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.政治  投稿日:2024/10/19

信頼欠く自民党か、頼りない野党かー総選挙、究極の選択


樫山幸夫(ジャーナリスト、元産経新聞論説委員長)

【まとめ】

・総選挙が佳境に入ってきた。石破新内閣の信任を問う戦いは、自民党が苦戦を強いられている。

・メディアの調査もそれを裏づける。与党が過半数を確保できるかが焦点。

・与党が不祥事や団結の乱れの中で臨んだ過去の選挙、敗北するケースが少なくなかった。

 

 各紙「自民苦戦」、単独過半数は微妙

10月17日づけの各紙は「序盤戦の情勢」をそろって報じた。

日本経済新聞は主見出しが「自民、過半数割れの可能性」。

公示前247から、小選挙区、比例代表いずれも議席を失い、「定数465の過半数233に届かない可能性がある」と石破政権にとって厳しい予測を伝えた。 首相が「勝敗ライン」とする「(自民、公明の)与党で過半数」には言及がなく、きびしい状況をうかがわせた。

与党 過半数見通し」の見出しを掲げた読売新聞も、自民だけでは公示前の247から割り込む可能性に指摘、「単独での過半数維持が焦点」として、日経同様、明確な予想を避けた。

毎日新聞は、「与党過半数の公算大」とし、「接戦区で競り勝てば(自民だけで)過半数を維持できる可能性」と、自民党にはやや安堵できる分析結果を示した。

各紙とも立憲民主党は公示前の98議席から大きく回復、国民民主、共産は現状維持か上積み、維新、公明には勢いがみられないと報じた。

読売によると、れいわ新選組、社民党、参政党に加え、日本保守党も議席を確保する可能性がある。

■ 不祥事、不人気、不一致―与党敗北のパターン

スキャンダル、首相の人気低迷、党内の亀裂、分裂―。過去の総選挙で、与党が敗北した場合の原因だ。ほとんどがこれに当てはまる。

記憶が新しい与党の大敗北は、2009(平成21)年8月の総選挙、麻生太郎首相率いる自民党が大敗、民主党単独政権が誕生した。

前年のリーマン・ショックによる世界不況のなかで、政権自体の目標が不明確だった福田康夫内閣は有効な手立てを取ることができず支持率が低迷、野党が多数を占める参院での首相問責決議が可決されるなどして、福田氏は在任1年で政権を投げ出した。

後継の麻生太郎氏(現自民党副総裁)も、決め手になる対策を見いだせなかったことにくわえ、日ごろの傲慢な言動もあって、発足から人気低迷を続けた。衆院任期満了の2か月前に解散に打って出たものの、あろうことか一気に181議席を失い119議席まで落ち込んだ。

敗北というにはあまりに衝撃的な結末、自民党は1955(昭和30)年の結党以来初めて第一党の座から転落した。

自民党に代わって登場したのが民主党の鳩山由紀夫政権

総選挙で一気に約200増の308議席という信じがたい大勝だった。当初、国民の人気は上々だったが、沖縄・普天間飛行場の代替え問題などで迷走、党全体が内政、外交で経験、準備不足をさらけだし国政を混乱させた。

鳩山氏のあと、菅直人(今回の解散を機に引退)、野田佳彦氏が1年ごとに首相を交代、有権者の心は離れ2012年秋の総選挙で大敗した。

この時、自民が政権に復帰、安倍晋三氏が首相に返り咲いた経過はなお記憶に新しい。

■ ロッキード事件で自民は2度敗北

古いところで思い出すのは、1976(昭和61)年12月、三木内閣時代のロッキード選挙だ。

この年2月、米の航空機メーカー、ロッキード社が日本を含む各国で多額の賄賂をバラまいた疑惑が発覚、日本では前首相、田中角栄氏が東京地検に逮捕・起訴された。

当時の首相、三木武夫氏は、政敵・田中氏の追い落としの意図もあって、事件解明に異常な熱意をせたことから、「惻隠の情がない」(当時の椎名悦三郎自民党副総裁)などと党内から不満が噴出、〝三木おろし〟に発展した。

反主流派によって解散権を封じられた首相は、任期満了選挙を戦うが、反三木派は「挙党体制確立協議会(挙党協)」というグループを発足させ、分裂選挙となった。

自民は16議席を失う敗北。三木氏は退陣に追い込まれ、挙党協のリーダー各だった福田赳夫氏(福田康夫氏の父)に総理・総裁の座を譲った。

投票日直前、〝和解〟を演出しようと、福田氏が都心の選挙カーで「三木総裁をご紹介します」とマイクを渡しところ、首相が「福田君に紹介されるまでもなく・・」といやみたっぷりに切り返し、周囲を凍りつかせたエピソードが伝わっている。

そのロッキード事件で起訴された角栄氏は1983(昭和58)年10月、一審で懲役4年の実刑判決を受けた。

その2か月後に、中曽根康弘首相の下で行われた総選挙は、自民党が一挙に30議席以上を減らし、当時の新自由クラブとの連立を組まざるをえなくなった。

角栄自身は22万票、2位に17万票以上の大差という空前の得票を誇ったが、政権運営で田中派に多くを頼った中曽根氏への有権者の批判が集まったのは明らかだった。

1989(平成元)年7月の参院選も語り草だ。

宇野宗佑首相は、リクルート事件の引責で退陣した竹下登首相の後を襲って就任したばかり。その宇野氏自身の女性スキャンダルが選挙前に明るみに出た。

自民党は33議席減、当時の日本社会党(社民党の前身)はブームにのって24増の46議席と大きく躍進した。

衆院では自民党が多数、参院では過半数を割り込むという〝ねじれ現象〟が生じ、その後、長期間自民党を苦しめることになる。

■ 早期解散は誤りとホゾを噛む?

今回、与党が苦戦を強いられている背景は、直近の問題としては、すでに報じられているように石破総理・総裁が、前言を翻して解散に踏み切ってしまった〝食言〟があげられよう。

首相は就任前に、野党との十分な論戦が必要として、「ただちに解散ということにはならない」(9月14日、日本記者クラブでの自民党総裁候補の討論会)と主張しながら、いったん就任すると、就任わずか8日後に解散してしまった。

政治資金パーティー収入めぐる政治資金規正法違反事件に関与した前議員を公認する方針を固めながら、きびしい世論を見て急遽、非公認にして党の亀裂を深め、右往左往ぶりで国民をあきれさせた。

政策面でも、当初の日米地位協定見直し、アジア版NATO構想などで次々に持論を後退させていったことも国民を失望させた。

中期的にみれば、石破氏の就任以前の問題とはいえ、旧統一教会問題、政治資金パ―ティー収入問題などではいまだに尾を引いている

こうした現状と過去を比較した場合、今回だけ例外、楽観的になる要素はまったくない。

石破内閣の支持率は発足時からきびしく、20%台の調査結果もあり、悲観的な見方を増幅させる。

自らの議席維持に執心のあまり、しぶる総理・総裁に強要して早期解散・総選挙を実現させたものの、〝ご祝儀人気〟など全くの幻想だったことに気づき、きびしい選挙戦を思い知らされた候補者も少なくないだろう。

もっと後悔しているのは、党内基盤の弱さのために、持論をまげても党内世論に屈した石破氏自身ではないか。こんなことなら信念に従って慎重に解散時期を見極めるべきだったとホゾをかんでいるかもしれない。皮肉な結果というほかはない。

■ 野党に政権託せるのか

自民党が信頼に足らないからと言って、内外ともに多事多難という常とう句がしっくりする昨今、安心して野党に政権委ねることができるのか。

総選挙で惨敗、野党に転落して多くの仲間の議席を失わせた元首相が臆面もなく代表に返り咲いた野党第1党。不祥事続きの野党第2党・・。

とくに立憲民主党の野田代表は、石破氏の早期解散をなじり続け、野党でありながら総選挙を恐れているのかーという印象すら有権者に与えた。

「政権交代こそが最大の政治改革」との主張は、与党になって、政治のどこをどう変えるのかではなく、政権に就くこと自体が目的という疑念を呼ぼう。

与党が過半数を獲得、従来の連立維持か、過半数割れによる枠組み変更か、または野党への交代かー。 

投票まで9日。有権者にとってはありがたくない〝究極の選択〟だろう。

トップ写真:福島県いわき市小名浜港での選挙キャンペーン集会で演説を行う石破茂首相(日本、いわき市2024年10月16日)出典:Photo by Tomohiro Ohsumi/Getty Images




この記事を書いた人
樫山幸夫ジャーナリスト/元産経新聞論説委員長

昭和49年、産経新聞社入社。社会部、政治部などを経てワシントン特派員、同支局長。東京本社、大阪本社編集長、監査役などを歴任。

樫山幸夫

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