安っぽい陰謀論がはびこる国(下) 陰謀論とデマは双子の兄弟 最終回

林信吾の「西方見聞録」
【まとめ】
・ネットで拡散される「財務省黒幕説」は、安倍晋三元首相射殺事件と財政法第4条を関連付けている。
・竹内英明氏の自殺は、誹謗中傷やデマがSNS上で拡散された結果とされ、立花孝志氏の発言が問題視されている。
・SNS利用のモラル見直しが必要であり、情報発信者と受け手双方が倫理意識を持つことが求められている。
本題に入る前に、前回の最後の方で触れた、安倍晋三元首相射殺事件にまつわる「財務省黒幕説」をもう少しだけ見ておこう。
ネットの一部に流布しているのは、財務省が増税を繰り返すのは、戦後GHQ(占領軍総司令部)が押しつけた財政法第4条のせいだ、という奇妙な言論だ。
「国民の90%はこの条文の存在すら知らない」
などと珍説、もとい、親切にも解説動画をYouTubeに上げてくれた人までいる。なんでもこれは、憲法第9条ともども、日本の再軍備を阻止するための政策であったとか。
たしかに財政法4条は、戦時中に膨大な戦時国債の発行が行われた事への反省を踏まえて制定されたものであり、条文はこうだ。
「国の歳出は、公債や借入金以外の歳入で賄う必要がある」
これを受けてくだんの投稿主は、
「ここまで厳しい財政規律を法律で定めている国など、先進国の中に見当たらない」
とまで言ってのける。
私は正直、この投稿主の知能を疑った。まず、前述の条文の続きには、こうある。
「ただし、公共事業費、出資金、貸付金の財源については、国会の議決を受けた金額の範囲内で公債や借入金を発行できる」
この条文の存在自体は、90%の国民は知らないとしても不思議はない。しかし、日本の国債発行残高が税収の20年分にもなることは、大多数の国民が知っているのではないか。これは、憲法第9と並べてみれば、むしろ分かりやすい。9条2項において、
「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」
と明確に定められているにもかかわらず、解釈改憲が繰り返された結果、今の日本は世界有数の軍事大国になっている。そして同時に、世界でもワーストクラスの債務国である。
国債は果たして借金なのか、という議論はあり得ても(現実にある)。財政法4条があるせいで財政出動が許されない、だから財務省は二言目には増税を唱える、などとは、問題のイロハのイも知らない人が言うことである。
ましてや、どうしてこの問題が、安倍首相射殺事件の裏に財務省の影がちらつく、などという話になるのか。
ことほど左様に、前提をまったく間違えた「情報」がネットで拡散し、その情報を信じ込んだ人たちが、誰かを悪者と決めつけて袋叩きにする、というのが、目下世間を騒がせている問題の本質だと私は考える。
今月初め、元兵庫県議会議員で、斉藤知事の疑惑を追及していた百条委員会の委員の一人であった竹内英明氏が亡くなった。自殺とみられている。
以前にも本連載で取り上げたことがあるが、この百条委員会をはじめ、斉藤知事のパワハラや疑惑を追及する県議達に対して、
「斉藤県政を潰そうとする、役人や裏社会(港湾利権にからんで動いたとされる)によるデッチ上げだ」
という陰謀論が拡散された。
その旗振り役の一人として、NHKから国民を守る党の立花孝志党首の名が上げられる。
なにしろこの人は「斉藤知事を当選させるために」知事選に立候補し、百条委員会に名を連ねる県議の自宅兼事務所に「突撃」する動画まで公開していた。結果、竹内氏は「家族を守るため」として県議辞職に追い込まれている。その後もSNSでの誹謗中傷はやまず、今次のような悲劇に至った。
その竹内氏の自殺の報に接した立花党首は、
「兵庫県警から任意の事情聴取を受けており、間もなく逮捕されることになっていた。それを苦にしての自殺」
などと発信したのである。この発言は、異例なことに県警本部長によって全面否定され、さすがの立花党首も、
「間もなく逮捕されるというのは誤りでした。申し訳ありません」
などと謝罪動画を投稿した。
ゴメンで済んだら警察は要らない、とはこういう時に使うべき言葉ではないだろうか。少なくとも公党の責任者である以上は、どういう情報源によって「間もなく逮捕」などと発信したのか、説明責任を果たすべきだ。まさか都合のよいときだけジャーナリストを名乗って、
「ニュースソースを秘匿する義務がある」
などとは言い出さないでしょうな。これはさすがに「笑」とは書けない。
立花党首の発言は、少なくとも結果的にはデマであった。とは言え、現行法では罪に問えないのかも知れない。死者に対する名誉毀損に該当する可能性はあるものの、それには遺族による親告が必要であると、複数の弁護士が指摘してはいるが。
ただ、こういうことは言える。
飲酒運転に起因する交通事故で子供が犠牲になったことをきっかけに、罰則が強化された事例がある。それと同様、SNS上での誹謗中傷に対する罰則の強化と、それを煽るような言動に対しても責任を問えるようにする法整備は、今こそ必要なのではないか。
もうひとつ、元SMAPの中居正広氏が、突如として芸能界からの引退を表明したが、これに絡んでも、高名なミュージシャンが
「なにか裏があるとしか思えない」
などと発信し、またもやある種の陰謀論がネットで取り沙汰されている。
すでに大きく報じられている通り、この問題の発端は、中井氏が女性との間に「深刻なトラブル」を起こしたことで、当人も、
「トラブルがあったことは事実」
と認めている。どこにどのような「裏がある」というのか。
その後、くだんの女性がフジテレビの女子アナらしいとか、様々な憶測が流布される中、ついにはフジテレビのトップが辞任する事態にまで至ったことは、やはり大きく報じられた通りである。
私が危惧するのは、一部のいい加減な人たちのせいで、SNSそのものが社会悪だと決めつけられはしないか、ということである。
問題をごく単純化して述べれば、包丁と同じで、料理には不可欠とも言える便利な道具だが、使い方を間違えると人的な凶器になる、ということだ。
新年特大号で述べたように、未成年のSNS利用を禁止するといった形で、規制に乗り出した国は現実にある。
自由にネットも使えないような社会で暮らしたくないのであれば。このあたりで、情報を発信する側と受け取る側の双方が、モラルについて真剣に見直す必要があるだろう。
トップ写真:財務省 出典:7maru/GettyImages
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。
