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.政治  投稿日:2024/10/6

石破茂首相の奇異な言語感覚


古森義久(ジャーナリスト/麗澤大学特別教授)

「古森義久の内外透視」

【まとめ】

・石破氏の言語感覚は奇妙極まる。最も簡明でわかりやすい事柄を最も複雑でわかりにくい言語で表現。

・所信表明演説でも、当たり前のことを改めて大上段から振りかざす形でさも新しいことのように述べた。

・当たり前の表現の羅列は、米政治ではplatitudeと呼ばれ軽蔑される。

 

新たに首相となった石破茂氏については、私は長年、彼の言語の感覚が奇妙きわまると感じてきた。最も簡明でわかりやすい事柄をいつも最も複雑でわかりにくい言語で表現するのだ。この特徴は石破氏の独特の才能なのかとも思ってきた。

とにかく彼の言葉はわかりにくい。やたらと漢字の多い難解な言葉を連発する。その構文も関係代名詞を多用して、複雑をきわめる。だからぼんやりと聞いていると、なにか重厚で深遠なことを語っているのかとも思わされる。ところが実際にはごく当たり前のことをただただ、ややこしい言い回しで述べているだけなのだ。回りくどい言葉もよく聞くと、その内容の単純、平明さがわかってくる。そしてなぜ、もっと普通のわかりやすい言葉で語らないのかという疑問が起きるのが常だった。

だが彼のそんな言語習癖も実は言語の把握の浅薄さの表われだと思わされるようになった。石破氏が自民党の総裁となり、総理となっての一連の言葉の使い方から、そう思わされるようになったのだ。

石破氏は所信の表明としてまず自分自身が率いる内閣は「納得と共感の内閣」だと宣言した。

その後も自己の政治の方針としてこの「納得と共感」という言葉を繰り返した。だがちょっと立ち止まって考えると、この表現のおかしさはすぐにわかる。この言葉を文字通りに読めば、本来の自分の内閣の施策が「納得と共感」だということになる。そのスローガンの主語は石破内閣なのだから「納得と共感」の主体も石破内閣としての納得であり、共感だという意味に受け取れる。

ところが実際に納得し、共感するのは誰かといえば、石破内閣ではなく、日本国民を指していることは、少し考えれば簡単にわかる。そもそも石破氏が打ち上げたこのスローガン文句の主語が誰なのかが不明なのだ。

「納得と共感の内閣」という表現が矛盾しているのである。言葉に使い方自体が舌足らず、だともいえよう。「納得と共感」するのは石破内閣ではなく、日本国民だからである。だから石破茂という政治家の言語能力にはどこか欠落があると感じさせられるのだ。

納得も共感も日本国民の気持ちのあり方を指すことは明白である。石破内閣が納得し、共感するのではないのだ。正確にいえば、石破内閣の政治に日本国民が納得し、共感する、ということだろう。だから「納得」とか「共感」の主語は日本国民であって、石破内閣ではない。だが石破首相は自分の内閣を主語としたスローガンに「納得と共感」という表現をくっつけているのだ。

だから「納得と共感」は石破政権の所信表明ではない。国民の感情や心情、認識の状態について石破氏がこうあってほしいという願望をただ述べているだけの言葉なのである。新首相の所信表明となれば、国民のその「納得と共感」を得るために、具体的にどのような政策を打ち出すかを言明ることが不可欠なのだ。だが石破氏はその政策についてなにも言わずに、政策の受け手である国民心理や感情のあり方を「納得と共感」という言葉で打ち上げたのである。こうした点に石破氏の言語の把握能力への疑問を感じさせられるのだ。

石破新首相は国会での所信表明演説でもまず冒頭で「すべての人に安心と安全を」と述べた。

これまたなにか意味がありそうだが、政策としてはなんの具体的な意味のない言葉だった。

そのほか、石破氏は自民党総裁選から首相就任へのプロセスで同じような言葉を連発してきた。「誠実」、「謙虚」、「真心」、「一生懸命」、「全身全霊」、「人の心にひびく」といった、抽象的、かつきわめて主観的な言葉である。

そこから一歩、進んで、いくらかでも政策に近いと思われる言葉の領域でもなお、「ルールを守る」、「日本を守る」、「国民を守る」、「地方を守る」という表現をまず柱として使っていた。いずれもごく当たり前の言葉である。ルールも、日本も、国民も、普通の政治ならば守るのは大前提、言わずもがなである。要は政策として、どう守るのか、という点である。長い所信表明演説でも、その具体的な施策となると、きわめて言葉は希薄だった。

こうした当たり前のことを改めて大上段から振りかざす形で、さも新しいことのように述べるのが石破話法のようなのである。この種の当たり前の表現の羅列はアメリカの政治の場などでは、platitude(プラティテュード)と呼ばれて、軽蔑される。手垢のついた平凡、平板の決まり文句、というような意味である。石破氏の言語もどうしても私にこのplatitude という英語を連想させてしまうのだ。

トップ写真:組閣後の記念写真に集合した石破茂新閣僚たち(2024年10月1日 東京千代田区首相官邸)出典:Rodrigo Reyes Marin – Pool/Getty Images




この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授

産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。

古森義久

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