディ・フォスターさん(2018年05月19日)
出典)Photo by Rich Fury/Getty Images
起訴されたものの、常軌を逸した動機などが明らかになるに及んで翌年、精神障害を理由に法廷で無罪と評決された。
その後、ワシントン市内の病院で当局監視のもとで治療を受けていたが、2016年に制限つきで退院を許され、バージニア州ウィリアムズバーグの母親の家に同居していた。
昨年秋になって、ワシントンの連邦地裁は、元被告が退院の条件を順守し、精神的にも安定しているとして、無条件で釈放されるべきだと決定。
医師団も、再び犯罪を犯す可能性は少ないと診断、検察当局も同意した。
レーガン大統領は2004年に死去したが、その家族は終始釈放に反対、娘のひとりは、「ヒンクリーはナルシストであり、悔悟の様子は見えない」となお、危険な人物であると主張している。
写真)ジョン・ヒンクリー元被告(1981年03月30日)
出典)Photo courtesy Bureau of Prisons/Getty Images
■ たたえられたレーガン氏の勇気
現職大統領が撃たれたこの事件は、全世界に大きな衝撃を与えただけでなく、銃規制、精神に障害をもつ人たちの処遇をめぐる論議など多くの波紋を呼んだ。
そうしたなかで、声望を高めたのは被害者、レーガン大統領そのひとだった。
弾丸が数センチずれていれば生命を失っていたかもしれないほどの重傷にもかかわらず、手術室では苦痛の下から外科医たちに冗談を飛ばした。「君たちは全員共和党支持者であってほしいよ」
見舞いに駆けつけた夫人には、「うっかり弾をよけ損なったよ」
俳優出身のレーガン氏は、西部劇にも出演したことがあるが、この時の言葉は、人気ボクサーの敗戦の弁をもじったものといわれ、危機にあってもユーモアを忘れない豪胆な指導者という印象を国民に与えた。
写真)銃撃される直前のロナルド・レーガン大統領(1981年03月30日 ワシントンDC)
出典)Photo by Michael Evans/Keystone/CNP/Getty Images
■ ブレイディ氏、銃規制法の立役者に
巻き添えをくったブレイディ報道官は頭部を撃たれ、体にマヒが残った。復帰は不可能となったが、レーガン氏は任期を終えるまで報道官のポストにとどめ、その職務は副報道官に代行させた。
ホワイトハウスの会見室は報道官の早期回復を祈って「ジェームズ・ブレイディ会見室」と名付けられた。
そのブレイディ氏は不自由な体にかかわらず、夫人とともに銃規制に尽力。その努力が実を結んで、クリントン大統領時代の1993年に、購入者の身元調査など小型銃器を規制する法律(ブレイディ法)が成立した。
氏は2014年に亡くなった。
写真)ロナルド・レーガン元大統領とナンシー大統領夫人、重傷を負ったブレイディ報道官(1981年11月01日 ホワイトハウス記者会見室)
出典)Photo by Dirck Halstead/Getty Images
■ ヒンクリー、コンサート計画も中止
犯行当時25歳、あどけなさが残っていたヒンクリー元被告はすでに67歳。写真を見るとかつての面影は失われ、すっかり初老のそれだ。
拘禁中からギター演奏に親しみ、ユーチューブでは多くのファンがいるという元被告は、今後、音楽で身を立てるつもりなのか、7月にニューヨーク・ブルックリンのホテルでコンサートを開く予定だった。
しかし、それも殺害予告などが相次ぎ、中止を余儀なくされたという。
■ 現在の銃規制は大型が対象
アメリカでは、この事件の前においても、また後からも、銃規制をめぐる論議が繰り返されてきた。
時あたかも、アメリカ国内では残忍無比な銃の乱射、殺傷事件が相次いでいる。
ことし5月中旬、ニューヨーク州バファローのスーパーマーケットで18歳の白人男が大型の半自動ライフルで黒人ばかり11人を射殺、その10日後には、テキサス州の小学校で児童19人を含む21人がやはり18歳の男に殺害された。バッファローの事件同様、凶器は半自動ライフルだった。
写真)テキサス州ユバルディの小学校銃乱射事件で犠牲となった生徒らの氏名を刻んだモニュメント(2022年06月02日)
出典)Photo by Alex Wong/Getty Images
これらの事件を受けて高まっていた銃規制論議に、ヒンクリー元被告の釈放が何らかの影響を与えるともみられたが、予想に反して、メディアの報道ではそうした論調はほとんど見られない。
米の社会動向に詳しい専門家は、ヒンクリー元被告の犯行は凶悪ではあったものの、妄想から大統領を狙ったケースであり、普通の市民を無差別、大量に殺害した事件とは異なっているため、と指摘する。
ニューヨーク州、テキサス州の事件での凶器は、ヒンクリーが用いた小型拳銃ではなく半自動ライフルなど大型、殺傷能力の強い銃器であったことから、規制の対象は、これらが中心で、小型火器への関心が薄くなっているという見方もなされている。
ライフルは規制すべきだが、拳銃なら許されるという理屈は奇妙に響くが、米の歴史、文化からみて銃を完全にコントロールすることは困難だから、せめて大型火器だけでも規制しようというホンネの表れという見方が正しいのかもしれない。
ヒンクリー釈放が、銃規制の論議を高める効果をもたらしていたら、無念の後半生を送った故ブレイディ氏、レーガン大統領にとっても、「以て冥すべし」だったろうが。
トップ写真)ロナルド・レーガン大統領暗殺事件(1981年03月30日 ワシントンDC)
出典)Photo by Dirck Halstead/Liaison
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この記事を書いた人
樫山幸夫ジャーナリスト/元産経新聞論説委員長
昭和49年、産経新聞社入社。社会部、政治部などを経てワシントン特派員、同支局長。東京本社、大阪本社編集長、監査役などを歴任。