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.政治  投稿日:2023/11/19

「高岡発ニッポン再興」その110 古城公園の「バリケード」から分かったこと


出町譲(高岡市議会議員・作家)

【まとめ】

高岡古城公園、工事が完了したが工事用バリケードが設置し続けられる。

・産業建設常任委員会、人が立ち入らなくするためというが、高いバリケードが必要なのか。

・高岡市役所にも見えないバリケードがある。

 

高岡市議会議員になって2年です。心がけているのは、市民本位の政治です。市民の声に耳を傾け、行政に提言。変革を目指す。それが市議の仕事です。私は最近、「美しい高岡」を取り戻そうと考えています。高岡を美しくして欲しいという市民が多いからです。

私は毎日のように、「高岡古城公園」に行きます。古城公園は、市街地の中心部にあります。高岡市で最も観光客の多いスポットです。加賀前田家2代当主、前田利長が築いた高岡城の城跡です。観光地としても、市民の憩いの場としても、高岡市民の誇りなのです。

しかし、最近、古城公園に関して、数多くの市民から不満の声を聞きました。「古城公園の入り口のあのバリケード。景観上良くない」。そうなんです。古城公園の入り口、高岡城の「二の丸」に工事用バリケードが設置してあるのです。

なぜでしょうか。実はこの場所には、高岡市民会館がありました。老朽化したため、解体されたのです。昨年度と今年度、2年にわたった工事でした。今では工事が終わり、すっきりしていますが、それでも、工事用のバリケードがずらりと囲んでいます。

▲写真 古城公園の工事用のバリケード(執筆者提供)

私は10月18日に開かれた産業建設常任委員会で、工事が完了したのに、なぜ、バリケードを設置し続けるのかと聞きました。当局の答弁は、史跡調査を実施するためとしていました。調査は2年かかるため、その間、設置し続けるというのです。人が立ち入らないようにするためだとしていますが、どうしてそんな高いバリケードが必要なのか。コロナが落ち着きを見せ、高岡でも観光客が増えています。「美しい古城公園」を目指してくる観光客も多くいます。それなのに公園に似つかわしくないバリケードです。当局は工事の際に使っていたものを再利用しているとしていますが、私は、景観を損ねるというマイナス面も考慮すべきだ考えます。

そして、11月15日の産業建設常任委員会で、私は新たな情報を知りました。このバリケードの内側を使って、伐採した樹木の置き場にするというのです。つまり、市民会館跡地は、いわば樹木の置き場になるというのです。市民の中では「廃材置き場になる」と懸念する声も出ています。

▲写真 古城公園に放置された木(執筆者提供)

高岡市は11月から樹木の伐採を始めました。来年2月まで実施します。その間に伐採される60本の木について、市民会館跡地に置くというのです。30年間の樹木管理行動計画に基づいた伐採です。しかも、それは既定路線でした。5月に作成された業者と取り交わされ契約の中で、伐採された木については、「市民会館跡地に搬入する」と盛り込まれていました。

私は愕然としました。高岡市議会の6月定例会で、市民会館の跡地について質問した際、当局は、史跡調査を実施すると答弁しました。先ほどお伝えしたように、10月18日の委員会でも、史跡調査の話しか出ていません。樹木の置き場ということは一切触れていません。私は裏切られたような気持ちになりました。市民会館の跡地について市民に聞かれるたびに、「史跡調査をするけど、何も決まってない」と答えていたからです。そして、11月15日の委員会で、当局に質問しました。「いつ木の置き場にすることを決めたのか」。

返ってきたのは、釈然としない答弁でした。伐採する木がある程度まとまった量になることが分かったので、市民会館跡地に置くことを決めたというのです。5月にすでに、業者と取り交わした文書の中で、「市民会館跡地」と明記されているにもかかわらず、最近決まったような答弁になっています。

高岡市では、伐採した樹木に関して来年3月に無償配布する方針です。そして4月以降残った分に関しては、処分するとしています。

「美しい古城公園」を取り戻したい。私はその一心で高岡市と向き合ってきました。しかし、なかなか、難しいですね。古城公園だけではなく、高岡市役所にも見えないバリケードがあるのです。

トップ写真:古城公園の工事用のバリケード(執筆者提供)




この記事を書いた人
出町譲高岡市議会議員・作家

1964年富山県高岡市生まれ。

富山県立高岡高校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。


90年時事通信社入社。ニューヨーク特派員などを経て、2001年テレビ朝日入社。経済部で、内閣府や財界などを担当した。その後は、「報道ステーション」や「グッド!モーニング」など報道番組のデスクを務めた。


テレビ朝日に勤務しながら、11年の東日本大震災をきっかけに執筆活動を開始。『清貧と復興 土光敏夫100の言葉』(2011年、文藝春秋)はベストセラーに。


その後も、『母の力 土光敏夫をつくった100の言葉』(2013年、文藝春秋)、『九転十起 事業の鬼・浅野総一郎』(2013年、幻冬舎)、『景気を仕掛けた男 「丸井」創業者・青井忠治』(2015年、幻冬舎)、『日本への遺言 地域再生の神様《豊重哲郎》が起した奇跡』(2017年、幻冬舎)『現場発! ニッポン再興』(2019年、晶文社)などを出版した。


21年1月 故郷高岡の再興を目指して帰郷。

同年7月 高岡市長選に出馬。19,445票の信任を得るも志叶わず。

同年10月 高岡市議会議員選挙に立候補し、候補者29人中2位で当選。8,656票の得票数は、トップ当選の嶋川武秀氏(11,604票)と共に高岡市議会議員選挙の最高得票数を上回った。

出町譲

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