アニサキス研究第一人者 相馬中央病院原田文植医師
上昌広(医療ガバナンス研究所理事長)
「上昌広と福島県浜通り便り」
【まとめ】
・アニサキス症は、アニサキスに寄生された生魚や加熱不十分な魚介類を食べることで引き起こされる寄生虫感染症である。
・近年の温暖化が、アニサキスの増殖を後押し、また魚を生で食べる習慣が海外でも広まったことで、世界のアニサキス症への認識が広まった可能性がある。
・アニサキス症はがんや出血性胃潰瘍、好酸球性食道炎などとの関係を示唆する論文も発表されており、今後も研究が必要である。
福島県と関わり始めて12回目の年末を迎えようとしている。年内、最後の寄稿では、福島に関して、今年、最も印象に残った臨床研究をご紹介したい。
それは相馬中央病院の原田文植医師による寄生虫アニサキスの研究だ。
原田医師は関西出身。1998年に大阪医科大学(現大阪医科薬科大学)を卒業し、関西・東京で内科医として診療後、2020年11月に相馬市中央病院に異動した。共通の知人を介して知りあい、私が相馬中央病院をご紹介した。
アニサキス症は、アニサキスに寄生された生魚や加熱不十分な魚介類を食べることで引き起こされる寄生虫感染症だ。多くは胃アニサキス症であるが、たまに小腸や大腸に感染することもある。
胃アニサキス症の場合、食後数時間で、心窩部に激しい痛みを生じる。悪心・嘔吐や蕁麻疹用の皮疹などアレルギー症状を伴うこともある。この痛みはアニサキスが胃粘膜に侵入するときに生じると考えられている。アニサキス症を疑った場合、医師は胃内視鏡を行い、胃粘膜に侵入している虫体を見つければ、鉗子で除去する。
原田医師がアニサキス症に興味をもったのは、2021年6月、全身に蕁麻疹を生じ、夜間救急外来を受診した70代の女性患者を診察したときだ。その日、彼女はコロナワクチンを接種しており、ワクチンの副反応と思っていた。
原田医師は、定石どおり、蕁麻疹の治療薬である抗ヒスタミン剤を点滴した。ほどなく皮疹は軽快したため、帰宅させた。ただ、「胃がシクシクする」と訴えていたため、翌日の外来受診を指示した。翌朝、外来を受診した患者は、蕁麻疹は完全に消失していたが、胃の不快感は残っていた。
私なら、そのまま胃薬をだして、様子をみるところだが、原田医師は「何かおかしい」と感じて、患者に問診を続けたところ、「ワクチン当日に漁師から譲り受けたヒラメを食べた」という。緊急で胃カメラを行ったところ、「胃には10隻のアニサキスがいた」というではないか。鉗子でアニサキスを除去したところ、胃の症状は軽快した。このあたりの勘の良さは、名医と言わざるをえない。
写真)相馬中央病院にて入院患者に処置中の原田医師(右から二人目の白衣の医師)、処置をしているのは、共同研究者の齋藤宏章医師
筆者提供)
原田医師は、その後もアニサキス症の患者を経験した。刺身を食べた後に二度、アナフィラキシーショックに陥った患者を診察したこともあった。前回はサバアレルギーと診断されたが、アニサキスに対するアレルギーを証明した。注意してみれば、相馬中央病院に受診するアニサキス症患者は着実に増えていた。
原田医師はアニサキス症に興味を持ち、色々と調べ始めた。過去のカルテを調べたところ、相馬中央病院を受診するアニサキス症患者は2019年4件、20年3件、21年7件、22年19件と急増していた。
これは相馬中央病院に限った話ではない。22年8月20日に東洋経済新報が掲載した「【アニサキス症】食中毒激増!背景に2つの理由」という記事には、「アニサキス症が厚生労働省の食中毒統計の病因物質に追加されたのが2012年末。2013年から2016年までの患者数(医療機関から保健所に届け出があった患者の数)は100人程度だったが、2018年以降は400人前後になっている」とある。
アニサキス症の増加の理由については、色んなことが言われている。原田医師が取材した地元の漁師は、「温暖化が影響している」と考えている。その理由は、「(福島沖では)水温が上昇するほど、アニサキスは増殖しやすいから」らしい。現に「水温が高い沖合の方がアニサキス陽性率は高い」そうだ。近年の温暖化が、アニサキスの増殖を後押ししているのかもしれない。
ただ、アニサキス症増加の本当の理由はわからない。私は、魚を生で食べる習慣が海外でも広まり、世界のアニサキス症への認識が深まったことが大きいのではないかと考えている。かつて、アニサキス症は日本やスペインなど一部の国に限られていた。2010年以前は、医学誌に報告されたアニサキス症の論文の9割以上は日本からだったという。しかしながら、近年はアイスランド・デンマーク・イラン・タイ・豪州などからも論文が発表され、2020年以降の日本からの発表は、全体の5割程度だ。このような世界的な関心の高まりが、日本にも影響しているのではなかろうか。
アニサキス症は、従来から過小評価されていた。2022年10月に国立感染症研究所のグループが『新興感染症雑誌』で発表した研究によれば、日本のアニサキス症の推計年間発症数は1万9,737例という。感染症法の規定に基づき、2021年に厚労省に届け出されたのは344例だけだから、大部分は見逃されているのだろう。
帝京大学の研究チームが2020年に『アレルギー』誌に発表した研究によれば、同大学の救急外来を受診した181例のアナフィラキシー患者のうち、28例はアニサキスが原因だったという。原因としては最も多く、小麦21例、抗生剤13例が次ぐ。これは重症のアナフィラキシーだから大学病院を受診し、原因が判明したのだろう。軽症なら、冒頭にご紹介した症例のように、よほど主治医が優秀でなければ、単なる蕁麻疹として処理されていたはずだ。
かくの如く、アニサキス症については、まだ分からないことが多い。国際的な認知の高まりと共に、色んな研究が発表されている。例えば、癌との関係だ。2021年、スペインの研究チームは、アニサキスに感染したこと意味する血液中の抗体を用いた研究で、胃がん・大腸がん患者のアニサキス抗体陽性率は、健常人より4.0~6.0倍高かったことを米『メディスン』誌に報告している。この研究から、アニサキス症が胃がん・大腸がんの原因と結論することはできないが、今後の研究が必要だ。がん以外にも、出血性胃潰瘍、好酸球性食道炎などとの関係を示唆する論文も発表されている。
このような後遺症に注目が集まるようになったのは、一部の患者でアニサキスが無症状で慢性感染することが分かってきたからだ。このことは2018年に始めて報告され、原田医師も今年11月『症例報告』誌に自験例を報告した。その後の調査では、2008年から相馬中央病院で胃がん検診を受けた1500人中3件で無症状のアニサキス症が見つかったという。0.2%の罹患率というのは、公衆衛生的には無視できない数字だ。無症状の慢性感染の臨床像を明らかにし、その対策を講じなければならない。現在、原田医師が取り組んでいる臨床研究だ。
ここまでお読みになり、魚を食べることが心配になった人もおられるだろう。ただ、きっちりと対応すれば、そんなに不安になる必要はない。なぜなら、アニサキスは、60度で1分の加熱、あるいはマイナス20度で24時間の冷凍で死滅するからだ。
問題は、刺身など生魚だ。ただ、これも市販の刺身を食べる分にはあまり心配しないでいい。魚の加工施設で、太陽光あるいはブラックライトなどを用いて、肉眼でチェックしているからだ。アニサキスの体調は2-3センチで、慣れた専門家なら見逃すことはない。
それでも、心配な人は、刺身をよく噛んで食べることだ。口の中でアニサキスを切り刻むことで、アニサキスは死ぬ。原田医師は、「アジのなめろうや、イカの刺身に包丁で切れ目を入れるのは、古くからのアニサキス予防の知恵」という。
そうなると危険なのは、市場を介さない魚だ。つまり、釣ってきた魚、漁師から直接貰った魚だ。こういう魚は刺身で食べることは勧めない。2020年10月、東京大学農学部の研究者たちが参加した国際研究チームが『国際寄生虫雑誌』に発表した研究によれば、シロザケやスケソウダラは100%の個体でアニサキスが確認されたという。それ以外では、真鱈100%、チャブサバ60%、トビイカ17%、マイワシ2%という感じだ。
原田医師と付き合いがある相馬の漁師は「基本的にすべての魚にアニサキスはいる」という。常磐ものとして有名なアンコウは、「そのお腹の中はアニサキスだらけ」らしい。原田医師は、「アンコウは鍋で食べるが、刺身にしないのは、アニサキス症のリスクを回避するため」という。これは長年にわたる経験で、相馬地方が獲得した智恵だ。温暖化で、魚の生息域が変化した場合、試行錯誤することになるだろう。
以上、私が原田医師から学んだことだ。相馬で働きながら、世界最先端の臨床研究を推し進めている。心から敬意を表したい。
トップ写真:虫眼鏡で拡大したアニサキス
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この記事を書いた人
上昌広医療ガバナンス研究所 理事長
1968年生まれ。兵庫県出身。灘中学校・高等学校を経て、1993年(平成5年)東京大学医学部医学科卒業。東京大学医学部附属病院で内科研修の後、1995年(平成7年)から東京都立駒込病院血液内科医員。1999年(平成11年)、東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。専門は血液・腫瘍内科学、真菌感染症学、メディカルネットワーク論、医療ガバナンス論。東京大学医科学研究所特任教授、帝京大学医療情報システム研究センター客員教授。2016年3月東京大学医科学研究所退任、医療ガバナンス研究所設立、理事長就任。