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.社会  投稿日:2023/10/27

えげれす国紫煙譚(上)たまにはタバコの話でも その3


林信吾(作家・ジャーナリスト

林信吾の「西方見聞録」

【まとめ】

・1983年、ロンドンでは電車やバスの中で喫煙が許されていた。

・1987年、地下鉄駅の火災がきっかけで駅構内すべて禁煙。

・21世紀に入り、喫煙者は絶滅の危機に瀕している。

 

1983年から93年まで英国ロンドンで暮らしたわけだが、当初、タバコがらみで驚かされたことがふたつあった。

ひとつは電車やバスの中でも喫煙が許されていたこと。いまひとつは、タバコも買えない(らしい)若者が大勢いたことだ。

前者からまず見て行くと、日本では1978年から嫌煙権運動というのが高まりを見せてきていたが、それ以前も未成年の喫煙(未成年者喫煙禁止法は、1900年=明治33年に早くも施行されている)と、電車やバスでの喫煙は御法度だった。

ところがロンドンに来てみると、有名な2階建てバスにさえ一部に喫煙可能な席があったし、地下鉄も禁煙車と喫煙車に分かれていた。喫煙車は何両かに1両だったと思うが。

公共交通機関がこうであるから、歩きタバコなどまるで官許の扱いだった。

それでいながら、タバコも買えないのか、と思える若者が多かったと述べたが、こちらは私の実体験である。

歩きタバコはさすがにやらなかったが、パブやカフェでは、腰を下ろしたらまずタバコを取り出し、ちょっと一服、と決めていた。すると、結構な頻度で近くの席から、

タバコ1本くれない?」

と声がかかる。街中でもよくあったし、小銭をせびられたことも一度や二度ではない。いちいち相手にしていたらきりがないので(そもそも義理も借りもない!)、路上では取り合わなかったが。

当時の日本は「一億総中流」などと言われていた時代で、高度経済成長とバブル景気の端境期とでも言おうか、比較的安定した生活を大半の人が享受しており、格差も今ほど問題になっていなかったし、少なくとも私の生活圏においては、見ず知らずの通行人にタバコや小銭をせびるようなビンボーは消滅していた。

なんだ、日本の教科書なんて嘘ばっかりじゃないか、と突拍子も無いことを思ったほどだ。

突然なんの話を始めるのか、と思われた向きもあろうが、小学校の時に「道徳」という科目があって、教科書の中に『小さな紳士』と題した、かの国を舞台にした物語が載っていたのである。

ロンドンを訪れた日本人が、身なりの貧しい男の子でさえ帽子を取って挨拶するのを見て感動した、といったようなことである。別の男の子に道を尋ねたら、知らねえよ、みたいな態度を取られたのだが、すると母親が、

「いけませんよ、そういう態度は。貴方は小さな紳士なのだから」

と注意したのを見て「感動のおかわり」だった、というような話だ。

もちろん小学生当時でも、そこは林信吾である。どうせ作り話だろう、くらいに受け止めて、本気で感心することなどなかったが、後に『小さな恋のメロディ』という映画(公開は1971年だが、私はもう少し後で見た)で、小学校の運動会のシーンがあるのだが、タバコを吸っている子がいたので、現実はこんなものだろうな、と妙な具合に納得したのを覚えている。

実際、英国ロンドンで暮らすようになってから、あらためて日本の教科書のデタラメぶりに怒りを覚えた。この国の、労働者階級のガキどもの行儀の悪さ、口汚さときたら……

人種差別発言も幾度となく浴びせられたが、相手は決まって身なりの悪い若造で、前にも述べたことがあるが、地下鉄の中でツバを吐きかけられたものだから、回し蹴りで返礼したことがある。こちらも若気の至りではあったが笑。

タバコに話を戻すと、路上はもとより公共交通機関でさえ喫煙OKだったが、その割には備え付けの灰皿など、まず見当たらなかった。とどのつまり駅構内も周辺の路上も、ポイ捨てされた吸い殻だらけであったのである。

潮目が一挙に変わったのは、1987年11月に起きた、地下鉄駅での惨事、世に言うキングス・クロス火災がきっかけだった。

キングス・クロス駅とはロンドン北部の主要ターミナル駅のひとつで、地上駅はブリティッシュレール(当時のイングランド国鉄)が、そして地下駅にはメトロポリタン、ノーザン、ピカデリー、ヴィクトリアと、じつに地下鉄4路線が乗り入れている。

地下鉄ホームはかなり深いところにあり(大戦中、ナチス・ドイツによるロンドン空襲の際はシェルターとして利用された)、長いエスカレーターで上り下りするのだが、そのエスカレーターの羽目板は木製であった。

よく知られる通り、ロンドンは世界で最初に地下鉄が営業開始した(1863年)街だが、設備の更新という点では、後発の日米などに後れを取っていたのである。

おまけに、旧式の設備にもかかわらず、過去に大きな事故が起きていなかったため、検知器などもろくに備えられず、職員の防災・避難誘導訓練もまともに実施されていなかった。消化器はあるにはあったが、駅員は使用法を知らなかったそうだ。

11月18日(水曜日)午後7時頃、地下鉄ピカデリー・ラインのホームへと下るエスカレーターで火災が発生。

斜面で火災が起きると炎と煙が一挙に上昇する「トレンチ効果」が起きて、エスカレーターの地上側近くにあったチケット売り場に並んでいた多数の乗客が、逃げる間もなく黒煙と炎に巻き込まれてしまった。この現象(トレンチとは戦場に掘る塹壕のこと)は、当時の英国では「未知の現象」「想定外の事態」などと言われたが、陶芸の伝統が長い日本では「登り窯」の原理として知られている。

こうした悪条件が重なった結果、死者31名、救急搬送された負傷者100名、うち19名は重度の火傷を負うという大惨事となってしまった。

これを受けて、LT(ロンドン・トランスポート=地域交通局)の総裁と、運行管理担当の上席役員が辞任したほか、LT管理下の全ての駅で、エスカレーターから木製の羽目板を撤去し、金属製と交換されることが決まった。

そして事件から5日後の11月23日には、LT管理下の駅構内すべてを禁煙とする、と公式に発表されている。と言うのは、そもそも火災の原因は、エスカレーターの機関部に埃や紙くず(ハンバーガーの包み紙とか)といった可燃性のゴミが溜まっていて、そこに火のついたままのタバコが投げ捨てられたことによるものだと判明したのだ。

1990年代の半ば頃から、出版業界で「イギリス・ブーム」と呼ばれる現象が起き、かの国を褒め称える書籍が相次いでベストセラーとなった。

それらの内容が、前述の、小学校時代の道徳の教科書も裸足で逃げ出すほどひどいものだったので、穏健派の私もさすがに黙っていられなくなり、97年に『イギリス・シンドローム』(KKベストセラーズ、電子版アドレナライズ)という1冊を世に問うた。

様々な「礼賛本」を俎上に載せて、そのデタラメぶりを批判したものだが、本項のテーマに即したところで言うと、ロンドンの地下鉄に関して、

「イギリスでは、ゴミはみんな自分で持ち帰るのが当たり前になっている」

などと書いてのけた、英国貴族と結婚した日本女性がいたので、前述のキングス・クロス火災を例にとり、そこまでモラルの高い国でどうしてこのような惨事が起きたのか、と述べ、さらにはカッコ付きで、

(そんなのは全部、有色人種の移民の仕業だ、などとは、まさか言い出さないでしょうな)

とトドメまで刺しておいた。

ただ、今さら英国人をフォローするわけでもないが、かの国の人たちは、決められたことは守る。つまり、駅構内は禁煙とのお達しが出て以降、喫煙者をとんと見かけなくなった。

その後21世紀に入って、喫煙者自体が絶滅の危機に瀕している。次回、その話を。

トップ写真:31人が死亡した地下鉄キングスクロス駅の火災後の焦げたエスカレーター(イギリス・ロンドン 1987年11月18日)出典:Photo by Keystone/Hulton Archive/Getty Images




この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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