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.社会  投稿日:2022/6/24

現地語風と自国語風(下)     地名・人名・珍名について その4


林信吾(作家・ジャーナリスト)

林信吾の「西方見聞録

【まとめ】

・ジョンソンという姓は英語圏で第二位とされているが、これは米国に限った話である。

・キリスト教やユダヤ教の文化圏に属する人は宗教の聖人などの名前にあやかった名前が多く、日本より姓名のバリエーションが少ない。

・ヨーロッパ諸国も部分的な単語について「現地語風」を採用する傾向が多く見られる。

 ジョンソンという英語の姓について、WIKIPEDIAでは「英語圏の姓としてはスミスの次に多い」と記されていた。これは正確ではない。

 

 米国ではたしかにその通りだが、英語圏と言うのであれば、英連邦諸国を忘れるべきではないだろう。英国ではスミスに次いで多いのはジョーンズで、3位がウィリアムズ、4位がブラウンと続いてジョンソンは10位である。オーストラリアでも1位から4位までは英国とまったく同じ。カナダでは1位スミス、2位ブラウン、3位トレンブレイ、4位マーチン……となっている。

 

 早い話が、ジョンソン姓は米国で突出して多いのであり、実はこれには明確な理由がある。

 

 前回も少し触れたように、アメリカ合衆国とは世界中から移民が集まっている国だが、建国以来WASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)、わけてもイングランド系が支配的な立場にあったことも、また事実である。

 

 この結果、オランダ系のヤンセン、スカンジナビア系のヨハンセンといった姓を名乗っていた人たちが、移民するに際してジョンソンと改めた例が多いのである。したがって、純粋にジョンソン姓の数を合計したならば、たしかに英語圏で2番目に多い、ということになる可能性はある。こういうことを書くのであれば、もう少し詳しい統計を示して欲しい。WIKIPEDIAに限らず、皆が信用している媒体だからということで鵜呑みにするのはよろしくないと申し添えておく。

 

 その話はさておき、スミス、ジョンソンという姓が、どうして多いのか。

 

 スミスとは「鍛冶屋」のことでジョンソンとは「ジョンの息子」という意味である

 

 実は英語圏の姓は、このように職業に由来するものが多い。テイラー(仕立屋)、サッチャー(屋根職人)、アーチャー(弓隊の兵士)などが、すぐ思い浮かぶ。ファーマー(農民)という姓もあるが、さほど多くはない。ブラウンやグリーンの方が多く、私なども最近まで、やはり農業から連想された姓ではないかと思っていたが、実は「諸説あり」で、髪の毛が黒っぽい人をそう呼んだのが語源だとの見方も有力らしい。ブラウンはともかくグリーンは……とも思えたが、日本でも「緑の黒髪」という言い方があるので、よく分からない。

 

 そしてもうひとつ、「誰某の息子」「どこそこの出身」といった由来の姓も多い。ジャクソン(ジャックの息子)とか、スコットランド系の姓ではマクドナルド(ドナルドの息子)など、もはや日本人にもなじみ深いと言って過言ではないだろう。

 

 また、先祖の呼び名が姓になった例も多い。ニューマンという姓は「新入り」の意味で、おそらくどこかの集落に他所からやってきた、といったほどの由来だろう。グッドマン、という姓については、説明不要ではあるまいか。

 

 逆に、いささかひどいな、と思えるような姓もある

 

 アジア太平洋戦争において、初めて東京空襲を行った米軍の爆撃隊長ドーリットル中佐と、有名な小説の主人公ドリトル先生などがそうだ。

 

 読み方が違うのは、中佐の方はDoolittleで、動物学者のDolittleよりもoがひとつ多いからだが、語源はどちらも同じ。Do little(大したことをしない=怠け者)だ。

 

 もちろん「いささかひどいな」と思えるのは日本人の感覚であって、気にしないというか、むしろ面白がって姓を名乗ってしまうあたりが、英語圏の人々なのだろう。

 

 ラテン語にルーツを求められる南欧の諸言語でも、姓の由来は似たり寄ったりである。

 

 スペインで最も多いガルシアという姓は「槍」の意味で、バスク語起源ではないかと言われている。第2位がロペスだが、これはロペ(Lope=狼)の子という意味だ。

 

 マルチネスという姓も多いが、こちらはローマ神話の軍神マルスにちなんだもの。ドイツ語圏ではマルクスという姓があるが、語源は同じである。ただしドイツ語圏のマルクス姓にはもうひとつ、ユダヤ教の聖職者に多かったモーゼシャイという姓が訛ってマルクスになった例もある。あの『資本論』の著者はユダヤ系なので、これ以上は語るまでもないだろう。

 

 前述のDo littleとはかなりニュアンスが異なるが、いささか気の毒に思える姓もある。

 

イグレシアス(教会)やクルス(十字架)がそうだと述べれば、首をかしげる読者もおられようが、実はこれ、両親と死別もしくは離別したなどの事情で、教会(=孤児院)で育てられることになった子供たちが授かった姓なのである。

 

 前回、日本人の姓名のバリエーションは非常に多い、と述べたが、これは逆もまた真なりである。キリスト教、ユダヤ教の文化圏に属する人は、それぞれの宗教の聖人や、宗教上ありがたいとされる名前をつける慣例を今も守っているので、いきおい限られた名前に集中するのだ

 

 英国人の場合、今すぐ思い浮かぶと言うか、私の交際範囲でも、ポールが4人、トーマスが2人、ジョンが3人……という具合になる。聖人にちなんだ名前以外にも、リチャード(剛の者)、チャールズ(正直者)といった名前も多い。

 

 国境を越えてポピュラーな名前も結構あって、たとえば現女王エリザベス2世だが、エリザベスとは「神に愛された子」という意味のヘブライ語由来の名である。

 

 スペイン語ではイザベルとなり、15世紀に夫フェルナンド2世とともに「カトリック両王」と称されたイザベル1世が有名だ。

 

 ドイツ語読みするとエリザベートで、こちらはオーストリア=ハンガリー二重帝国の末期(19世紀)に有名な王妃がいる。

 

 ここでまたもや、前回述べた、中国人や韓国人の姓名の読み方に関わる「相互主義」の話を思い出していただきたい。

 

 スペイン語を勉強するようになって初めて知ったのだが、かの国の人たちは、英語の人名でもことごとくスペイン語風に読み替えてしまう。英国のエリザベス2世女王は「イングランデリアのイザベル女王」になってしまうわけだ。長男ウィリアム王子は「ギエルモ」と呼ばれる。彼の結婚式のTV中継を私はマドリードで見たので、間違いない。

 

 ハリウッド女優のアンジェリーナ・ジョリーなど、若い人はおおむねそのまま読むが、年配の人は往々にして「アンヘルナ・ロペス」にしてしまう。この話も、マドリードの学校で講師から直接聞いた。

 

 英語圏に目を転じると、そもそもスペインという国名が英語風の読み方で、現地ではイスパニアもしくはイスパーニャであるし、イタリアの地名などフローレンス(フィレンツェ)、ベニス(ヴェネツィア)など、英語訛りの嵐である。

 

 日本では現地語風の読みが浸透しているが、戯曲や映画のタイトルは『ベニスの商人』『ベニスに死す』が定着している。

 

 最後はやはり、前回述べたことの繰り返しになるが、できるだけ現地語風に読もう、という発想に対して、私は反対ではない。ただ、発音の問題など諸々のハードルが存在する事も事実なので、安易な「現地語風」を採用するくらいなら、定着している「日本語風」でもよいのでは、と思えるのだ。

 

(続く、その1,その2,その3)




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