体制危機を深める金正恩の即興的経済政策
朴斗鎮(コリア国際研究所所長)
【まとめ】
・9月9日、金正恩総書記は「偉大なわが国家の興隆・繁栄のために一層奮闘しよう」と演説。
・地方発展20×10政策や食糧供給の統制強化により、深刻な食糧危機が生じ、脱北者が増加。
・金正恩体制への不満が高まる中、警護体制が強化され体制の危機深まる。
北朝鮮の金正恩総書記は去る9月9日、党中央庁舎で「偉大なわが国家の隆盛・繁栄のために一層奮闘しよう」との演説を行った。この演説で金正恩は、大洪水被害の対策ついて簡単に語ったうえで「地方発展20×10政策」の「ビジョン」について再度力説した。しかし、この独りよがりで現実離れした「住民欺瞞政策」は、住民からの共感を得られていない。
金正恩はまた「国家による食料供給復活」の政策も進めている。8月には「地域ごとの穀物管理所建設」を改めて命令し、統制経済化を強化した。この政策は、チャンマダン(市場)を通じた食料供給に統制を加え、国家からの配給へと戻そうとするものであるが、食料の絶対量が不足しているために、むしろ食糧危機を深める結果をもたらしている。
■ 地方を苦しめる「地方発展20×10政策」
金正恩は、今年1月の最高人民会議で、「世紀的な遅れを振り払い、中央と地方の格差を縮める」として、「地方発展20×10政策」(10年間で毎年20カ所の工業工場を建設して地方経済を発展させる政策)を打ち出した。金正恩は7月末の大洪水で大打撃を受けた農村地帯への支援を優先させず、農村に工場を建てることに熱中し、さらなる混乱をもたらしている。去る8月31日にはこの政策を確定する新たな重大措置だとして、党と政府の最高幹部を集めた「地方発展事業協議会」を招集した。
しかし金正恩が熱中する「地方発展20×10政策」によって、北朝鮮経済の「ヒト・モノ・金」のバランスが悪化し、北朝鮮の経済構造はは更にいびつになりつつある。その要因としては、以下の3つの点を上げることができる。
第一は、一部の地域を除く北朝鮮の多くの地方には、工場が入るような条件が整っていないことだ。そこに金正恩の即興的政治判断で、経済条件の綿密な打算もなく強引に事を進める悪手が重なっている。これまで歴代の北朝鮮政権が、権力で経済運営を行い、経済を破綻させてきた教訓は全く生かされていない。
第二に、複数の工場を同時に建設する資材や設備、人材が準備されていないことだ。この状況では、2020年3月に建設を始めていまだに開院できないまま放置されている平壌総合病院の前轍を踏む可能性が高いといえる。
第三に、工場を建設しても効率的に工場を稼動させる原材料やエネルギーが準備されていないことだ。大飢饉を招いた中国大躍進運動(1958~1962)の悲惨な結果が思い起こされる。
しかし、こうした問題点には目も向けず、政策を進めた結果、政策発表8カ月後に早くも方針転換を余儀なくされた。8月末に平安南道成川郡(ピョンアンナムド・ソンチョングン)と平安北道亀城市(ピョンアンブクド・クソンシ)を視察した金正恩は、そこで20×10事業と農村住宅建設を同時に推進するのは難しいので、ひとまず工場に優先順位を置かなければならないと力説した。この朝令暮改式方針転換に地方住民は衝撃を受けた。金正恩がすでに約束していた地方住民の住宅不足解消政策が突然変更されたからだ。
■ 食糧危機を深める「国家による食糧供給復活政策」
「20×10政策」の他にも金正恩の思いつき政策は、北朝鮮経済に打撃を与えている。苦難の行軍(1990年中盤)以来、長らく市場(チャンマダン)が担ってきた住民への食糧供給システムへの統制を始めたからだ。2021年4月から市場でパンや麺の販売が禁止され、2023年1月からコメやトウモロコシの販売も禁止された。
金正恩は今年8月の視察で、地域ごとの穀物管理所建設命令を新たに発した。従来の施設補修程度ではダメだとして、新しい施設の建設を指示した。1990年代「苦難の行軍」以前の「食糧供給国家管理」を復活させようというのだ。
国家に食糧供給の能力がない中で、それを補っていた市場(チャンマダン)を統制すれば、住民の食糧危機が深まることは火を見るよりも明らかである。しかし金正恩は、地方産業の活性化を図るとの名分で強権による食糧供給統制を行っている。これは地方産業創出の名のもとでの統制強化政策以外の何物でもない。
金正恩は、ロシアからの食料支援で食料の供給不足は解消できると考えているようだ。しかし、それは幻想であり錯覚だ。現在ロシアが進めている食料供給は、ウクライナ戦争が終息すれば直ちに消える可能性がある。そうなれば、北朝鮮の食糧供給には計り知れない混乱がもたらされ、収拾できない事態が起こるだろう。
ウクライナ戦争の終息は思ったよりはやく突然やってくるかもしれない。米国の大統領候補であるトランプは、大統領になれば24時間以内に「ウクライナ戦争」を終結させると喧伝している。そうなれば、ロシアの北朝鮮への武器供給依存は必要なくなり、その対価物としての北朝鮮への食料供給はなくなる可能性が高い。
その時に北朝鮮の「金主(新興富裕層)」が再登場すると言っても、金正恩が実施している統制経済下では以前のような役割は果たせないであろう。そうなれば北朝鮮当局の穀物供給は中断せざるを得なくなり、さらなる深刻な食糧危機が起こることになる。
■ 金正恩の即興的政策は体制の危機を深めている
食糧危機が深まる中で、北朝鮮からの脱出住民は再び増加の兆しを見せている。金正恩はそれを阻止するために、中朝国境に鉄条網を張り巡らし地雷まで埋設した。また休戦ラインにも地雷を埋めコンクリ―ㇳの壁を構築した。北朝鮮全域を監獄状態に作り上げたのだ。
しかし、そうした中でも脱北者は出ている。今注目されているのは大洪水に見舞われた中朝国境地域だ。通行証なしでは接近できなかった地域に、韓流など外部情報の影響を受けた十数万人の若者(MZ世代)が押し寄せているからだ。彼らは対岸の中国都市・丹東の景色を見て「かっこいい」などと言っているという。それで当局から処罰を受けたりしている。何らかの事態が起これば中国への大量脱北が発生する状況が作り出されているのだ。
時あたかも韓国の尹錫悦政権は、脱北者優遇政策を打ち出し、北朝鮮住民の脱北を呼びかけている。また中朝関係が悪化する中で、中国政府も脱北者を北朝鮮に強制送還しない方向に変わりつつあるという。
一方、北朝鮮住民の金正恩離れが加速する中で、金正恩の身辺警護も更に強化されている。金正恩が9月11日に「朝鮮人民軍特殊作戦武力訓練基地」を視察した際には、完全武装した多数の護衛警護隊員が、自動小銃の引き金に手をかけたまま金正恩を警護していた。今年3月に「西武地区重要作戦基地」を視察した時には、こうした情景は見られなかった。この異常な警護体制は、金正恩体制の終末が刻一刻と近づいている証なのかもしれない。
トップ写真:記者会見で話す北朝鮮の最高指導者、金正恩(キム・ジョンウン)。2024年6月19日、北朝鮮・平壌(ピョンヤン)。
出典:Photo by Contributor/Getty Images