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.社会  投稿日:2024/6/25

時間旅行は一方通行?(下)「タイムトラベル論争」も時間の問題?その3


林信吾(作家・ジャーナリスト

林信吾の「西方見聞録

【まとめ】

・タイムマシンで過去への旅は現実的ではないというのが、大多数の物理学者の意見らしい。

・SF作家の半村良が1971年に小説『戦国自衛隊』を発表している。

・半村良は、過去へのタイムトラベルは「本来の過去」ではなくパレレル・ワールドだと考えた。

 

小説や映画、ドラマなどに登場するタイムマシンは、過去・現在・未来と、時空を自在に移動できる機能を備えているのが一般的だ。

典型的な例が、前回も少しだけ触れた映画『バック・トゥ・ザ・フーチャー』で、このタイトル自体「未来に戻る」という意味であり、タイムトラベルを象徴する言葉としてよく使われている。

前回紹介した『不適切にもほどがある』というドラマにせよ、そもそもどうしてタイムトラベルが可能になったのかと言うと、くだんの映画を見て感銘を受けた男子中学生=主人公の教え子の一人が、自分はいつかタイムマシンを発明する、と決意したことに端を発している。

例によって余談にわたるが、映画では、デロリアンというスポーツカーがタイムマシンになっており、漏れ聞くところによると、当初の企画では洗濯機をタイムマシンに……という設定が考えられていたそうだ。ところが脚本や様々な設定を検討する過程で、

「子供が映画に影響され、洗濯機に潜り込んで事故でも起きたらどうするのか」

と懸念する声が上がったため、企画変更となったものらしい。

それで思い出されるのは、2007年に広末涼子・阿部寛のW主演で公開された『バブルへGO!!』という邦画は「タイムマシンはドラム式」という副題がつけられ、読んで字のごとく洗濯機が使用される。前述の『バック・トゥ・ザ・フーチャー』の話を知らなかったのか、それとも承知の上でパロディにしたのだろうか。

ドラマでも、デロリアンを買いたかったのだが予算不足で払い下げの路線バスしか手に入らなかった、ということを示唆する台詞がちらと出てくる。

それはさておき、どちらの映画もタイムマシンで過去に戻り、現在の「不都合な現実」を変更してしまう、という設定になっている。

世に言うタイムパラドクスだが、これについて語り出すと長くなるので、項を改める。

今回は、そもそも過去に旅することができるタイムマシンは発明できるか、という点に話を絞るが、どうも「理論的にも実現困難である」ということになるらしい。

前回述べたように。相対性理論に従うのなら、光速あるいはそれ以上の速さで移動できる乗り物が実用化されたなら、その乗り物の中では時間が止まってしまうため、乗っている人は年を取ることなく未来の世界へ到達できる。

ただ、過去への旅となると、時間を遡れば現在に戻る、ということなので、そもそも現実的ではないというのが、大多数の物理学者の意見らしい。

大多数ということは、少数ながら異なる見方を開陳する人もいるわけだが、一例を挙げると、宇宙には複数の時空が存在する、と仮定して、複数の時空を結ぶ手段が見つかったならば、時間を遡ること可能では……と考える学者も現実にいるようだ。

SF作家の半村良が1971年に中編小説『戦国自衛隊』(角川文庫)を発表している。

日本海沿岸で演習中だった陸上自衛隊の補給小隊が、突如として戦国時代にタイムスリップしてしまう。補給小隊と言ってもAPC(装甲兵員輸送車)やヘリコプターも麾下にあり、少し後に海上自衛隊の哨戒艇も合流する。

彼らの前に、長尾景虎(後の上杉謙信)と名乗る戦国武将が現れることから、一挙にストーリーが盛り上がるのだが、1979年には千葉真一がアクション監督と主演を務めた映画も公開された。

当初は、事態がまるで飲み込めない自衛隊員たちであったが、主人公・伊庭三尉がこんなことを口にする。

「我々は時間というものについて、1日を24時間に区切るということ以外、ほとんどなにも知らないのだ」

映画でも、千葉真一演じる主人公(=伊庭)の台詞にあった。

ともあれ、少人数ながら近代兵器を備えた自衛隊は、上杉の軍勢と組んだことで戦国時代にあっては無敵の存在となり、川中島で武田信玄の軍勢を撃破した勢いで、当時の日本の中心地であった近畿地方にまで進出する。しかしその過程で、彼らがタイムスリップした先には織田信長が存在しないことを知った。

以下、ネタバレになってしまうのだが、映画では川中島の合戦がクライマックスとなるのに対し、原作の小説では、天下統一を目前にして、京都の寺に宿泊していた伊庭たちが、時の皇室の密命を受けたと思われる軍勢に襲撃され……という話となる。

(ここは本能寺だ)

(秀吉が生まれ、家康が生まれ、未来は同じ昭和となるに違いない)

つまり、彼らがタイムスリップした先の世界は、自衛隊員たちが暮らしていた世界とはかなり異なる歴史を持とうとしていたところ、時空を越えてきた自衛隊が見事それを修正してしまう、という「逆タイムパラドクス」ともいうべき設定なのだ。

これは、まったくの偶然だろうとしか考えようがないのだが、半村良の世界観にあって、時の流れというものは一直線に進行しているのではなく、いくつかの異なる時空が存在し、小説の中の自衛隊は、400年あまりの時間を直線的に遡ったのではなく、別の時空に飛ばされてしまったのだ。

1970年代にはタイムトラベルと言えば過去や未来に行けることだと素朴に考えられており、様々なタイムパラドクスの可能性が示唆されていた。

小学生の時に雑誌で読んだのだが、たとえば幕末の動乱期に、幕府側に機関銃を与えたならば、明治維新はなかったのではないか、とか。

その場合、今でも幕藩体制が続いているので、ロールスロイスで参勤交代、というイラストが添えられていた笑。

この点、半村良と言う作家は、過去へのタイムトラベルというものが、仮に可能であったとしても、それは「本来の過去」ではなく別の時空、いわゆるパレレル・ワールドだろう、と考えた。

これがもし彼の先見の明であったとしたら、専門学徒も及ばなかったことになるが、まあ偶然だと考えた方が良さそうだ。

そうなると問題なのは、未来へのタイムトラベルは可能でも過去へのそれは理論上も困難だと考えられているか、という点だが、こちらもまた、最新の学術的議論によって、答えが見つかるかも知れない。

次回、あらためて見る。

(続く。その1、その2)

トップ写真:New York Comic Con 2022での『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のデロリアン(2022年10月6日 アメリカ・ニューヨーク)出典:Bryan Bedder/Getty Images for ReedPop




この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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