「石丸氏2位」が持つ意味とは(下)「選挙の夏」も多種多様 その4
林信吾の「西方見聞録」
【まとめ】
・石丸伸二氏が165万票以上を獲得し2位になったのは、SNSやYouTubeでカリスマ的な人気を博していたから。
・ネット社会と呼ばれるようになってから、英国の選挙運動も大いに様変わりしてきた。
・ 英国では昨年「2023年オンライン安全法」が可決されたが、規制の網を掛けるのは簡単ではないようだ。
今次の東京都知事選挙において、石丸伸二氏が165万票以上を獲得し2位になったのは、彼がSNSやYouTubeでカリスマ的な人気を博していたからだ、と前回述べた。
今やそういう時代なのだな、と感慨を新たにしたのは、私だけではあかったであろう。
シリーズ第1回でも述べたように、都知事選に先駆けて英国で総選挙が行われ、労働党が圧勝して14年ぶりに政権交代を実現した。
戦後(と言っても、太平洋戦線は未だ終結していなかったが)、最初に労働党が政権を取ったのは、1945年7月の総選挙で過半数の議席を得てのことである。
この時の選挙だが、下馬評では保守党が断然有利と言われていた。第二次世界大戦の英雄であるウィンストン・チャーチルが同党を率いていたためで、彼のカリスマ性だけで選挙に勝てる、と考える人が多かったのだ。
だが、二度の世界大戦で大きな犠牲を払い、言うなれば疲れ果てていた英国民は、相変わらず戦闘的愛国心を煽るばかりのチャーチルを見限り、英国は今後、
「植民地主義と決別し、福祉国家として復興の道を歩むべき」
という、当時の労働党首クレメント・アトリーの主張を受け容れた。
詳細は、拙著『これが英国労働党だ』(新潮選書)をご参照いただきたいが、そのアトリーについて複数の政治家やジャーナリストから、面白い評価を聞かされた。
「TVの時代となった今では、彼は党首や首相にはなれなかったでしょうね」
というのがそれである。
煎じ詰めて言うならば、彼にはカリスマ性がなく、むしろ20世紀末に流行した表現を用いるなら「ネクラ(根暗)」であったので、皆がTVを通じて政治家の人柄はもとより、容姿や服装のセンス(!)を評価する時代にあっては、大衆的支持を得られたとは考えにくい、ということになるらしい。
そもそも、彼は労働者階級の出身ではない。裕福な弁護士の子として生まれ、自身もオックスフォード大学で法律を学び、弁護士資格を得たが。その間、父親からは大企業の重役クラスの給与額に相当する仕送りを受けていた。
そのような彼が、労働党員になった理由からして、当時も今も「ジェントルマンの義務のひとつ」と評される社会奉仕活動を通じて、ロンドンのスラム街の惨状を知ったことであったという。
そのような彼が、どうして労働党のリーダーたり得たのかと言うと、その「ネクラ」な一面がプラスに働いたのだと考える向きが多い。
つまり「俺が、俺が」と前に出て皆を引っ張ってゆくタイプではなく、反対意見も粘り強く聞き、敵を作らないという調整型のリーダーであったのだ。
チャーチルからは「羊の皮をかぶった羊」などと揶揄されたことまであったが、そのように彼を過小評価したことが、総選挙で足をすくわれる遠因となったことも、また事実である。少なくとも英国の政治家やジャーナリストの多数派は、そう考えていた。
そうしたキャラクターであったからこそ、TVの時代では評価されなかったろう、などと言われてしまうわけだが。
あれから四半世紀余り。今やTVの時代も終焉を迎えようとしている。
本誌の読者には、今さらくだくだしい説明は不要であろう、昨今では若年層を中心にTVを持たない人も増える一方で、スマホなどインターネットの端末に取って代わられている。
英国もこの流れと無縁でいられるわけはなく、選挙戦の在り方も大きく変わった。
かつて英国における選挙運動とは、もっぱら戸別訪問であった。単純小選挙区制であるがゆえに、戸別訪問に要する時間とエネルギーも知れたものなので、これまた前にも紹介した、
「有権者と政治家がより密接な関係を持てる」
としてこの制度を擁護する議員が実際にいるのは、具体的にはこのことを指しているのだろう。マスメディアの「出口調査」などより早く確実に、有権者の考えを知ることができるのだ。
一方、日本の選挙につきものの選挙カーや、候補者のポスターを張り出す大きな看掲示板は、まず見かけない。街の景観や、騒音の問題にはことのほかうるさい国なので、今次の都知事選で起きた「掲示板ジャック」のような問題は、最初から起こらないのである。
これも以前に述べたことがあるが、私はロンドンで暮らしていた頃、労働党の前党首であったコービン氏と同じ通りに住んでいた。1987年の総選挙に際しては、氏が自分の車(小型のプジョー)にLabour=労働党と大書したステッカーを貼りつけ、屋根には三角帽子のような飾りまで取りつけて、支持者を投票所まで送迎していたのを、この目で見ているが、これはもちろん、選挙カーとは持つ意味が違う。
しかし2010年代から、言い換えればネット社会と呼ばれるようになってから、かの国の選挙運動も大いに様変わりしてきた。
戸別訪問がまったくなくなったわけではないが、読者ご賢察の通り、どの政党・政治家も、SNSを通じての情報発信に注力するようになったのである。
それ自体は悪いことでもなんでもないのだが、BBCが報じたところによると、英国における今次の総選挙では、TikTokなどに大量のフェイク動画が投稿されて問題となった。
与野党の大物議員が、ちょっとここでは書けないような言葉遣いで相手陣営を罵倒したり、逆に、にわかには信じられないような「内部告発」を行ったり、というものだが、昨今話題の生成AIを用いた精巧な動画で、声など、本職のものまね芸人が一枚噛んだものまであったという。
こうしたショッキングな動画は、真偽を見極めようとする前に拡散されてしまうのがネット社会の常で、若年層を中心に、投票行動に一定の影響を及ぼしたものと見られている。
英国では昨年「2023年オンライン安全法」が可決され、過度に性的な動画などは、拡散しただけでペナルティを科されることになっているが、こうしたフェイク動画の場合、前述のように悪い意味で精巧に作られているので、見破るのは簡単ではない。言い換えれば、深く考えずに拡散した人も「だまされた被害者」と見ることができるので、表現の自由とのからみもあって、規制の網を掛けるのは、なかなか簡単ではないようだ。
わが国でも遠からず、SNSが選挙戦の「主戦場」になるのであろうが、こういう馬鹿げた「文化」だけは、伝播してほしくないものである。
トップ写真:東京都庁前のボードに貼られた都知事選候補者のポスター。2024年7月7日。
出典:Photo by Tomohiro Ohsumi/Getty Images