「中山坂で交錯した競馬好きの老人とジーンズの女」文人シリーズ第15回「古井由吉 競馬日記を30年書き続けた芥川賞作家」

斎藤一九馬(編集者・ノンフィクションライター)
「斎藤一九馬のおんまさんに魅せられて55年」
【まとめ】
・芥川賞作家・古井由吉は30年以上にわたり競馬観戦記を書き続けた競馬ファン。
・彼の短編「中山坂」は、1985年の中山競馬場を舞台に、末期がんの老人とジーンズ姿の女性が出会う物語。
・古井の作品は競馬場を「三途の川」として描き、男女の愛憎劇を交錯させるなど、独特の詩的小説技法が特徴。
芥川賞作家でドイツ文学者の古井由吉(1937~2020年)は大の競馬ファンであった。日本中央競馬会(JRA)発行の月刊誌『優俊』に「こんな日もある」という競馬観戦記(日記)をなんと30年余の長きにわたって書き続けた。私は競馬に興味を持ってほどなくこのコラムに触れ、古井のファンとなった。以降、このコラムを読みたいだけの理由で同誌を買い続けた一時期があった。
競馬と人生が抜きがたく結びついて、レースを思えば過ぎし大切な日が蘇えるという人も少なくないはずだ。たとえば私が当たり馬券を初めて手にしたのは雨の中山競馬場だった。加賀武見の乗る穴馬が勝ったレースと記憶するものの、勝馬の名前はまったく思い出せない。配当は9000円ぐらいの大穴で、学生の身にはとてつもない大金だった。小雨模様のうっとうしい日であったが、思えばこの日がわが馬券道の始まりだった。
古井の競馬日記は2冊の単行本になっている。『折々の馬たち』(角川春樹事務所・1995年)と『こんな日もある 競馬徒然草』(講談社・2021年)である。後者のカバーに書かれた惹句がとてもいい。
「ツキにからかわれるのも、人生長い目で見れば悪いことではない。年々歳々、馬とともに春夏秋冬をめぐり、移り変わる人と時代を見つめ続けた作家の足跡」
古井と違って私は別に人と時代を見つめてきたわけではなく、ただ馬とハズレ馬券を見つめてきただけなのだが、ツキにからかわれてきたには違いないので、痛く心に染み入る一節だった。
さて、本題。古井には1987年の第14回川端康成文学賞を受賞した『中山坂』という珠玉の短編がある。競馬を題材に取った小説の一番を挙げろといわれたら、私はこれを推したい。選考委員の吉行淳之介が「古井由吉の短編を一篇あげろといわれたらこれになるのではと思える作品」と洩らした、と選評にあった。
舞台は、日本航空123便が御巣鷹山に墜落した1985(昭和60)年、初秋9月の最終土曜日の正午過ぎというから、今からちょうど40年前のできごとになる。
主人公は東京の国分寺市に住む30歳前の女。その土曜日の昼過ぎ、新宿で総武線に乗り換え、水道橋の女友達に会いに行くつもりが車中で寝過ごし、はるか先の下総中山駅に着く。ホームに降り立った女は「車内に背を向けてジーパンの腰の脇をそろそろ撫ぜながら、天井からさがった駅名をただ不思議そうに見あげていた」(『中山坂』より。以下同)とある。私はこの一文に打たれた。この一節で作中の女に惹かれてしまったのである。
彼女はなぜか折り返さず、駅の改札を抜けて雨の中、駅前の商店街を歩いていく。法華経の本山として知られる中山法華経寺に通じる門前町の長い坂道。上がると、大門あたりでひとりの老人に出会う。
老人は体の具合が悪いらしく、大門の敷居をまたいだところで動かなくなった。しきりに女を手で招くのである。すると「意外に骨太の手が女の右腕のつけねを掴んで、男の重みがずっしりと肩にかかってきた」。
中山競馬場に行くという老人に女は肩を貸し、途中からは背負う羽目になった。今、見知らぬ老人に対してこんなやさしい女性はいるのだろうかと思いつつ先に読み進める。
老人はなじみらしい茶店で休んで行くと言う。その声は割としっかりしている。茶店では、なじみ客との会話から老人の名は野中と知れた。末期がんだということも・・・・・・。
「これからひとつ走ってくれないか」
野中老人は女に紙きれと2万円を渡し、馬券を代わりに買ってきてくれと頼むのである。「何、この前を右に行って、境内を右へ抜けて後は道なりだ。今頃行く連中もあるから、急いでいる者の後について行けばいい、迷う事はない。それとも賭け事は困るかい?」
老いて末期がんという境遇にあっても、老人は馬券を買い続ける。同病相憐れむで、身につまされる。私もいまだに馬券買いをやめない。百円単位の零細馬券を、いつかは1千万円馬券をとると夢想しながら、ハズレ馬券を買い求める週末なのである。今は自宅のパソコンで馬券が買えるから、野中老のようにしんどい中山坂を上がらずともよいのは、果たしていいことなのかどうか。
女は老人の頼みを受け入れた。中山坂を上がり、初めての競馬場に向かう。まるで勝手がわからず、入場券売場と馬券売り場を間違えた。
「ここはどこなんだろう、とあらためて場内を見渡して、ここは、静かなんだわ、とまた驚いた。これだけの人が集まって、せわしなくうごめいているのに、足音が散るばかりで、声のざわめきも遠い。薄く目をつぶって歩き出すと、枯木の林の中を風がはるばる吹き抜けるようにも聞こえた。男たちの影ばかりがひしめいて低い呻きをもらしあっている。」
女の感覚を借りて当時の競馬場の一種殺伐とした雰囲気を描いて見事である。若い男女のデートコースにもなる今の競馬場とはまるで趣きが違う。私もちょうどこの時代、大分県中津市の中津競馬場を訪れたことがあるが、まさに「ここは刑務所か」と思うほどの殺伐さを湛えていた。最果ての地である。東京近辺では一昔前の川崎競馬場がそうだった。鉄火場そのものの雰囲気に学生の私は怯え、ひそかにおのれを恥じた。「この、臆病者め」。
中山競馬場にやってきた女が見たものは、この世の果ての荒涼とした空間だった。ここで古井は競馬場を「三途の川」として描いている。そういえば、中山坂にはお寺もある。死出(しで)の旅の舞台は整っている。
女はようやく馬券を販売する窓口にたどり着く。4千円を出して「2・5」と数字の打たれた馬券を受け取った。レースが終わり、再び窓口に並ぶと、なんと7万円の払い戻しだった。40年前の7万円は、はて、今の何万円にあたるのだろう。老人は三途の川の渡し賃としては多すぎる配当を手にするのである。
茶屋に戻ると老人は柱に背をもたせて寝ている。女は鮨をつまみながら野中が目を覚ますのを待つ。テレビは競馬中継を映しているが、もとより女に競馬への興味はなく、黙って鮨を口に運ぶだけである。鮨を食べ終えたら女と野中の“饗宴”は終わる。末期がんの老人とわけありらしい女との中山坂の一日はまもなく幕を閉じるのである。
ざっと『中山坂』の筋を追ってきた。だが、こんな単純なストーリーで終わらせないのが古井の筆である。女は現在に、老人は過去に、それぞれ「男と女の愛憎劇」を抱えていて、それを微妙に交錯させる描写が『中山坂』の読ませどころのひとつなのである。
たとえば、こんなふうだ。
中山坂で女の背に負われた老人は寝込んでしまい、寝言をつぶやく。老人は寝言の中で一人二役を演じていた。
「よし子、お前、男と寝てきたな」
「まさか、こんな、真っ昼間から」
頓狂な高っ調子にあがった叫びを、女は誰の声かと呆れて聞いた。昨夜ゆうべなら知りませんけど、と胸の内でつぶやいて鼻の根に憎さげな皺を寄せる顔が、面だちまで目に浮ぶ気がした。思わず脇へひねった腰に走る陰気な疼きも、他人のものと感じられた。老人は黙りこんで、返事を待つ様子もなかった。寝息みたいのをかすかに立てている。(前掲書より)
背負われた老人の寝言は過去に複雑な愛憎を抱く女がいたことを暗示し、また背負う女は女で、恋人がいるのに昨夜好きでもない男に抱かれてきたのであった。それで「昨夜ゆうべなら知りませんけど」という忸怩たるつぶやきになったのだ。競馬が唯一の生きがいとなった孤独な老人と都会をあてどなく流離う女が、三途の川と見まがう中山競馬場を舞台に織りなす一幕の寸劇。これこそ私が魅せられた古井由吉の世界だ。音律豊かな散文が自在に舞う詩的小説技法。
なお、女はこの日ジーンズを穿いていて、締め付けられる腰がうずくという悩ましい表現が数度にわたり出てくる。なぜだろう、と不思議に感じて、すぐ思い当たった。
『中山坂』には「シラギク」という牝馬が登場する。これは実在したヤマノシラギクのことだろう。この作品の年、1985年の春に「京都大賞典」を勝つも、腰を痛め同年末の有馬記念を最後に引退した。ファンの多い魅力的な牝馬だった。古井が「女の腰がうずく」と書いたのは腰に故障を抱えたヤマノシラギクからの連想だったのか・・・・・・。私は、主人公の女がヤマノシラギクの化身と考えて何の不思議もないと思う。
古井には自分と競馬の関わりが幸せであるとの確信があった。
「自分一個の生涯を超えて続く楽しみを持つことは、そしてその楽しみを共にする人たちがこれからも大勢いると考えられることは、自分の生涯が先へ先へ、はるか遠くまで送られて行く、リレーされて行くようで、ありがたいことだ」との言葉を残し、2020年2月18日、古井由吉は逝った。享年82、死因は肝細胞がんであった。
参考・引用文献;
『折々の馬たち』(角川春樹事務所・1995年)
『こんな日もある 競馬徒然草』(講談社・2021年)
『眉雨』(福武書店1986年、1989年文庫)。『中山坂』を収録した文庫
写真)眉雨 古井由吉著 福武文庫
出典)Amazon
トップ写真)イメージ:本文と関係ありません