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.社会  投稿日:2023/10/17

早稲田の杜の絶滅危惧種 たまにはタバコの話など その1


林信吾(作家・ジャーナリスト

林信吾の「西方見聞録」

【まとめ】

・高度経済成長の1960年代、成人男性の喫煙率は80%。

・現在は、男性25.7%、女性7.7%。

・タバコは値上げ幅が大きいので、喫煙は富裕層の特権と見なされる世の中になるのではないか。

 

先日、所用で早稲田大学に出向いた。

わが業界には早大出身者がむやみやたらと(失礼)多く、色々な時代の色々な話を聞かされてきてはいるのだが、実際にキャンパスに足を踏み入れたのは、この歳になって初めてのことである。

まず驚かされたのは、高田馬場駅から恐ろしく遠かったこと。

私が卒業した都立志村高校(少子化の影響で、今はない)も駅から遠くて不便であったが、もっとひどいかも知れない。

前述のように、幅広い世代の早大出身の友人知人がいるが、一番若い方だとまだ30代の女性ライターで、在学中に知り合っている。その彼女からは、早大生は今でも大酒飲みが多のいとのことで、

「金曜の夜とか、決まってババ(高田馬場駅)の周りで5~6人死んでますよ」

と聞かされた。もちろん絶命しているわけではなく、泥酔して動けなくなっている状態をそう表現したに過ぎない。ただ、実際に駅からキャンパスまで往復して、学校近くでしたたかに呑んでから歩いたら、駅前で力尽きる者がいてもおかしくない。それはもはや泥酔でなく遭難だ、などと思った。

初代学長たる大隈重信については、以前この連載でも触れたことがあるが、キャンパスにはもちろん銅像もある。その銅像のすぐ近くに、岸田内閣による「軍拡増税」を粉砕せよ、と記した看板が置かれ、一人の学生がメガホンでアジ演説をしていた。誰も耳を傾けてなどいないように見えたが。

タテカン(=立て看板)も私の目には異様に小さく、商店街で見かけるような「捨て看板」サイズであった。昭和の時代にはベニヤ板4枚、あるいは8枚といった大きさが普通で、つまりは八畳分くらいの看板を見かけたものだが、今時はキャンパスにタテカンがあること自体、珍しい光景なのだろう。

喫煙所もあった。こちらはテニスコートほどもあって、意外に広く、よくある透明なアクリル板ではなくただの金網で、しかもその金網の外でも、大勢がタバコをくゆらしていた。

もちろんこれも今風の光景なので、私と同年配の早大出身者の証言によれば、

「講義中の喫煙はさすがにNGだったけど、それ以外、構内で普通にタバコが吸えた。そこら中に灰皿が置いてあったし」

だそうである。それでも、今もワセダはタバコに寛大なのだろうか、などと思った。

総本山少林寺にも、実は結構前から喫煙所が設けられているのだが、裏山に面した文字通りの崖っぷちで広さも二坪足らず。囲いもない吹きっさらしで、

「これはさすがに、一種のイジメじゃないでしょうか」

などと感想を述べたことがあるほどだ。私自身は本山で喫煙したことなどないが。

話を戻して、地下鉄早稲田駅近くの喫茶店に立ち寄ったが、ここにはなんと「全席喫煙可」という張り紙がしてあり、テーブルの上には小さなガラスの灰皿が置かれていた。内装も昭和レトロと言えばよいか、昔懐かしい、やや低いテーブルと椅子が並んだ造りで、コーヒーもストレートを日替わりで提供するスタイル。

私はてっきり、今時は「学生街の喫茶店」も、なんちゃらフラペチーノばかりになっているのかと思っていたのだが、これは偏見だったようだ。嬉しい誤算と言えばよいか。

ただ、私を含めて客は3組ほどしかおらず、しかも誰一人としてタバコを吸っていなかったことも事実だが。

高度経済成長と称された1960年代、わが国の成人男性の喫煙率は80%に達していたという。どこの職場でも喫煙所など設けられておらず、デスクでタバコを吸っても、誰も問題にしなかった。

現在はどうなのかと言うと、厚生労働省が今年7月に発表した『国民生活基礎調査の概況』によれば、男性25.7%、女性7.7%が喫煙者であるに過ぎない。男女差が大きい上に、男性の場合は年代別のバラツキが結構見られるのだが、詳述する紙数はないので、関心がある向きは検索していただきたい。

私自身、西暦2002年以来、タバコを吸っていない。

別にワールドカップ日韓大会を記念して禁煙したとか、そういうことではなく、たまたま風邪をひいて喉を痛めた。

それまでは、朝食を済ませたならばコーヒーを一杯、そしてシガリロ(細巻きの葉巻)を一服というのが朝のルーティーンであったのだが、これが「コーヒー→シガリロ→のど飴」になってしまった。

これはさすがにアホだろうと思い、しばらくタバコをやめてみよう、と考えて実行に移したのだが、吸わなければ吸わないで、生活にはなんら支障がなかった。

「禁煙なんて簡単だ。私はもう何百回も禁煙した」

と言った人がいるそうで、なかなか大変なことのように思われているフシもあるのだが、私の場合、吸いたくなれば、またいつでも……という「お気楽禁煙」だったことが、むしろよかったのだろうと思える。

週刊文春』『週刊新潮』に、それぞれJTが広告記事を連載している。タバコについてのインタビュー記事が交代で登場するもので、私は両方に登場したことがある。記事中では、初めてタバコを吸ったのは「学生時代」となっているが、本当は中学生の時であった。

中学生も学生だろう、と思われた向きもあるやも知れぬが、制度上「学生」と称されるのは高校生以上で、中学生は「生徒」、小学生は「児童」だと聞いたことがある。これは余談。

まあ、タバコが手放せないという時期はなかったが、一日に何本以上吸うのが喫煙者だ、という基準があるという話も聞かないので、私は人生の半分近くを喫煙者として生きてきたことになる。

前述の『週刊新潮』の広告記事でも述べたことだが、現状は「タバコを休んでいる」状態なので、つまりはいつでも喫煙者に戻ることができる。

ただ、もう数年前の話だが、たまたまタバコの自動販売機が目にとまったので、ちょっと値段を見たところ、絶句してしまった。1箱500円以上。現在はもっと高い。

遠からず喫煙は、富裕層の特権と見なされる世の中になるのではあるまいか、とさえ思った。人がタバコを休んでいる間に、なんたる値上げ幅だろうか。

次回は、その話を。

トップ写真:イメージ(本文とは直接関係ありません) 出典:SimpleImages/Getty Images




この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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