「男らが愉しげにいう週末の馬の名はどれも美し」文人シリーズ第8回「歌人・早川志織と競馬場のエロスな光景」
斎藤一九馬(編集者・ノンフィクションライター)
「斎藤一九馬のおんまさんに魅せられて55年」
【まとめ】
・女性華人の早川志織さんは1989年に角川短歌賞新人賞を受賞し、独特のエロスを感じさせる歌を詠む。
・彼女は初めて競馬場を訪れた経験を歌にしたが、競走馬の運命には気づけなかった。
・エロティックな感受性を持つ彼女の作品は、競馬の世界に新たな視点を与えている。
知り合いに女性歌人がいる。一九八九年の角川短歌賞・新人賞を受賞した早川志織さんだ。さわやかなエロスの香りが漂う彼女の歌に私は惚れ込んだ。たとえば代表作の歌集『種の起源』に、こんな歌がある。
そばかすを光の染みと思うとき男の首がしんと明るむ
君の背に散りて明るいそばかすをシャワーの湯気が煙らせている
色っぽくも、艶っぽくない男のそばかすを、いかにもなまめかしく歌う才能におどろく。甘酸っぱいエロスが立ち上がって来て、こちらは年甲斐もなく顔を赤らめる。
その彼女が、こんな歌を詠んだ。
男らが愉しげにいう週末の馬の名はどれも美し
彼女とは行きつけのライブハウスで知り合った。たまたまそのとき、カウンターは男たちの競馬談議で盛り上がっていた。彼女は話の中に出てくるサラブレッドの名を美しいと感じたのである。私の連れが彼女を競馬場に誘うと目を輝かせてうなずいた。明くる日、私たちはナイター競馬が開催されている大井競馬場にいた。以下は、初めて競馬場に足を踏み入れた彼女の歌である。
啓示とは一片の謎を秘めた数 予想屋が白い紙切れを撒(ま)く
「白い紙切れ」とは、場立ちの予想屋が売るレースの予想紙のことだ。予想紙といっても、駅のスタンドで売っている立派な競馬新聞ではなく、昔は名刺大に切った粗悪な藁半紙だった。スタンプで押印された馬番の数字は、彼女にとって「謎を秘めた啓示」に思えたのである。歌人の感性の瑞々しさに唸らされる。
歌中の「謎を秘めた啓示」を売る予想屋は、実在の人物だ。地方競馬最大の競馬場、大井競馬場で一番人気を誇る予想屋「ゲート・イン」の吉富隆安氏である。大井競馬の熱心なファンなら「ああ、彼か」とすぐ合点するほどよく知られた予想屋である。私の著作に『最後の予想屋 吉冨高安』(2017年・ビジネス社)がある。彼を主人公にしたノンフィクションだ。興味のある方はご購読いただければありがたい。
予想屋のスタンドを離れ、今度は馬が回遊するパドックへ。早川さんはパドック(レース前の下見所)でこう詠んだ。
黒き胸波打たせつつ牝馬はパドックに溜まる陽を踏んで行く
ナイター競馬だったけれど、早い時間に着いたのでまだ陽が高く、パドックには雲間から射す陽光が注いでいた。青毛(黒毛)の牝馬(めす馬)がこれから始まる過酷なレースを前に、胸をどきどきさせながら陽だまりを踏んで歩いている。その胸中はいかに。
ところで、パドックで牡馬か牝馬かを判断できるのか。競馬の素人には難しい。彼女がどうしてその青毛を牝馬とみなしたのか、今思えば不思議である。
予想屋から予想を買い、パドックで馬の状態を観察して、いよいよ本馬場へ。これがしごく順当な地方競馬場の歩き方である。やがて物悲しくファンファーレが鳴り、ゲートが開いてレースが始まった。余談だが、筆者は競馬場のファンファーレの韻律に、なんとなく哀しみを感じるのである。中央競馬なら函館競馬場のファンファーレ、これほど物悲しく響く曲もなく、切ない旅情をかき立てられる。馬の耳にはどう聞こえているのだろう。
おお、もうじき、ゴールだ!
目の前を駆け抜けるとき一房の金色の尾をはためかせたり
黄金色に近い栗毛、英語ではオレンジ色という。その美しい尻尾を水平になびかせながら、目の前のゴール板を駆け抜けていく。女流歌人の胸を激しく打った一瞬の光景であったろう。だが、勝者はその栗毛の馬ではなく、パドックで目に焼き付けたあの黒い牝馬だった。
走り終え勝ちたる馬は馬場に佇つ一本の黒き弓のかたちで
勝馬はレースの後、汗の滴る体をきれいに水で洗ってもらい、観衆の待つ表彰の場に立つ。そのきりっとした様が黒い漆を塗られた和弓のようにしなやかだったとこの歌人は謳った。
私にとっても忘れられない黒鹿毛の牝馬がいた。1992年の桜花賞やG1スプリンターズステークスを制し、同年度のJRAの最優秀4歳牝馬に輝いたニシノフラワーである。雨上がりの京都競馬場のパドック、一瞬こちらを振り向いた涼し気な瞳と端然とした立ち姿が目に焼き付いて今も離れない。ほんとうに美しかった。
早川志織さんは同書の中でこんな歌も詠んでいる。
獲物追うからだのひかり土を浴びてゴールラインへ君よ飛び込め
ラグビーの観戦後に詠ったラガーマンへの応援歌だ。が、私にはサラブレッドへの鎮魂の歌に聞こえた。
ゴール近く、前を行く馬を追い越そうと最後の脚を繰り出す後ろの馬たち。その人馬一体がナイター照明に照らされてくっきりと浮かび上がる。飛び散る汗が光の玉となってきらめき、舞い上がる砂を全身に浴びながら全馬がゴールへなだれ込む。そしてゴールした瞬間、馬たちの目には、なんとも形容しがたい静かな虚無の光が宿る――。
馬は死に向かって走る。馬たちはゴールラインが「死」という「終着への起点」であることを知らない。
エロスの歌人早川志織の鋭利な感性も、競走馬たちの無慚な運命にまではたどりつけなかった。
(以上本文止め)
▲参考・引用文献:『種の起源』(早川志織・雁書房)筆者提供)
トップ写真:ロシアのコーカサス州ピャティゴルスクでの競馬 出典:iStock / Getty Images Plus
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この記事を書いた人
斎藤一九馬編集者・ノンフィクションライター
宮城県生まれ。東京外国語大学インド・パキスタン語学科卒業。編集者・ノンフィクションライター。主な著作に『歓喜の歌は響くのか』(角川文庫)、『最後の予想屋 吉冨隆安』(ビジネス社)など。数誌に社会課題のルポルタージュを寄稿。