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.政治  投稿日:2022/11/5

「高岡愛誕生」未公開メモ② 結成の直前には「高岡発ニッポン再興」その34


出町譲(高岡市議会議員・作家)

【まとめ】

当選後、待ち受けていたのは会派の問題であり、「政局より、政策」というスタンスを貫きたいと考えた。

・自民系の3つの会派(自民党議員会、未来創政会、自民同志会)は再び合流する方向で検討していた。

・熊木議員、嶋川議員と意気投合し、新会派「高岡愛」を結成。

 

高岡市議に当選してから1年経ちました。3人の新人がつくった新会派「高岡愛」として活動させていただいています。支援をいただいている皆さまのお陰です。我々の会派3人は自民党の党籍を持っています。それなのになぜ、あえて新しい会派をつくったのか。当時のメモを初めて公開します。

去年10月31日投開票の高岡市議選の結果、自民党籍を持つ新人5人は当選し、22人に拡大しました。一方、あおりを食ったのは、共産党です。市議2人とも落選しました。

当選後、私に待ち受けていたのは、会派の問題でした。

私は何度も「どこの会派に入るのか」と質問を受けていました。

「“1人会派”で構わない」。そう答えていました。今さら、会派に入りたくないというのが本音でした。「政局より、政策」というスタンスを貫きたいと考えたのです。

3カ月前の7月の市長選の結果、自民党系の会派は、3つに分かれていたのです。最大会派の自民党議員会(10人、うち2人引退)と未来創政会(6人)、自民同志会(3人)。

未来創政会というのは、角田悠紀市長を推した会派です。最大会派の自民党議員会は、別の自民党推薦の候補者を推していました。

この自民系の3つの会派は再び合流する方向で検討していました。会派の結成届の期限は11月8日。

 会派の動きは水面下では風雲急でした。ただ、私は目の前のことに追われていました。11月1日には市役所で、当選証書を手にしました。ずらりと並ぶ当選者。先輩議員の姿を見ながら、いよいよ市議会議員になる。身の引き締まる思いでした。

一方、地元新聞社は連日、自民党の会派の合流話を報じていました。「自民会派が合流大筋合意」という見出しも踊りました。そんな状況を見て、ある支援者は「一匹狼では何もできないよ。自民党の会派に入ったほうがいい」と忠告してくれました。

それでも私は「一人会派でもいい」と主張していました。3カ月ほど前の市長選で対立していたのに、どうして合流するのか。市長選、市議選2つの選挙で、投票してくれた人にどう説明するのか。私は、市民不在のような気がして、違和感を覚えたのです。それに巨大な「与党」ができたら、行政のチェックはできなくなるのではないか。懸念しました。

もちろん、そうはいっても1人より、複数の方がいい。議会において数は力。長年、報道の現場にいて、政治をウォッチしてきたものとしては、会派の重要性もわかっています。密かに連携に期待していたのは、26歳の熊木議員です。

私と同じ小学校の校下で、熊木議員のおじさんは、私の幼馴染でした。小学校時代の同級生は、私を支援してくれる一方で、熊木議員の応援もしていました。家族の中で、票を分けてくれていたのです。「接点ができればいいのに」。ぼんやりと考えていました。

その時、熊木議員から連絡がありました。話をしたいというのです。渡りに船でした。

 その後、新たな局面となりました。

2人で会った後、嶋川議員も面談。3人は意気投合しました。長時間話し合って、新会派をつくることになりました。政治理念も近く、とんとん拍子に話が進んだのです。それが新会派「高岡愛」です。すべては極秘に進めました。 

11月7日、会派の設立届け締め切り前日です。私たちは胸にあるバッチをつけて、勝負の会見を開きました。

(つづく。

トップ写真:新会派「高岡愛」の会派届けを出す嶋川武秀、出町譲熊木義城 出典:筆者提供




この記事を書いた人
出町譲高岡市議会議員・作家

1964年富山県高岡市生まれ。

富山県立高岡高校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。


90年時事通信社入社。ニューヨーク特派員などを経て、2001年テレビ朝日入社。経済部で、内閣府や財界などを担当した。その後は、「報道ステーション」や「グッド!モーニング」など報道番組のデスクを務めた。


テレビ朝日に勤務しながら、11年の東日本大震災をきっかけに執筆活動を開始。『清貧と復興 土光敏夫100の言葉』(2011年、文藝春秋)はベストセラーに。


その後も、『母の力 土光敏夫をつくった100の言葉』(2013年、文藝春秋)、『九転十起 事業の鬼・浅野総一郎』(2013年、幻冬舎)、『景気を仕掛けた男 「丸井」創業者・青井忠治』(2015年、幻冬舎)、『日本への遺言 地域再生の神様《豊重哲郎》が起した奇跡』(2017年、幻冬舎)『現場発! ニッポン再興』(2019年、晶文社)などを出版した。


21年1月 故郷高岡の再興を目指して帰郷。

同年7月 高岡市長選に出馬。19,445票の信任を得るも志叶わず。

同年10月 高岡市議会議員選挙に立候補し、候補者29人中2位で当選。8,656票の得票数は、トップ当選の嶋川武秀氏(11,604票)と共に高岡市議会議員選挙の最高得票数を上回った。

出町譲

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