「久保選手不参加」は残念だが……今から次の五輪が楽しみ その4
林信吾の「西方見聞録」
【まとめ】
・久保建英選手らの不在と年齢制限で、五輪でのメダル獲得が困難に。
・歴史的に、サッカー五輪への参加にはアマチュア制限があり、プロ選手の出場は制限されてきた。
・陸上では久保凜選手が女子800mで日本記録を更新し、将来の活躍が期待される。
私にしては珍しいことに、今次パリ五輪の男子サッカーには、もうひとつ熱くなれなかった。不完全燃焼だったと言えばよいか。
準々決勝で、金メダルを獲得したスペインに破れ、ベスト8どまりとなったが、これはまあ致し方ない。ただ、久保建英選手らが招集されていなかったので、もはやメダルは期待できないだろう、と(やる前から諦めてはいけない、とは思いつつ)考えてしまったのだ。
これは決して私一人の考えではなく、ヨーロッパのサッカー・ジャーナリストたちも、メンバーが発表されるや、
「日本はメダル候補だと思っていたが、残念ながら望み薄になった」
などとコメントしていた。
なぜこのようなことになったのかを語るためには、ひとまず時計の針を100年ほど戻さなければならない。
本連載でも以前に述べたことがあるが、近代オリンピックはフランスのクーベルタン男爵が旗振り役となって始まった。そして、1925年に発表されたIOC(国際オリンピック委員会)の規定では、
「いかなる種目にもプロフェッショナルの参加は認められない」
と明記されていたのである。語弊を怖れず言えば「スポーツは肉体労働ではない」という、上流階級の意識が見て取れる。
これに反発する声も実は当初からあり、1932年には、
「アマチュア選手に対しても、本来の労働で得られたはずの報酬が支払われるべき」
と訴えた選手たちもいたが、IOCはこれを認めなかった。この年はロサンゼルス五輪が開催されたのだが、サッカーは種目から外されている。ヨーロッパに比べて米国でのサッカー人気はあまり高くなかったからだとも、前述の「反アマチュアリズム」を唱えたアスリートの中に、サッカー選手が占める比率が高かったためとも言われるが、確たることまでは分からない。
しかし第二次世界大戦後、社会主義国が相次いで誕生したことで、新たな問題が生じた。
社会主義国家にあっては、プロのサッカー・クラブも「国営企業」で、選手は「公務員」である。つまり、彼らはアマチュアとして五輪に参加することができる。
これ以上は多くを語るまでもないことで、ワールドカップに出てくるような「アマチュア」と本物のアマチュアを闘わせるのは、いかにも無茶というものだ。事実、1950~60年代を通じて、サッカーのメダルは東欧勢が独占するようになった。
さらには、TVの普及に伴い、五輪は莫大な放映権料が稼げる、世界最大のスポーツ・イベントへと変貌を遂げて行った。
こうした事情もあって、1980年代からIOCもプロの参加を認める方向に舵を切ったのだが、サッカーには、また別の事情もあった。
すでに、世界最高のサッカーの大会としてワールドカップが4年おきに開催されていたわけだが、もしも五輪がプロの大会になると、相対的に存在意義が薄れてしまいかねない。
そのように考えたFIFAは、IOCがプロ選手を五輪に出場させるよう、繰り返し養成しても、なかなか首を縦に振らなかったのである。
最終的には両者の駆け引きの末、1980年モスクワ五輪において、
「ワールドカップ本大会、及び予選に出場した欧州と南米の選手以外」
であればプロの参加を認めることとなり、92年バルセロナ五輪からは「23歳以下」というルールが定められた。しかしIOCは、スター選手の五輪出場を諦めず、3人までは24歳以上の選手も招集できることになった。これが世に言うオーバーエイジ枠である。
久保建英選手の場合、2001年生まれの23歳なので、年齢制限の問題はないが、ラ・リーガ(スペイン1部)のレアル・ソシエダに所属するプロ選手なので、クラブの承認なしに五輪に参加することはできない、という事情があった。
年齢制限のない「国際Aマッチ」であれば、所属選手が代表に招集された場合、チームに反対する権利はないが、五輪のサッカーはAマッチではない。
東京五輪に際しては、所属していたヘタフェが五輪出場を認めてくれたのだが、レアル・ソシエダは今や主力に成長したタケ(久保選手)の離脱は認められない、としたわけだ。
同じ理由で、ワールドカップ・カタール大会で存在感を示した三苫薫、堂安律、田中碧といった選手たちをオーバーエイジ枠で召集することもできなかった。
プロならではの「大人の事情」だと言ってしまえばそれまでだし、ワールドカップに出場した選手が今さら五輪のメダルを目指さなくとも……という意見も、よく理解できるのだが、やはり私個人としては、年代別なら年代別なりのベストメンバーで闘って欲しかった。
こうした年齢制限があるのは、実はサッカーだけではない。
IOCは五輪参加について「年齢制限はない」としているのだが、各競技の国際団体が年齢制限を定めた場合には、理事会がほとんど自動的に承認することになっているようだ。
この年齢制限の問題が、わが国でもっとも関心の的になったのは2006年のトリノ冬季五輪であった。当時14歳だったフィギュアスケートの浅田真央選手が、国内では図抜けた才能を見せていながら、国際スケート連盟が定めた年齢制限(当時は15歳。現在は17歳)のせいで出場がかなわなかったのである。
今次のパリ五輪の直前には、16歳の女子高生が、800mの日本記録を19年ぶりに更新した。タイムは1分59秒93。史上初めて2分を切った。
その選手の名は久保凜(くぼ・りん)といい、前述の久保建英選手の従妹である。
日本新記録を出した選手を、いちいち「サッカーの久保選手の……」などと紹介する意味があるのか、といった意見もネットでは散見されたが、私個人としては、
(恐るべきDNAというものが、どうやら本当にあるらしいな)
などと思わされたので。その意味では有益な情報であった。
しかし同時に、日本と世との差がここまで大きかったとは、と衝撃を受けたことも事実だ。陸上競技の国際大会には「参加標準記録」というものがあり、パリ五輪における女子800mのそれは1分59秒30。久保凜選手の日本新記録も、半秒ほど及ばないのだ。
それよりなにより、国際陸連は、種目により一部に例外はあるものの、原則20歳未満の選手には五輪出場資格を認めていない。
今月末からペルーのリマで開かれる「U20世界選手権」には、彼女の他、中学時代から注目の的であったドルーリー朱瑛里(しゅり)選手らも出場する。
今、日本の女子高生ランナーは逸材が揃っている。
リオデジャネイロ五輪の男子4×100mリレーで、日本代表が米国とカナダの選手を後ろに従えてゴールに飛び込んだのを見た時は、長生きはするものだ、と本当に思った。
次こそは、日本女性がその底力を見せ、世界を驚かせて欲しいものだ。
トップ写真:東京オリンピックサッカー準決勝 日本対スペインの試合に出場する久保建英選手(2021年8月3日、埼玉県)
出典:Photo by Kaz Photography/Getty Image