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.政治  投稿日:2023/4/21

「盛田昭夫文庫」で起業家精神を学ぼう「高岡発ニッポン再興」その72


出町譲(高岡市議会議員・作家)

【まとめ】

・富山市立図書館にはソニー創業者盛田昭夫さんの蔵書500冊が展示されている。

・自信喪失しているニッポンに必要なのは盛田スピリッツ。

・第二、第三の盛田昭夫を高岡から輩出したい。

 

先日訪れた富山市立図書館で驚いたのは、ソニー創業者、盛田昭夫さんのコーナーです。

遺族から寄贈された盛田昭夫さんの蔵書500冊が展示されていたのです、本人による書き込みや付箋もあります。富山市と盛田昭夫さんは、直接的には接点はないようです。

図書館の関係者によれば、遺族が富山市のことを気に入り、寄贈したそうです。富山市ガラス美術館と併設する図書館の建物が完成した翌2016年のことです。

もちろん、本人が書いた本もありますが、当時、会長室にあった本です。ざっと見る限り、日米関係、経済、経営などの本だけでなく、自然科学、教育など分野は多岐にわたります。

生前、盛田氏は経済人としては傑出した論客でしたが、それは、勉強のたまものだったのです。鉛筆で傍線を引いたり、批評を書き残したりしています。

戦後ニッポンの巨人の思想の原点がわかるのです。これらの本は、富山県民、いや全国の人に、読んでもらいたいですね

経済記者30年をやった経験から、いまこそ第二・第三の盛田昭夫が生まれて欲しいからです。自信喪失しているニッポンに必要なのは盛田スピリッツです。

盛田さんと言えば、井深大さんと一緒に戦後間もない、1946年にソニーを創業

人のやらないことをやる精神で、トランジスタラジオを皮切りに次々に製品を開発。

終戦で焼け野原になった日本が立ち上がるきっかけをつくったのです。どんどんアメリカに製品を輸出。「安かろう、悪かろう」の日本製品のイメージを一新したのです

とりわけ「ウォークマン」は、世界の人々のライフスタイルを一新したのです。歩きながら音楽を聴くようになったのです。私は盛田さんを直接取材したことはありません。ただ、ニューヨーク赴任中、最も誇らしい日本人でした。

私は1998年から2001年まで時事通信のニューヨーク特派員として赴任していましが、当時、ニューヨークのマンハッタンにソニービルがありました。37階建ての超高層ビル。君臨していたのです。度肝を抜かれました。

ソニー製品は、多くのアメリカ人にとって憧れでした。「カッコいい」というイメージだったのです。そして、私が驚いたのは、多くのアメリカ人の事実誤認です。ソニーについて日本企業だと知らず、アメリカ企業だと思い込んでいました。それほど、アメリカに溶け込んでいたのです。

盛田さんは1999年10月3日死去。そのニュースは世界を駆け巡りました。今でも覚えています。翌日付のニューヨーク・タイムズが1面に報じました。追悼記事は1ページ半ぐらいでした。国家元首でもない、民間の外国人の死去がこれほど大きな記事になったことは、前例がないことでした。

さらに私が驚嘆したのは、その2日後のアップルの記者会見。アップルのスティーブ・ジョブズさんが盛田昭夫さんの写真を背にして、新商品の記者会見を行っていました

ジョブズさんはソニーからいかに影響を受けたかを語り、「今回の新製品が天国にいる盛田を喜ばせたい」。その後のiPhoneの開発などにつながります。盛田昭夫さんから影響を受けたジョブズさんが世界を変えたのです

それにしても盛田さんの遺族の心を鷲掴みにした富山市。すごいなと思います。それに富山市民はラッキーですね。高岡市民としては、羨ましい想いもありますが、第二・第三の盛田昭夫を高岡から輩出されれば、と思っています。起業を目指す若い人には、「盛田昭夫文庫」を覗いてほしいですね。

トップ写真:富山私立図書館に寄贈された盛田昭夫氏の蔵書(盛田昭夫文庫)筆者提供




この記事を書いた人
出町譲高岡市議会議員・作家

1964年富山県高岡市生まれ。

富山県立高岡高校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。


90年時事通信社入社。ニューヨーク特派員などを経て、2001年テレビ朝日入社。経済部で、内閣府や財界などを担当した。その後は、「報道ステーション」や「グッド!モーニング」など報道番組のデスクを務めた。


テレビ朝日に勤務しながら、11年の東日本大震災をきっかけに執筆活動を開始。『清貧と復興 土光敏夫100の言葉』(2011年、文藝春秋)はベストセラーに。


その後も、『母の力 土光敏夫をつくった100の言葉』(2013年、文藝春秋)、『九転十起 事業の鬼・浅野総一郎』(2013年、幻冬舎)、『景気を仕掛けた男 「丸井」創業者・青井忠治』(2015年、幻冬舎)、『日本への遺言 地域再生の神様《豊重哲郎》が起した奇跡』(2017年、幻冬舎)『現場発! ニッポン再興』(2019年、晶文社)などを出版した。


21年1月 故郷高岡の再興を目指して帰郷。

同年7月 高岡市長選に出馬。19,445票の信任を得るも志叶わず。

同年10月 高岡市議会議員選挙に立候補し、候補者29人中2位で当選。8,656票の得票数は、トップ当選の嶋川武秀氏(11,604票)と共に高岡市議会議員選挙の最高得票数を上回った。

出町譲

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