「くる春のときめきに しのぶよすがの桜花賞」文人シリーズ第14回「競馬を詠んで右に出るものなし 志摩直人」
斎藤一九馬(編集者・ノンフィクションライター)
「斎藤一九馬のおんまさんに魅せられて55年」
【まとめ】
・日本中央競馬会(JRA)の3歳クラシックレース第一弾「桜花賞」の開催が迫っている。
・桜花賞に勝利した馬は「さくらの女王」と呼ばれる。
・志摩直人の歌では、競馬と博奕が合わせ鏡であるアイロニーに満ちた美しさが詠われている。
もうすぐ3歳クラシックレースの第一弾「桜花賞」である。
いつの頃よりかわが暦(こよみ)
さくらに馬のつながれし
くる春のときめきに
さくらの女王がかさなりて
歌人の志摩直人(1924~2006年)の歌である。「さくらに馬に女ひと」という題の随想の冒頭に出てくる。優美な香りが匂い立つ。
桜花賞に勝利した馬は「さくらの女王」と呼ばれる。それは、この詩が世に出てからのことではないかと、ふと思い当たった。私見であるが、ミスコンテストの優勝者よりも美しく、あでやかなのが桜花賞の優勝馬である。
この4行の詩の後に、当時一世を風靡した女優さんたちが美しき牝馬になぞらえて謳い上げられている。土田早苗、岩下志麻、真野響子、中田喜子、夏樹陽子のみなさんである。
たとえば私の好きな女優のひとり、岩下志麻さんは、こうだ。
「バス通り裏」から現れて
またたく間の八重咲きは
その名岩下志麻とて
彼女最も華やげる春なれや
長き黒髪波打たせ
凛と極まりし面差しは
いづれの馬の花かんざし
「バス通り裏」は1960年代初頭のNHKの人気番組だけど、知る人はもう少ないだろう。岩下志麻はここからデビューした。だけど、こんな可憐な女人がやがて「極道の妻」に化けるのだから、げに女なるもの、美しいほど恐ろしい。たわやかだけれど、靭(つよ)い芯がある。
この歌は次のように終わる。
さくらのかげをよぎり行きし
その日 その時の その人の
最も美しき束の間を
しのぶよすがの桜花賞
私にも、過去に桜花賞馬と重なる思い人がいた。資金繰りに窮してバカな馬券を買い続けていた頃である。
1995年は日本の現代史に残る不吉な年であった。1月17日、阪神淡路大震災が起き、その約2カ月後の3月20日、地下鉄サリン事件が起きた。列島の東西で発生した不可抗力の自然災害とカルト教団による悲劇的惨劇であった。
しかし、JRA(日本中央競馬会)は良き決断をした。「競馬なんかやってる場合か」という圧倒的な批判をよそに、被災で何もかも失った人たちを励まそうと競馬開催に踏み切った。
4月9日、雨の降る京都競馬場。
通常なら桜花賞は兵庫県仁川の阪神競馬場で行われる。だが、震災でコースは芝生が盛り上がり、スタンドは壊れて使えなかった。私も私の会社も、壊れはじめていた。震災で得意先のデパートは2階がひしゃげて潰れ、関西の得意先はほとんど営業を停止、売り上げも立たず、資金繰りに行き詰ったのである。
メインの桜花賞の前に私の財布は底を尽きかけていた。残る持ち金が2万円。これを8枠の2頭、2人の天才騎手、田原成貴と武豊の乗る馬に賭けたのである。田原はワンダーパフューム、武はダンスパートナー。ワンダーパフュームは7番人気、ダンスパートナーは2番人気。圧倒的1番人気はライデンリーダー。地方の笠松競馬から出てきた天才少女であり、またがるのはやはり笠松の天才騎手の安藤勝巳。
私はこの1番人気を蹴った。切らざるを得ない。配当が低い馬券を買ってもしょうがない。私は手形を落とすための100万円がどうしても欲しい。桜花賞はさくら、さくらといえばピンク。8枠の色はピンクである。「8枠の甘い罠」という替え歌があるが、まさに私はその誘惑に乗ったのである。半ば、捨て鉢になっていた。
結果は、ライデンリーダーは4着に沈み、1着はワンダーパフューム、2着がダンスパートナー。みごと、8枠のゾロ目で決まった。⑰―⑱の馬連の配当が4420円。私は88万4000円の配当を手中にした。どうやら、手形は落とせそうだ。私はワンダーパフュームの素敵な香りに酔った。
翌1996年もまた悲劇の年となった。1月28日、京都競馬場。桜の開花はまだ先だった。メインレースは「京都牝馬特別」。ワンダーパフュームは2番人気だ。私は彼女の単勝を少額買って見ていた。会社の状況は悪化の一途で、もはや馬券では救えない。ただ彼女に感謝したい、その思いで競馬場にやってきたのである。
惨劇は3コーナーから4コーナーにかけての下り坂で起きた。ワンダーパフュームが突然失速、4コーナーで立ち止まって動かない。騎手の安藤勝巳も馬から降りた。けれど、立っているワンダーパフュームの姿は一見何事もなかったかのよう静かだった。だが、そのあとで下された診断は「左第3中手骨複雑骨折。並びに左第1指節種子骨複雑骨折、及び左第一指関節脱臼」という無慚なものだった。生かしておいても激痛に苦しむだけである。安楽死の処分がとられた。
さくらも散った同年の晩春、私の会社にも安楽死が訪れた。そして、ワンダーパフュームに重ねたひそかな思い人も私から去った。
さくら前線の行きつくところ
北国の春は遅けれど
古里に告げん便りの
そのさきがけは
いずれの里の花駒か
勝ち負けのその果てに
この胸にたぎりくるもの
やがてひそやかに沈み行く
家路に遠き人々の
あわれはつきず
花冷ゆる日は
志摩直人のサラブレッドを歌った詩とエッセイはきわめて美しい。競馬は博奕とは切っても切れない合わせ鏡になっているゆえに、その美しさはアイロニーに満ちている。クラシックレースの中でいちばん桜花賞が好きだという人は、その残酷な美しさを知った人である。
参考・引用文献
『またふたたび 風はその背に たてがみに』(志摩直人・廣済堂)
トップ写真)京都競馬場でのレース 2019年11月2日 日本 京都
出典)Photo by Lo Chun Kit /Getty Images
【訂正:2025年3月28日】
本文に誤りがありました。下記の通り訂正し、お詫び申し上げます。
訂正
誤:真野京子
正:真野響子