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.社会  投稿日:2023/10/28

えげれす国紫煙譚(下)たまにはタバコの話でも その4


林信吾(作家・ジャーナリスト

林信吾の「西方見聞録」

【まとめ】

・英国、「2030年までに喫煙率を全人口の5%未満」目標。

・スナク首相、2027年から年齢制限を18歳から毎年1歳ずつ引き上げる政策を提案。

・英国人は極端から極端に走る傾向があるのではないか。

 

前回、私が英国ロンドンで暮らしはじめた1980年代、かの国では路上喫煙も吸い殻のポイ捨ても、官許の行為なのかと思えるほど野放図であったと述べた。

1987年11月に、ロンドン北部のキングス・クロス駅で起きた、タバコのポイ捨てが原因で起きた大火災を機に、駅構内が全面的に禁煙となるなど、潮目が変わったことも。

そして2007年、飲食店を含む屋内全面禁煙が法制化され、現在に至っている。

ロンドンにおける代表的な飲食店と言えばパブだが、日本のいわゆる赤提灯とはやや趣が異なり、多くの場合、昼間から賑わっている。フィッシュ・アンド・チップスなどのランチメニューがあるので、平日すなわち就業中であろうとも、ランチタイムに軽く一杯というのは、とりたてて罪悪視されていなかった。

私もうかつに真似て、呑むとすぐ顔が赤くなるたちなので、午後一に仕事で訪問した先でヒンシュクを買ってしまったことがあるのだが、今さらしょうもない話はさておき。

英国も日本と同様、都市部を少し離れると車社会なのだが、かつては郊外や地方都市のパブには駐車場があって、早い話が一杯引っかけてから運転して帰ることも、まあ厳密には非合法だったのだろうが、意外と大目に見られていた。あくまでも記憶だが、やはり1980年代の終わり頃から飲酒運転の取り締まりが急に厳しくなったように思う。これもまた、飲酒運転に起因する事故で子供が犠牲になるなどしたことがきっかけだった。

タバコについては前述のように、2007年以降、飲食店など屋内での喫煙が禁じられたが、これについては、喫煙者を路上に追いやったに過ぎない、との評価がもっぱらである。

前回の最後の方で、英国人は決められたことは守ると述べたが、屋内が禁煙なら外に出て吸えばよいのだろう、などと考える人たちでもある。

「このはしわたるべからず」

という立て札を見て、ならば真ん中を渡ればよい、などと思いつくのは、日本では高名な禅僧くらいだが(あくまでもフィクションである笑)、英国では意外と一般的なのだ。

具体的にどういうことかと言うと、2007年以降、ロンドンの市街地では、この先の角を曲がるとパブがあるな、と分かるようになった。読者ご賢察の通り、客の多くが、ビールのジョッキを片手に店の外に出て一服するもので、かなりのところまでタバコの臭いが漂ってくるのだ。

さらには、若い女性が通りかかると、

タバコ1本、どう?」

などという、新手のナンパみたいなことを始めた若者もいたとか。しぶといと言うべきか、懲りないと言うべきか。

こうした面はあるが、あくまでも一面の事実で、英国全体として見れば、成人男性の喫煙率はご多聞に漏れず「右肩下がり」である。

2019年に実施された調査の結果だが、成人男性の喫煙率はおよそ14%で、女性のそれはやや低いとのこと。

米国(12.5%)よりはやや高いが、日本(25.7%)、ドイツ(30.9%)、フランス(25.5%)に比べると低い。いずれにせよ総人口などを加味して考えれば、微々たる差でしかなく、今や先進国における喫煙率は「どんぐりの背比べ」になっていると言ってよいと思われる。

2019年にはまた、

「2030年までに喫煙率を全人口の5%未満にする」

との目標も掲げられたが、最近の調査で、早くも達成は絶望的であるとされ、2039年まで、と「下方修正」されることになったようだ。

とは言え、おいそれと引き下がらないのが英国の政治家で、今月15日に開かれた保守党大会の席上、スナク首相が驚くべき政策案をぶち上げた。

現在英国では18歳以上であればタバコを買うことができるのだが、2027年からこの年齢制限を毎年1歳ずつ引き上げて行くという。

この法案が現実のものとなれば、2009年以降に生まれた英国人は、一生涯タバコを買うことができなくなるわけだ。

これはスナク首相の独創ではなく、ニュージーランドではすでに、2009年以降に生まれた国民はタバコを買うことができないようにする法整備が進められている。

英国では、まだ首相が法案提出の意思を表明しただけで、しかも議会で採決が行われる際は、党議拘束のない自由投票に委ねるとしているので、先行きは不透明なのだが、ここまで述べてきた「英国における喫煙者の状態」を見る限り、成立する可能性は結構高そうだ。

それにしても、どうしてそこまでタバコが敵視されるのか。

スナク首相自身が述べたことを煎じ詰めると、タバコは複数の生活習慣病の原因となっており、NHS(ナショナル・ヘルス・サービス=英国特有の無償医療制度)を維持して行く上で、大きな障壁になっているというものである。これは昨今どこの国でも、禁煙もしくは嫌煙を主張する人たちの最大公約数的な意見であると考えてよいだろう。

ならば昨今日本でも注目されている、電子タバコはどうなのかと思えるのだが、これについてもスナク首相は、現時点では黙認するが、

「将来的には規制の対象になるであろう」

と明言している。とどのつまり、なにが問題なのだろうか。

私がもうひとつ、この報道に接して抱いた個人的な感想は、英国人はどうも極端から極端に走る傾向があるのではないか、というものであった。

20世紀英国の、成人男性の喫煙率については詳細に知ることはできなかったが(そもそも喫煙を問題視していなかった)、タバコがつきもの、と言って過言ではなかったのである。

たとえば、スナク首相は保守党の政治家だが、彼の偉大な先輩と言えるウィンストン・チャーチルは、太い葉巻がトレードマークであった。

英国軍人にヘビースモーカーが多かったことは、軍事や戦史に関心のある人にとっては常識に属する事柄であるし、フィクションの世界においても、秘密情報部員007ことジェームズ・ボンドは、ソ連邦の諜報機関のファイルにまで、

「喫煙多量(金筋3本入りの特注の紙巻きを好む)」

などと書かれていたほどだ。このファイルの話は『ロシアから愛を込めて』の中に出てくるが、別の本では1日70本も吸うと書かれていた。

その英国で、どうしてここまでタバコを敵視するかのような政策に転じたのだろうか。

これは見方を変えたならば、英国の個人主義が脅かされている、ということにならないか。

もちろん別の視点から論じることも可能で、例えばドイツのように、タバコは規制する一方で、大麻は解禁の方向に向かう、と言うのに比べれば、まだまともではないか、と考える向きも、日本では決して少なくないであろう。

この問題については、次回。

トップ写真:パブの外でタバコを吸う人たち(英国・ロンドン)出典:In Pictures Ltd./Corbis via Getty Images




この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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