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.国際  投稿日:2022/12/3

忘れえぬ江沢民・クリントンの応酬 首脳同士の丁々発止、かくあるべし


樫山幸夫(ジャーナリスト、元産経新聞論説委員長)

【まとめ】

・先月死去した江沢民中国元国家主席とクリントン大統領との97年の共同記者会見が、知る人の間ではいまだに語り草になっている。

・中国の人権問題などをめぐって、丁々発止の応酬、まさに首脳同士の真剣勝負の趣で、周りは息をのんで見守るばかりだった。

・会見のふるまい方を知らず、国益を損ないがちな政府高官は、両首脳の速記録でも読めば、貴重な示唆を得られるだろう。

 

 歓迎、謝辞終了後に雰囲気一変

1997年10月29日。ところはホワイトハウス隣のオールド・エグゼクティブ・ビル講堂。国賓として訪米した江沢民主席クリントン大統領(当時)が首脳会談を終え、共同記者会見に臨んだ。

歓迎の辞、謝辞を兼ねた両首脳の冒頭発言が終わり、プレス側からの質問が始まった時、雰囲気は一変した。

現場で取材に当たっていた筆者のメモ、これを報じた翌日の産経新聞の記事をもとに再現してみるとー。

 主席「政治的騒乱に必要な手段とった」

1989年の天安門事件について聞かれた主席は「国家の安全を脅かし、社会の安定を損なう政治的騒乱に必要な必要な措置をとった」「党と政府はこの判断が正しかったと確信している」と従来の見解を繰り返し、民主活動家ら対する流血の弾圧を正当化した

脇で耳を傾けていたクリントン大統領は、聞かれもしないのに口を開き、「この問題では、われわれ(米中)の間に、明らかに考え方の相違がある」「この事件、それに続く活動家への容赦のない手段によって、中国は国際社会の支持を失った状況に置かれている」と中国を正面切って非難

 大統領「中国は誤った決断」

国賓を迎えての会見であり、とりあえず双方とも矛を収めるかと思われたが、江沢民氏は大統領が言葉を切るのを待ちかねたように口を開き、「民主主義、自由、人権というものは、それぞれの国家の状況に従って他国からの干渉抜きで実現されるべきだ」「米国滞在中の温かい歓迎には感謝しているが、時に“雑音”がきこえてくる」と皮肉たっぷりに不快感を表明した。

大統領はさらに追い打ち、「中国はさまざまな問題で正しい決定をしているが、この問題に限ってみれば誤った結論だ」「私自身、政策、家族についてさまざまなことを言われてきたが、私はいま、この場所にいる」と述べ、権力者は非難を受け入れる度量を持つべきと強調した。 

▲写真 旧行政府ビルで講話する江沢民主席とクリントン大統領(1997年10月29日 アメリカ・ワシントンDC)出典:Photo by Diana Walker/Getty Images

 沈黙すれば黙認となることを恐れる

このやりとり、10数分は続いただろう。記者会見というにはあまりに激越な論争だった。

筆者のメモには、「首脳の論争かくあるべし」と書き込まれている。

当時、米中関係は比較的良好であり、この江沢民訪米が翌年6月のクリントン訪中実現につなげようという思惑から、双方とも雰囲気を損ないたくないと考えていた。 

しかし、両首脳とも、ここで自ら言うべきことを言わなければ、相手の主張だけが伝えられ、自ら、それを黙認したと受け取られることを恐れたのだろう。 

江沢民死去のニュースを聞いて真っ先に思い出したのが、この記者会見だった。それだけ強烈な印象だったせいもあるが、もうひとつの理由は最近の記者会見では、緊張感などかけらもなく、ときに国益を大きく損なうようなケースが散見されるからだ。

ひとつ例を紹介する。20年11月に中国の王毅外相(現国務委員兼外相)が来日、茂木敏充外相(当時)と会談した際の共同会見だ。

▲写真 王毅外相(現国務委員兼外相)と茂木敏充外相(当時)共同会見(2020年11月24日 東京) 出典:外務省

ホストの茂木氏に次いで発言した王氏は、その最後で、「釣魚島(尖閣の中国側呼び名)の情勢、事態を注視している。ひとつの事実に触れたい」と口を開き、会場の関心を引き付けた。

「真相をわかっていない日本の漁船がこの水域に入る事態が起きている。中国側としてはやむをえず、必要な反応をしなければならない。引き続き主権を守っていく」と述べ、法令に従って操業している日本漁船を不当に非難。「敏感な水域で事態を複雑にする行動は避けるべきだ」と言い放った。

主権侵害はどちらか。「盗人猛々しい」ともいうべき王毅発言に茂木氏はどういうわけか愛想笑いをうかべるだけで一言も発することはなかった。

第3国の人が聞いて、茂木氏は王毅氏の主張を受け入れたと解釈されてもやむをえまい。 

江沢民ークリントン会見での攻防と王毅ー茂木会見の落差はどうだろう

 激しい論争も決定的な関係悪化に至らず

江沢民ークリントン共同会見には後日談がある。

会見では両首脳とも硬い表情を崩さなかったが、両氏は意外にウマが合ったらしく、翌98年には、クリントン大統領の国賓訪中が実現。中国以外には一切立ち寄らないにもかかわらず9日間にわたる長逗留で世界を驚かせた。

大統領が日本に立ち寄らなかったことに失望した日本国民の一部から“ジャパン・パッシング”などという自嘲的な言葉がささやかれた、あの時だ。

双方が激しい舌鋒を繰り出しても、不本意な形で両国関係が損なわれることはなかった。これこそ、真の大国同士の関係だろう

トップ写真:江沢民元中国国家主席とクリントン米大統領(1997年10月29日 ホワイトハウス) 出典:Photo by Diana Walker/Getty Images




この記事を書いた人
樫山幸夫ジャーナリスト/元産経新聞論説委員長

昭和49年、産経新聞社入社。社会部、政治部などを経てワシントン特派員、同支局長。東京本社、大阪本社編集長、監査役などを歴任。

樫山幸夫

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