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.経済  投稿日:2024/1/12

鮎川義介物語⑨ 「アジを釣りに行ってクジラが釣れた」


出町譲(高岡市議会議員・作家)

【まとめ】

・満州国務院総務長官星野直樹が満州での自動車産業育成への協力を鮎川に直談判した。

・鮎川は最初は否定したが、満州の本格開発のために米資本投入を提案。

・自動車産業に絞るのではなく、重化学工業全体での満州開発なら日産も参入する意向を示した。

 

満州の国務院の総務長官、星野直樹は、わざわざ満州から東京に駆け付けて、日産の鮎川義介と面談しました。場所は日比谷にある日産館。

扉が開くと5分刈りの髪の毛の痩せた男が入ってきました。

「満洲の自動車産業はまだ、緒に就いたばかりです。同和自動車にはそれほど期待できないでしょう。そこで、ぜひ、鮎川さん、自動車産業育成に力を貸してくれませんか」。星野は開口一番、直談判しました。

鮎川は目をつむり、じっと聞いていました。星野は威圧感を感じながらも、言葉を続けます。

「鮎川さんご自身が、満洲に来てくれと言っているわけではありません。会社経営の経験のある人で、鮎川さんが信頼する方を選んでもらい、鮎川さんが全面的に支援するという形でお願いできないでしょうか。」

しばらくの沈黙が続いた後、鮎川は口を開いた。

「そりゃあ、駄目だのう」。

山口弁丸出しの一言でした。部屋は凍り付きました。星野は食い下がりました。「なぜだめなのですか。満州の浮沈がかかっているのです」

鮎川はあくまで否定的な見解を示しました。

「日本の自動車メーカーもまだ、大量生産していない。それなのに、より市場の小さい満州市場に参入して本格的な自動車生産を始めても、成算はない。それに、自動車会社は多くの部品が必要で、それにはたくさんの下請け会社が不可欠です。しかし、満州にはこうした下請け会社がありません。また、自分の力は、日産全体の力だ。自分がだれかを派遣しても、私自身一人で行っても、それだけでは満州で自動車工業を興せない」。

星野の方も負けていません。

「鮎川さん、今満洲では5カ年計画を立てており、道路も十分に整備されています。今後自動車が一段と普及すると思われますので、ぜひ力を貸してください。満州の発展は、日本の重工業化にとっても、重要です。ここはお国のためにもぜひ、ひと肌脱いでください」。

星野が懸命な形相で、説得します。会談は決裂という雰囲気になった際、思わぬ展開になりました。鮎川は意外な言葉を口にしたのです。

「私は、日本の重工業発展のために、尽くしてきたつもりだが、アメリカのような本格的な開発は困難です。でも満州は土地が広く、アメリカのような土地です。五カ年計画をやるのならば、今こそ本格開発を行うチャンスだと思います。思い切って満州にアメリカから外資を入れ、大規模な機械を輸入して本格開発してはどうでしょうか。政府も本気なら、私もやってみたい。自動車工業だけなら、ほかにもやる人はいる」。

鮎川が前向きな姿勢を示したのです。政府が本腰を入れて、満州の重工業を開発するなら、日産としても、ぜひ参入したいと言い始めました。

自動車産業に絞った投資には消極的な姿勢を見せましたが、重化学工業全体での開発なら「引き受けたい」との意向を示したのです。日本の事業を投げ打って全面支援するといいます。

星野は想定以上の返事に驚きました。まさか、「アジを釣りに行ってクジラが釣れたようなものだ」と心の中でつぶやいたのです。

「まさしくその通りです。鮎川さんの夢をぜひ、実現したいと思います。日本政府は喜んでご協力します。夢を実現するための青写真をつくってくれませんか」。

「分かりました。2-3日後にうちに来てください」

午後7時、星野は日産館を離れました。帰路歩いた日比谷公園は、春独特の雰囲気が漂っていました。満天の空には星が輝く。星野は空を眺めながら興奮しました。鮎川さんが了解してくれた。本当に良かった。宿舎に戻った後、すぐに満州の各方面に電報を打ちました。

(その⑩につづく。

トップ写真:オフロードのレースを走るフォードV8。アメリカ自動車産業の技術力の高さを鮎川は知っていた(1935年)出典:Photo by National Motor Museum/Heritage Images/Getty Images




この記事を書いた人
出町譲高岡市議会議員・作家

1964年富山県高岡市生まれ。

富山県立高岡高校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。


90年時事通信社入社。ニューヨーク特派員などを経て、2001年テレビ朝日入社。経済部で、内閣府や財界などを担当した。その後は、「報道ステーション」や「グッド!モーニング」など報道番組のデスクを務めた。


テレビ朝日に勤務しながら、11年の東日本大震災をきっかけに執筆活動を開始。『清貧と復興 土光敏夫100の言葉』(2011年、文藝春秋)はベストセラーに。


その後も、『母の力 土光敏夫をつくった100の言葉』(2013年、文藝春秋)、『九転十起 事業の鬼・浅野総一郎』(2013年、幻冬舎)、『景気を仕掛けた男 「丸井」創業者・青井忠治』(2015年、幻冬舎)、『日本への遺言 地域再生の神様《豊重哲郎》が起した奇跡』(2017年、幻冬舎)『現場発! ニッポン再興』(2019年、晶文社)などを出版した。


21年1月 故郷高岡の再興を目指して帰郷。

同年7月 高岡市長選に出馬。19,445票の信任を得るも志叶わず。

同年10月 高岡市議会議員選挙に立候補し、候補者29人中2位で当選。8,656票の得票数は、トップ当選の嶋川武秀氏(11,604票)と共に高岡市議会議員選挙の最高得票数を上回った。

出町譲

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