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.社会  投稿日:2024/8/16

「恋人の落馬事故とアンナの不倫」文人シリーズ第7回「競馬を愛したトルストイ」


斎藤一九馬(編集者・ノンフィクションライター)

「斎藤一九馬のおんまさんに魅せられて55年」

【まとめ】

・ロシアの文豪レフ・トルストイによる『アンナ・カレーニナ』は夫婦の愁嘆場に競馬場を選んだ。

・日本文学では、競馬場は男女関係の幸福な発展の場になるケースが多い。

・トルストイは生きることは動くことだと言い、作中には様々な近代スポーツの描写がある。

 

ロシアの文豪レフ・トルストイ(1828〜1910)はダンベルで自分の体を鍛えていたほどの“肉体派”であった。彼には「精神は身体によって規定される」という箴言(しんげん)もある。そのトルストイが競馬好きだったと知って私は嬉しくなった。トルストイは乗馬が好きで、実際、馬に乗った写真が多く残されている。

トルストイの代表作のひとつ『アンナ・カレーニナ』は、あえて下品な言葉をつかうと、“貴婦人の不倫小説”である。だが、ただの背徳小説でないことは誰でも知っている。世に不倫を扱った小説はあまたあれども、これを超えるものは出てきていない(はずだ)。

トルストイは『アンナ・カレーニナ』の大事な舞台の一つに競馬場を選んだ。アンナの不倫相手、青年将校のヴロンスキーをして、ロシア皇帝も臨席する士官たちのハレの大舞台、4000メートルの障害レースに出場させたのである。

トルストイが『アンナ・カレーニナ』を執筆したのは19世紀の半ば、日本なら明治の後半にあたる。当時の競馬先進国である英仏では障害競走がレースの花形であった。ロシアにおいても事情は同じ、その障害レースにアンナの恋人ヴロンスキーが騎乗するのである。(以下、ヴロンスキーのことは「不倫相手」とは書かず、「恋人」と記すことにする)

ただ、障害競走は旗手の落馬が多い、たいへん危険なレースである。イギリスの障害レースの最高峰「グランドナショナル」競争では、その長い歴史の中で全馬が無事完走したことは一度もない。それどころか、古くは1928年、集団落馬が発生し、優勝したティペラリーティムのみが完走。2着に入ったのが落馬後再騎乗したビリーバートンで、出走馬42頭中この2頭のみが完走した。そして翌年の同レースでも、グランドナショナル史上最多の66頭が出走したが、完走した馬はわずか10頭だけだった。

過去、このスリリングな大障害レースに参戦した日本馬がただ1頭いる。1966年のグランドナショナルに、日本の障がいレースで無敵の強さを誇ったフジノオーが挑んだのだ。しかし、フジノオーは15番目の障害で飛越を拒否、みずから競走をやめてしまった。「もういや!こんなきつい障害、飛べるかよ!」と怒ったのである。もっともなことだと思う。奇しくも同年、私は東北の山深い里から上京し、過酷な人生の障害レースに踏みこんだ。それ以来、なんど落馬したことか・・・。恥ずかしいやら、口惜しいやら、思い出しては赤面するのである。「人生は競馬の比喩なのだ」(寺山修司)。

アンナの恋人、貴公子ヴロンスキーも落馬してしまった!愛馬フルー・フルーが障害を飛越したときに背中の骨を折ったのだ。競馬ではレース中に馬が事故を起こしたとき、生きる可能性がないと獣医が判断すると、その場で予後不良として処分される。馬が痛みで苦しむのを避けるためだ。哀れ、フルー・フルーも同じ処置を受けた。

だが、アンナには馬の負傷は二の次である。ブロンスキーが無事だったのか。ただ、それだけを想った。

「そのとき、アンナは、ヴロンスキーの落馬した地点から、ひとりの将校が馬場を横切って、桟敷のほうへ走って来るのを認めた。(中略)将校は騎手にはなんのけがもなかったが、馬は背骨を折った、というニュースをもたらした。それを聞くと、アンナはいきなり腰をおろして、扇で顔をおおった。カレーニンは妻が泣いているのを、それも涙ばかりか、今にも激しく胸を振るわせてわっと泣き出しそうなのを見てとった」

アンナは夫のカレーニンと一緒に競馬場に来ていたのだ。当時の欧州競馬は今の日本のように大衆社会の娯楽などではない。「King of Sports」(スポーツの王様)なのではなく、「Sports of King」(王様のスポーツ)であり、当時の競馬場は貴族社会の社交場でもあった。政府の要人であったアンナの夫はこの日、競馬場で社交にいそしんでいたのであり、アンナはそんな夫の傍らでひたすらヴロンスキーへの愛を確認していたのである。ここで、なんという悪妻なのか!となじりたくなる人は、トルストイを読まないほうがいい。

『アンナ・カレーニナ』はなんども映画化され、多くの名優がアンナを演じている。グレタ・ガルボ、ヴィヴィアン・リー、ジャクリーン・ビセット、ソフィー・マルソー、キーラ・ナイトレイなど、ルッキズムの視点から口にするのははばかられるが、やはり眩暈がするほどの美形ぞろいである。アンナはそれほど魅力的な存在なのだろう。

さて、『アンナ・カレーニナ』の競馬場のこの場面がなぜ有名なのかといえば、それはアンナが自分の不倫を問いただす夫に対し、いさぎよく(?)事実と認めたクライマックス・シーンだからである。「いいえ、お考え違いじゃございません。あたしは絶望していました。今も絶望しないではいられません。あたしは、あなたのお話を聞きながらも、あの方のことを考えているのですから。あたしはあの方のことを愛しています。あたしはあの方の情婦です」。

「あたしはあの方の情婦です」。言われた夫はたまったものじゃない。激怒してアンナと離縁する決意を固めたかというと、さにあらず。アンナが身勝手にも「絶望している」と叫んだのはまさにそのことを見越していたからでもあった・・・・・。

競馬場が夫婦の愁嘆場になる設定はトルストイだからこそである。日本では大井競馬場のナイター競馬は若者のデートコースになり、女性に不得手な男はデートの口実に競馬場を利用する。こと日本だけではなく、競馬場は男女関係の幸福な発展の場となることのほうが多いのだ。思い返すと、競馬場を悲劇の舞台にした日本の作家は、私の前回のコラムの「織田作之助」くらいであろう。その織田作之助がアンナ・カレーニナのこの場面を想起させるセリフを登場人物の作家に吐かせたのは、織田もトルストイの信奉者だったにちがいない。

日本に欧州の近代スポーツが導入されたのはむろん明治維新以降のことである。日本にやってきた欧州の外交官や軍人の娯楽として近代競馬は日本に紹介された。そんな日本の競馬場が、欧州と同じように貴婦人と貴公子の不倫を生み出す揺籃の場となったかどうかは、これからの研究課題――そんなことはしない。それほど私もヒマじゃない。

 『アンナ・カレーニナ』には競馬以外にも、アイススケートなどいろんな近代スポーツの描写が出てくる。トルストイは運動が好きだった。生きることは動くことであるとも言った。そのトルストイが生きることをやめた場所は小さな鉄道駅のわびしい駅長官舎だった。彼はそのとき、地球上のどこへ向かって、みずからの身体を飛越させようとしていたのか。それとも自死したアンナの跡を追ったのか。

▲写真 参考・引用文献:『アンナ・カレーニナ』(木村浩/訳 新潮文庫)出典:新潮社

トップ写真:『アンナ・カレーニナ』のワンシーン(左・グレダ・ガルボ、右・フレドリック・マーチ、1935年)出典:Photo by Metro-Goldwyn-Mayer/Getty Images




この記事を書いた人
斎藤一九馬編集者・ノンフィクションライター

宮城県生まれ。東京外国語大学インド・パキスタン語学科卒業。編集者・ノンフィクションライター。主な著作に『歓喜の歌は響くのか』(角川文庫)、『最後の予想屋 吉冨隆安』(ビジネス社)など。数誌に社会課題のルポルタージュを寄稿。

斎藤一九馬

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