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.政治  投稿日:2023/7/25

「セメント王」浅野総一郎物語⑨  官営工場払い下げに名乗り


出町譲(高岡市議会議員・作家)

【まとめ】

明治政府、国産セメント開発に全力を挙げた。

・浅野は、渋沢栄一にセメント工場の払い下げを相談。

・浅野は、海外の原料の紡績と国産原料のセメントの違いを表明した。

 

浅野総一郎と言えば、「セメント王」として知られています。なぜ、そのような呼称になったのでしょうか。官営のセメント工場を引き受けたことがきっかけです。ここはもともと、仙台藩の江戸屋敷跡です。

明治政府は「文明開化の第一歩はセメントだ」という方針を掲げ、国産セメントの開発に全力を挙げました。海外に技術者を派遣し、最新の製造方法を取得させました。その結果、国産セメントの品質はどんどん改善し、品質面では、外国産に劣らなくなったのです。

近代化とともに、灯台、鉄道、港湾、軍施設、工場などの建設が目白押しとなり、セメント需要は急増していました。「火事に強い」セメントに期待が集まりましたが、官営工場だけに経営はのんびりとし、経営は悪化していました。操業停止などが起きていたのです。

総一郎は、このセメント工場の経営をしたいと、思いました。明治14年7月。総一郎は、渋沢栄一に、深川のセメント工場の払い下げに名乗りを上げたいと相談しました。渋沢は政官業に幅広いネットワークを持っています。

総一郎の話を聞いた渋沢は懸念しました。

「将来性があるというのは同感します。近代化とともに、近代建築が増えます。しかし、セメント業というのはどうですかね。相当難しい事業で、誰も払い下げに手を上げる人はいません」。

その上で、紡績工場を一緒に経営しないかと、逆に誘ってきました。

それに対して、総一郎はきっぱりと言い切りました。

「私は深川のセメント工場に出入りしています。実はそこでセメントの技術を見ているのですが、うまく採算ベースに軌道に乗せる自信があります。文明開化で煉瓦やコンクリート造りの建物がこれからどんどん建築されるでしょう。需要は高いと思います」

それに対しての総一郎の返答は面白いです。「紡績は、中国産綿も原料として使っていますよね。カネを出して海外から原料を買うのはバカらしい。日本国内で取れる石灰石と粘土、そして石炭で作るセメントの方がはるかにお国のためになるのではないでしょうか」。

まさに、海外の原料の紡績と、国産原料のセメント。その違いをはっきり表明したのです。総一郎に軍配が上がりました。渋沢は根負けしました。

「それほどやる気があるなら、私も協力しましょう。私は工部卿の山尾さんをよく知っています。一緒にお願いしましょう」。

工部省は、殖産興業を推進した官庁で、明治政府ができたばかりのころは最強官庁の一つです。

工部卿の山尾庸三。工部省のトップです。山尾は文久3年(1863)年に伊藤博文井上馨らと一緒にロンドンに留学した「長州5傑」、いわば長州ファイブの1人です。その後の明、治政府でも絶大な力を持ち、官営工場の払い下げに関しては最高責任者でした。

渋沢は自家用の馬車に総一郎を乗せ、工部省に行きました。そして「払い下げ」について陳情したのです。

「浅野総一郎に関しては、この渋沢が保証します。浅野は三井、三菱のような有名な財閥ではありませんが、大変な努力家です。浅野に払い下げれば、昼も夜も汗をかいて働き、セメント工場の生産も増えるでしょう」。

山尾は別れ際にこんな発言をしました。

「深川のセメント工場が運転を休止してから、三井からは倉庫を建てたいので払い下げてくれという申し出がありました。三菱からは別荘を建てたいから払い下げろと言われました。実は大いに困っていたのです。政府としては、セメント工場を継続して経営してもらいたいからです」

渋沢は面談の後、帰りの馬車の中で総一郎にこう言いました。

「山尾さんは今回のセメント工場については浅野君を指名するでしょう。長年付き合っているので、今日の態度で分かりました。きっといい結果がでますよ」

総一郎は改めて渋沢に感謝した。「この人には一生逆らえないな」。

(その⑩につづく。

トップ写真:浅野総一郎 出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」




この記事を書いた人
出町譲高岡市議会議員・作家

1964年富山県高岡市生まれ。

富山県立高岡高校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。


90年時事通信社入社。ニューヨーク特派員などを経て、2001年テレビ朝日入社。経済部で、内閣府や財界などを担当した。その後は、「報道ステーション」や「グッド!モーニング」など報道番組のデスクを務めた。


テレビ朝日に勤務しながら、11年の東日本大震災をきっかけに執筆活動を開始。『清貧と復興 土光敏夫100の言葉』(2011年、文藝春秋)はベストセラーに。


その後も、『母の力 土光敏夫をつくった100の言葉』(2013年、文藝春秋)、『九転十起 事業の鬼・浅野総一郎』(2013年、幻冬舎)、『景気を仕掛けた男 「丸井」創業者・青井忠治』(2015年、幻冬舎)、『日本への遺言 地域再生の神様《豊重哲郎》が起した奇跡』(2017年、幻冬舎)『現場発! ニッポン再興』(2019年、晶文社)などを出版した。


21年1月 故郷高岡の再興を目指して帰郷。

同年7月 高岡市長選に出馬。19,445票の信任を得るも志叶わず。

同年10月 高岡市議会議員選挙に立候補し、候補者29人中2位で当選。8,656票の得票数は、トップ当選の嶋川武秀氏(11,604票)と共に高岡市議会議員選挙の最高得票数を上回った。

出町譲

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