核武装論議のタブー視、いつまで続く?議論と核戦争は別次元の問題だ

樫山幸夫(ジャーナリスト、元産経新聞論説委員長)
【まとめ】
・首相官邸高官の核保有発言が波紋を呼んでいる。
・最近公開された外交文書で、以前日本の首相が訪米した際、米側が日本の核武装に関心を示していたことが明らかになった。
・核武装をめぐる議論そのものをタブー視することに、もはやピリオドを打つべきではないか。
■ 自然だった元首相と米議会指導者の核論議
12月24日に公開された外交文書には、1994年2月に日米首脳会談のため訪米した細川護熙首相(当時)が、米上院のミッチェル(民主党)、ドール(共和党)の両院内総務と会談した際のやりとりが含まれている。
当時、情勢が緊迫していた北朝鮮の核問題に関して、ドール氏が細川首相に「日本は核兵器開発のための措置をとるのか」と水を向けた。
首相は、「その種の報道はあるが、可能性はない。日本は唯一の被爆国として核へのアレルギーが強い。非核3原則もここからでている」「経済的にも、米国の核の傘の中にとどまる方が賢明だ」と明確に否定した。
ミッチェル氏が「北朝鮮が核爆弾、ミサイルを所有しても核アレルギーは変わらないのか。自分で対処すべきと国内からの圧力が高まることはないか」と確認を求めるように尋ねると、細川氏は「日米安保条約の枠組みにとどまる。考えられる将来、(核武装は)ありえない」と重ねて断言した。
両院内総務の発言は、日本の核武装によって地域の安定を損なうことがないようにとの念押しだったろうが、見方によっては、容認したとの解釈もあながち否定できまい。
日本の首相と米の議会指導者の会談で交わされた真剣なやり取りは、核戦争の謀議を凝らしているわけではなし、極めて自然で違和感は感じられない。
■ 抑止力議論への非難は言論封じに等しい
官邸高官による核武装発言をめぐる経緯は、各メディアで詳細に報じられた。
簡単に触れると、オフレコ懇談で、安全保障担当の高官が、「日本は核武装すべきだ。自分を守るのは自分だ」などと「個人的見解」を表明した。その一方で非核3原則の存在などに言及、簡単ではないとの認識も示した。
各社は一部を除いてこの発言を批判的に報じ、立憲民主党はじめ野党各党、自民党の一部からも非難の声があがっている。
広島、長崎の惨禍に思いを致すことは重要だし、日本の核武装は官邸高官の指摘を待つまでもなく現実離れしている。東アジアの軍事、政治情勢を不安定、混乱もたらすだろう。
しかし、抑止力としての核武装を議論の俎上に載せただけで「悪」と断じることは、いささか乱暴、言論封じといわれてもやむをえまい。
1994年の段階で、日本の首相とアメリカ議会の要人の間で堂々と議論が交わされていることをみるにつけ、官邸高官への批判は卑小に思えてくる。
高官が非難されるとすれば、選挙で選ばれた議員でもないのに、デリケートな問題で記者に見解を語ったことだろう。官邸内に核武装を許容する雰囲気があるとすれば、それこそ深刻な事態というべきだろうが・・・
■ 日本でも核論議は散見される
アメリカ国内ではその後も、核武装、核配備に関する議論が散見されている。
日本ではほとんど報じられなかったが、筆者がワシントン勤務だった2003年、 保守派コラムニスト、チャールズ・クラウトハマー氏が、リベラルで知られるワシントン・ポスト紙に投稿。「北朝鮮の核問題を打開するためには、日本に核抑止力を保持させるか、核ミサイルを提供すること」と、明快な日本核武装論を展開した。
米中接近の立役者であり、ニクソン政権で大統領補佐官、国務長官を務めたヘンリー・キッシンジャー氏は2017年8月に「ウォールストリート・ジャーナル」紙への寄稿の中で、朝鮮半島の危機が続けば、日本の核武装への道を開くと予測。
知日派のケント・カルダー米ジョンズホプキンス大ライシャワーアジア研究所長も同じ年の12月、産経新聞のインタビューで、「米国と日本は、核戦略を集中的に議論すべき。韓国や日本に戦術核を配備することも考えられる」との見解を示した。
日本国内でも、石破茂前首相が「核の共同保有」論を展開しているし、かつては故中川昭一衆院議員が、自民党政調会長時代、「必要最小限の自衛力の中には核も入る」と主張していた。
それでもなお核論議はタブーなのか。
「政府はあらゆる選択肢を排除せず、自由で柔軟な発想で安保政策を検討、遂行しなければならない」(産経新聞12月24日付「主張」)という指摘は、まさにその通りだろう。
脅威が多様化している中では、安全保障の議論も大胆であるべきだ。それは、核兵器を使用することとは異なる問題だろう。
写真)ミサイルを発射する北朝鮮のニュースを見るソウル市民
出典)Chung Sung-Jun/Getty Images




























