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.社会  投稿日:2025/2/12

団塊の世代の物語(13)


牛島信弁護士・小説家・元検事)

【まとめ】

・英子と新たな生活を進めていく三津野。

・大木はアメリカファンドによる滝野川買収計画を三津野に知らせ、賛成を求めた。

・最終的に三津野は買収に賛成し、日本の企業ガバナンスを改善することを決意する。

 

2025年の正月が過ぎた。令和7年ということなのだが、どうも昭和からあとは元号になじみがわかない。といって、さすがに昭和は遠いのだが、でも平成が西暦で何年から何年までかを憶えてはいない。一つにはパソコンやスマホで簡単に探せるからかとも思う。なんといっても若いころ、40過ぎまでは昭和だけで足りたことが大きい。昭和がなくなるとは思いもしなかったのだ。

昭和がなくなる日には金扇という名の築地の和食屋にいた。それだけは憶えている。或る女性といたのだ。もう40年になる。バブルの真っ盛りのときだ。その女性の所有している築地にある土地の話をしていた。278坪、約10億円。皆川伊都子、71歳。子どもはいない。亭主はずいぶん前に旅立ってしまった。「勝手なことばかりして、あげくに最後も独りで知らない間に死んじゃって」と三津野に愚痴った。愛らしく、美しかった面影の残っている、もともと端正で細長い顔立ちが、険のある表情に変わってしまっている。もともろは白かった肌に色素が沈着している顔にピッタリだった。それなりに愛し合っていたのかもしれないと、般若の面を心に思い浮かべながら、若くて幸せだと過去の思い出とともに新たな生活に進んでいく。

信じこんでいた、ふっくらとした伊都子のことを想像していた。三津野は考えていた。70を過ぎた人間の気持ちなど分かりはしない。もう40をとっくに過ぎていた三津野を自分の子どものように可愛がって、それを楽しんでいるようだった。そのときには顔がやわらぐ。人というのは不思議なものだ。

懸案の土地に住んでいたのだが、財産は他にもたくさんあった。「築地のこの土地を滝野川不動産に売ってしまえば、それっきりであなたに会えなくなってしまうのよね。それが寂しいのよ。」と嘆く彼女に、プロらしく土地と新たに取得する建物との等価交換でのマンション経営を勧めた。何年かの伊都子担当が続いて、その間に三津野は課長から部長になった。

「それよさそうね。あなたが建築の面倒もみてくれるのね?」

もちろんと答えると、「それに賃貸しにする部分の面倒もあなたが責任もってくれるわね.私、不動産屋さんに貸すのを頼むのもいやだし、いちいち家賃を取って回るなんて、おお考えただけでも嫌だ」と念押しされた。

「はい。弊社では皆川様ご所有の建物を全面的にお借りしまして、弊社の責任でばらばらに賃貸します。家賃からいって、或る程度豊かな方が借りられることになります。ま、契約書にハンコをついていただけば、1年待ってください。建物ができて借家人で埋まります。そしたら、その後には皆川様の仕事は貯金通帳に毎月のお家賃がキチンと弊社から振り込まれていることをご確認いただくことだけです。」

マスターリースを不動産会社がする。当時はやったスキームだった。そもそもスキームなんて言葉もバブル以前にはなかった。誰一人、土地の値段が下がって、したがって毎月の家賃も下がるなどとは考えてもいなかった。金利が上がるとも予想していなかった。しかし、バブルは日銀が強引に金利を上げて崩壊させたのだ。激震だった。全ての不動産取引の前提が崩れてしまったのだ。三津野が部長として担当していた皆川伊都子の等価交換のマンションを含め、マスターリース案件はすべて家賃を下げてもらう必要があると滝野川不動産は結論し、一斉にオーナーへの減額のお願い行脚が始まった。

「あなたになにもかも任せていたのだから、どんなことになってもあなたがなんとかしてくださいね」

なんども皆川伊都子に呼びだされ、日当たりのいい最上階の彼女のユニットで、伊都子の淹れてくれた上質の煎茶を飲みながらそんな話を重ねた。

弁護士がつくったマスターリース契約書は完璧だった。滝野川は少しもリスクを負っていない。土地の値段があがってもオーナー、つまり皆川伊都子のものだし、下がっても同じことだった。

三津野は弁護士の作った契約書が恨めしかった。

三津野の部下が皆川伊都子にむかって「家賃を下げてください」と話をしても、三津野としか話さないと言い立ててなにひとつ聞こうとしなかった。しかたがないので、もう海外担当になっていた三津野が例外的に皆川伊都子の自宅を訪問した。ただし、いつも部下を連れていた。

「こまったわね、三津野さん。私はどうしたらいいの?教えて。あなたの言うとおりにするから」

皆川伊都子からそういわれると、三津野は自分では喋らずに、連れてきた部下に話をさせ、その部下をしかってみせた。

そんな芝居が続いているうちに、彼女は死んでしまった。

ほっとした。そんな自分を軽蔑しながらも、助かったと思った。

しばらくして聞いたこともない弁護士から会社へ電話があって、皆川伊都子が遺言で遺産の一部を三津野に遺している、と告げられた。さすがに応えた。電話口で立ち上がり、丁重に弁護士になんども頭を下げながら、遠慮すると伝えた。「いいんですね。億を越える金額ですよ。」

弁護士は三津野が断る理由が理解できないようだった。それでも三津野の気持ちを直接確認できたからか、最後には「わかりました。それでは書類を送りますから、ハンコを押してご返送ください。」と言った。<ハンコを押してご返送か>自分が以前、皆川伊都子に使った言葉だった。

こうしてバブルの崩壊の現場にも立ち会い、三津野は常務から専務になっていったのだ。

<運と縁と依怙贔屓か。まことにそのとおりだな>

本音だった。

今年の正月は6日から始まった。その前の2日間が土日と休みだったから、9連休になった。珍しいことだと思っていると、英子が「来年もそうよ」と教えてくれた。

「そんなことって、今まであったかい?」

英子も知らないと言う。再来年は?年末の28日が月曜日で、5日の火曜日からの勤務になるから、ちょうど1週間の連休だ。短くなる。

お正月の三が日が終わると、英子は「明日、広島に行ってくる。正月の6日から2,3日は広島にいなくてはならないの」と告げた。11日の土曜日に上京してくるという。そして最後に、「11日には新しいところで会えるといいのだけど」と言った。

「えっ、どうしたの?」

三津野がたずねると、うれしそうに微笑んだ。

「驚かそうと思って。それで黙っていたの。驚いた?怒る?」

「驚いたよ。でも怒ったりなんかするもんか。あなたらしい。分かってるだろう、僕にとってはあなたと逢うことはなによりも重要だけど、どこで会うかはそれほどではない。でも、僕たちどこへいくの?」

パークマンション赤坂氷川町というマンションの名を英子は言った。築40年ものなのだが、広さが100坪と聞いて<ああ、あれか>と三津野は思った。10億以上はするだろう。最近の都心のマンションの値上がりは異常だ。中古でも坪2000万円するものもあるし、新築なら坪3000万、4000万という時代になってしまっているのだ。

以前通っていた赤坂新坂はどうするのかはきかない。新しいマンションの名義がどうなっているのかもたずねない。必要があれば英子が言いだすだろうとだけ思っている。それで快適にいられる英子との関係が好ましいのだ。英子の持っている会社の一つの名義であったところで、三津野にとってはどちらでいいことだ。むしろ、赤坂新坂が自分個人の名義であると強調したことが不思議だったくらいだ。登記名義が岩本英子という個人になっていることが彼女にとっては重要だったようだった。

<不動産登記か。戸籍と似ているとでもいうつもりなのかな>

とそのとき思ったくらいだった。第三者、つまり世間に示すために登記はある。戸籍も同じことだ。この赤坂氷川町のマンションは、峰夫が会社の名義で買っていたものでそのままになっているのかもしれなかった。勘ぐれば、以前から持っていて峰夫との思い出が数えきれないほど詰まっているところなのかもしれないのだ。それで、英子は内装をなにもかも変えないではおれなかったのかもしれない。

11日夕方、羽田のANAのターミナルまで英子を迎えに行った。

三津野は思い出す。未だ小学生だったころの年末、広島に勤務していた父親が飛行機で帰ってきたことがあった。三津野は6歳上の兄と二人で羽田まで迎えに行ったのだ。70年近くまえのこと、未だ飛行機での移動は珍しい時代で、父親の飛行機での帰京が誇らしい思いだった。「所長さんが、年末までよく働いてくれたからって飛行機で帰っていいと言ってくださったんだ」と父親が電話で告げた。声が弾んでいた。で、わざわざ、ズックの靴、足の甲にゴム部分があってそこに名前を書いた登下校するズックではなく、とっておきの革靴を履いて行くことになった。

その革靴のせいで三津野は大変な悲劇に見まわれるところだった。羽田空港のフロアが石張りで滑ったのだ。三津野が滑って転びそうになったのを隣にいた兄が力強く左手で三津野の右手を握って支えてくれた。それから歩幅を狭めて歩いた。もし石の床に強く頭を打ちつけていれば、今の三津野はいない。そんな些細な一瞬で人生は決まることがあるのだ。あの時を思い出すたびに三津野は人の世の不思議を感じる。

父親は、タラップを使って飛行機から降りてきた記憶だ。空港ビルの屋上から見ていた記憶だ。そういえば、あのタラップという飛行機の出入り口についた階段は、いつから使わなくなってしまったのか。三津野自身も何回もタラップを上り下りしたことを憶えている。

三津野は英子をガラス越しに認めた。薄い黄色いシャネルのハンドバッグ一つで気軽に出口に向かって急ぎ足に歩いている。嬉しかった。涙が出るほど嬉しかった。急ぎ足でいる姿に、「気をつけて」と小さく叫ばずにいられない。軽い動悸を覚えた。すぐに英子の視線が三津野を捉える。三津野は英子に向かって大きく右腕をあげて手をふった。三津野にとって初めてのことではないのに、生まれて初めてのことのように感じた。われながらおかしかった。

たしかに内装はごく新しい。工事に何か月かかかっているはずだった。しかし、ドアと窓のサッシは古いままだ。専有部分ではなく共用部分だから、所有者といえども好き勝手はできない。ただし、ドアの内側の塗装は自由だ。もっとも、法律や規則に反しているからと言って、誰がなにかをするとうこともあまりない。

ドアの内側には英子好みのローズウッドの壁紙が貼られていた。そして、玄関ホールには小さな花柄の壁紙だった。それがリビングに続いている。100坪。広い。

「あなたも小さなピンクと赤や緑、それに黄色の花柄の壁紙につつまれていたいだろうと思って」と5LDKの部屋の一つ一つを案内しながら説明してくれた。それぞれ、違う壁紙だ。「ああ、ウィリアム・モリスだな」と思った部屋もあった。イチゴを盗んでいるのはツグミという名の小さな鳥だ。「イチゴ泥棒」というよく知られたモリスのデザインだった。ウィリアム・モリスはいつ見ても心が休まる。それはそうだろう。ウィリアム・モリスは産業革命に疲れた人、疲れてはいても心に渇きを覚えた人のためにあるのだ。だから彼のアーツ・アンド・クラフトは人気を呼んだし、今でも人気がある。英子が見抜いたとおりだった。三津野は現代のビジネス社会で成功し、それがゆえに渇き、なにかしら癒しを求めていたのだ。そしてウィリアム・モリスではなく、英子に出逢った。

「ここがあなたの部屋」と案内されたそのウィリアム・モリスの壁紙の貼られた15畳ほどの広さの部屋にはデスクも椅子も置かれていない。

「机も椅子も、お好みがあるでしょう。私にはそこまであなたの好みがわからないから。」

と言ってから、英子は「未だ」と付け加えた。「ご自分の趣味のものを入れてね。いつでも搬入させていただきます」

「ありがとう。この部屋いいね。ここにジョン・エヴァレット・ミレイの「オフィーリア」の複製を買ってきてかけてやろうかな」と英子にささやいた。はかない命だった若い女性が、緑に包まれた水に浮いている絵だ。

三津野はなに一つ予め知らされていなかった。1月の3日の夜、いつもの小さなマンションのベッドのなかに二人でいるとき、ことが終わってからふと思いだしたように、「新年の6日から赤坂新坂から赤坂氷川町に替わります。だから次からはそこへいらして。」と突然一方的に告げられ、鍵を渡された。初めて鍵を渡されたときと同じだった。三津野はもちろん職業上から見知っているマンションだ。だから、駐車場から自分の部屋の玄関に直接上がることができる特別仕様だということも知っていた。

『第三の買収』という小説に、

「大日向恒三の自宅は赤坂六丁目にある。霞が関から渋谷に向けて首都高速三号線に乗ると、左手のアークヒルズを越えたあたりで、右手側に真四角のコンクリートの積み木を積み重ねたような特徴のある外観の建物がいくつも見えてくる。ハリー・ウィーズ&アソシエイツが設計したアメリカ大使館の職員のための宿舎だ。幅三五〇メートルに奥行き一三〇メートルほどの一万坪を超える横長の長方形の敷地になっていて、その北西の端がT字形交差点に面している。そのTの字の横棒にそって交差点から東へ少し離れたところに、バブルの時代に大手の不動産会社が分譲した五階建ての超高級マンションが建っている。最上階が大日向の住んでいるユニットだった。地下一階の駐車場からその最上階まで鍵付きの専用のエレベータが直接つながっていて、大日向家の玄関の内側でエレベータの扉が開く仕掛けがついていた。日本では珍しい作りといっていい。東の窓を開ければ氷川神社の森の湿った香りが漂い、西側の窓の外には日銀の氷川分館の緑がまるで地面そのものであるかのように鬱蒼と大きく広がっている。日銀の氷川分館といえば、四〇年以上前に時の大蔵大臣であった田中角栄が山一証券への日銀特融を決断した場所として知られたところだ。七年後に首相になった田中角栄は、その瞬間まだ四七歳だった。首相官邸から歩いて一五分とかからない都心にあるとは思えない、申し分のない環境に囲まれたマンションだ。その三〇〇平方メートルを超えるスペースが、今年七〇歳になる大日向恒三が三七歳の妻と三カ月になる息子の三人で暮らしている住居だった。」と描写されている。そのマンションのその大きなユニットだ。

アメリカ大使館員宿舎の入り口は広く、頑丈な鉄の柵があり、いつも日本人のガードマンが立っている。

40畳はあるリビングにモビリアのスネークソファが置かれ、そこに二人、寄り添って座っている。目のまえのガラステーブルでは、英子が淹れてくれたセカンド・フラッシュのダージリンティーが静かに湯気をあげている。英子が「いつ生まれるの?」とたずねた。三津野は落ち着かない思いながらも、うん、とだけ答えて、ロイヤルコペンハーゲンの大振りのティーカップをとりあげて一口すすった。銀座のリーフルティーハウスの茶葉だとすぐにわかる。二人で銀座のあけぼので買い物をした帰り、散歩しながら三津野が店を英子に教えてやったのだ。

<紅茶を一つの文明に育て上げたイギリスか。そのためにどれほどの血と汗とが流されたのか>と、いつも思う。紅茶の味は、或る意味で、いつも苦い。苦いのだ。

三津野はあらためて英子に向かって、「今月には産まれるんだろう。だからいい日を選んでおいて。」

そう答えた。社団法人の名も決まっていた。

信英投資という名にするつもりでいたところを、大木の助言で新栄に替えることになった。「お二人は社員ですからね。理事長は岩本さん、理事にはウチの弁護士に入ってもらいます。もう一人、懇意の信頼できる公認会計士さんにも入ってもらいましょう。これで三津野さんが関係している社団法人だということは、誰にもわかりません。」

あいかわらず大木弁護士は三津野の滝野川不動産での立場を気にしているのだ。

「もういいんだよ、大木先生。僕は英子と心中するんなら本望なんだから。僕の社会的立場や滝野川不動産での過去なんて、もう昔の幻さ。」

「そうは行きません。あなたはそれでいいかもしれないけれど、滝野川不動産の幹部従業員協同組合の組合員は許してくれませんよ。それぞれの人にとって、人生そのものです。重い、とても重い。だから、社団の名称にも役員にも気を配っているんです。いずれなにかが起きるにしても、それはその時のこと。今は、未だ。少なくとも、この瞬間は、ね。」

大木弁護士の心配は当たった。

1年後、セブン&アイが外資に買われることになった。会社の同意を条件とするといいながら、結局、創業者ファミリー中心のMBOには資金がつかなかったのだ。会社としては特別委員会に任せざるを得ず、任せられた特別委員会、すなわち独立社外取締役の集団は、会社が推進してきたMBOが腰砕けになると、本当に経営者から独立した取締役になってしまって、数字の赴くところにしたがったのだ。

記者会見で特別委員会の委員長は胸を張って、「独立した取締役で構成した特別委員会そしての使命を果たせました」と言明した。

次はどこだ、とセブン&アイの結論が出る前から噂がしきりだったが、なかでも滝野川不動産は候補のナンバーワンだった。PBRは常に1.0から1.5の間で、しかも市場ではこの5年間の不動産価格の高騰は織り込まれていないといわれているのだ。

株も散っていた。いや、内外の機関投資家が大株主だったからもっとたちが悪かった。それが安定株主と呼ばれて、三津野が社長の時代には安心材料だったのに、時代が変わっていしまったのだ。国内の機関投資家はスチュワードシップ・コードに縛られている。海外の機関投資家は議決権行使助言会社のいいなりだ。時代が変わったのだ。強みが弱みに一変してしまっている。累卵の危うきにあるといってよかった。

一番の弱点は、買収して保有不動産を売却すれば容易に利益が出せることだった。もちろん物件によっては何千億にもなる。しかし、マーケットはそれくらいは直ぐに飲みこむ力を持っている。

防衛策は?

金融庁が損保ジャパンの政策保有株、すなわち持ち合い株の売却を事実上強制してから、もはや持ち合いは解消する動きはあっても、相手になってくれるところなど地道に探しても見つけ出すことはきわめて困難というほかない状態だった。

三津野のところまで個人の保有株を売ることはないだろうという念押しが会社の総務部からあった。黙ったままで返事をしなかった。怪しまれたに違いない。未だ名誉顧問の肩書がついたままなのだ。

滝野川不動産の株を三津野はサラリーマンには不相当なほど大量に持っている。新入社員時代から少しずつ勤務先である滝野川不動産の株を買い続けてきた結果だった。退職金もそれに充てた。時価にして10億にはなっていた。幹部従業員協同組合の一員たる個人としては極めて大きい。

「いや、僕の株まで心配になるなんて、会社もそうとう神経質になってるんだな」

英子に、新しいマンションのリビングでノンアルコールビールのビットブルガを飲みながら、上機嫌で話すと、英子の表情が変わった。

「あなた、私たちの子ども、滝野川の株、ずいぶん持っているのよ。信託銀行名義で未だ掴まれてないけど。」

「おいおい、まさか大量保有にはなってないよな。時価からいって1%でも200億だから、いくら岩本財閥でもまだまだだろうけどな。それに峰夫氏の狙いは親子上場の子会社株だったんだろう。滝野川は違うんじゃないか。」

三津野の言葉には答えず、上機嫌で英子が手を伸ばした。それは二人でベッドに行こうという合図だった。

「明日、東洋経済の記者さんが取材にみえる。なにか知っておいたほうがいいことがあったら、教えておいてくれよ。我が子に恥をかかされたくないからね。僕は滝野川にいた三津野さんになってしまっている。その事実は消せないが、だからといって、もう僕は拘束されない。英子、あなたとなら地獄へ行くのも至福の旅路だっていう心境だよ」

三津野は英子の右手をとって、立ち上がった。

「三津野さん、折り入ってお話があるんですが、いつお会いできますか。急ぎなんです、済みません。」

大木からの電話だった。三津野は上機嫌に、

「あ、先生。先生ならいつでもいいですよ。今夜、英子のマンションでいかがですか。引っ越しちゃってるね、間違えないで。」

9時を約した。夕食後という意味だ。三津野は、どうしても英子と二人だけで食事をしたかった。一回が惜しいのだ。いつも二人きりでできる夕食の数を数える。未だ三桁はあるつもりだが、先のことは誰にもわからない。

 

「ああ、ここでしたか。確かここはバブル時代の頂点の一つだったマンションでしたよね。場所といい規模といい、象徴的なやつだったな。」

大木が上気した頬を両手でぐるりとなでながら二枚扉の玄関を入っていくと、開いた扉の向こうに三津野と英子が手をつないで並んで立っていた。英子の口紅の色が大木の目を引く。深みのあるローズレッドに、淡いピンクが重ねて塗られているようだ。

それにしても広いホールだ。大木が周囲を眺めまわす。

「いいですね、壁紙が。たくさんの黄色い花、紅い花。なんの花なんだろう。何種類あるかなあ」

と眺めまわしていると奧のスネークソファに案内された。紫色は珍しい。

「懐かしいソファだなあ。昔、西村弁護士の事務所をお訪ねしたことがあって、そのときにこのソファの形を知ったんですよ。いやだなあ、もう40年前のことになる。」

三津野も西村利郎弁護士のことはよく知っている。滝野川がクライスラービルを買ったときに面倒を見てくれた弁護士だった。

「彼はずっと賃借りマンション暮らしでしたね。確かこの近くのマンションを借りていらした」

三津野が消えかかった記憶の端っこから引き出しでもしたように語る。

「弁護士が未だ儲からない時代の偉大なパイオニアでした。彼のおかげで何十人の後輩たちが儲かる弁護士になった。ビジネスローヤー界の大村益次郎ですかね。」

尊敬が声に出ている。大木にとっては、自分が西村小松友常という名の法律事務所で働くことを真剣に悩んだ時代、大木が未だ修習生だったころの先覚者だったのだ。

そういえば、友常弁護士には、「大木さん、あなた大量の英文の書類を見て、そのなかから活字、bとかdとかが逆さになっているのを探すような仕事、できるかな?」と問われたことがあった。もちろん「はい」と答えたが、妙に印象に残る質問だった。

「で、先生、珍しく急いで、どうしたんだい?」

向いあって一人掛けのアームチェアに座った三津野が頭を背もたれに預けたまま尋ねる。先ほど済ませた夕食の鯖寿司のおくびが上がってくる。左手は英子の右手と重ねられたままだ。英子は不自然なほど近づけて置かれた二つのアームチェアの一つに座っている。アームレスト越しに右手を伸ばしているのだ。

「或るアメリカのファンドが滝野川の買収を考えています。三津野さん、素晴らしいチャンスです。買収に賛成だ、って世の中全体に向かって大きな声をあげてください。」

三津野は答えない。代わりに英子の目が輝いた。すぐに立ち上がって、三津野の後ろにまわると両肩に両手で触れた。三津野が細い目を一段と細めて振り返る。目のまえに大木もいなければ、大木の大変な用事も存在しない。

「あなた」

英子が三津野の首筋に顔を落として、耳元近くで話しかけた。

「私たちの子どもの出番よ。」

「そうみたいだね。こんなに早いとは思わなかった。」

大木が声を励ます。「世の中が速く回っているのです。」

「そうだ。そのとおりだ。」

三津野は、後ろ手に英子の腰に手を回すと、その腰の厚みを感じながら大木に向かって話しかけた。

「それにしてもねえ。」

三津野の声が大きなリビングで低く小さく響いた。

大木が、なにかを避けてでもいるように声を潜めると身を乗り出し、

「三津野さん。滝野川にはもうあなたはいない。いるのはあなたが指名した小物の社長や会長だ。日本的コーポレートガバナンスの悪しき面ですよ。それだけでも、この買収は成功が約束されているようなものです。でも、それでは足りない。日本のためにならない。このディールはあなたが滝野川を裏切ったがゆえに成立するものでなくてはいけないんです。あなには、この件で積極的に日本を導いて欲しいんです。沈黙しての消極的な支持では、国のためにならない。日本の未来の世代のためにならない。」

三津野は大木の次のセリフを待ってでもいるように黙ったままだ。英子は三津野の肩を強くつかんでいた。

<英子のやつ、痛いじゃないか。そう、痛い。でも、これはなんのための痛いなのか>

大木の声が広い部屋の青いペルシア絨毯を這うように響きつづける。

「戦艦大和とともに沈んだ臼淵大尉が最後の瞬間まで望んでいたこと、それを、今回、いっしょになし遂げましょう。あの世で彼に、遂に日本は再生するよ、と報告できるように」

「えっ?」

「いやだなあ、三津野さん、よおくわかっているはずですよ。『私的な潔癖や徳義にこだわって、本当の進歩を忘れていた。』っていう、あの臼淵大尉の言葉ですよ。日本は、今度こそ本当の進歩ってものをしなくちゃいけない。今回は待ったなしだ。アメリカのトランプ新大統領は買収が成功することを望んでいます。圧力をかけてくるでしょう。」

「トランプが?あの、日鉄のUSスチール買収を邪魔した男が。バイデン大統領もバイデン大統領だったけど。僕は、日鉄の橋本CEOはよくぞアメリカ大統領を訴えたと思って、心から喝さいしているんだよ」

「なにを言っているんですか。それこそがあなたの日鉄に対する、いや友人である橋本会長への私的な潔癖や徳義に過ぎないって、どうしてわからないんですか。本当の進歩を忘れている。破れて80年間も目覚めなかった日本が、今回のこと以外でどうして救われるのですか。日本の再生の前には、私的な感情は捨てないと。それは、三津野さん、あなただけが、今回のこの場で表現できることです。」

英子が三津野のアームチェアのひじ掛けにお尻をおいて身体を寄せた。三津野は動かない。身じろぎ一つしない。目はテーブルに置かれたティーカップに注がれている。

「でもね、先生。当然のように、滝野川グループの仲間が反対同盟に加われと言ってくる。僕はたまたまだけど、いまでは滝野川では一番の生き残りの長老っていう立場にある。彼らは僕を押し立てて滝野川を守ろうとするだろう。もう、僕以外に滝野川グループの鍵はないんだ。先輩たちはたまたま死んでしまって、もう一人もいない。」

そう言うと、深く息を吸った。

「そうか、先生。沈黙してはいけない、か」

「そうですよ。だからこそ、です。」

「わかった、先生。どうして滝野川が買収されるといいのか、それを教えてくれ。それも、僕という滝野川の長老とも称されている男が裏切り者になるってことがどうして必要なのか、教えてくれ、先生」

「ありがとうございます。分かっていただけると思っていました。それは、臼淵大尉が海の底深くに沈んだからです。日本は自分がなにものかを、滝野川が買収されることで知らされるんですよ。日鉄の橋本さんのことが出たのが好い機会です。私は、彼が優れた日本のビジネスマンであることは誰よりも知っています。私の依頼者は日鉄グループに捻りつぶされたことがあります。冷厳な資本の論理といえばそのとおり。間違いない。しかし、冷厳なのは日本の内側だけではない。外ももちろん同じことです。だから、三津野さん、あなたは臼淵大尉なんです。『敗レテ目覚メル、ソレ以外二ドウシテ日本ガ救ハレルカ(中略)俺タチハソノ先導二ナルノダ』と臼淵大尉は自分に言い聞かせ、『日本ノ新生二サキガケテ散ル マサニ本望ヂヤナイカ』という言葉を残しました。三津野さん、あなたは日本の幹部従業員協同組合が破壊される『先導』になるんです。碇知盛ですよ。壇ノ浦で『見るほどのものは見つ』と言って、碇を身体に巻き付けて海に飛び込んで自死した。闘い、切り殺されることもできた。でも、自死を選んだ。あなたでないとできない役です。幹部従業員協同体の組合員を全員、道連れにするんです。」

「平知盛なら喜んでなるが、でも彼は裏切り者じゃない」

「裏切り者です。戦の途中で『見るほどのものは見つ』って、戦線離脱しちゃうんですよ。いわば敵前逃亡だ。でも、あなたは碇知盛以上のことをする。組合員に、もう組合はお終いだ。滝野川は、組合じゃなくって、力のある者がリードし、そのリーダーに選ばれた者が押し上げる。海外のファンドは経営はできません。新しいリーダーが、新しいルールで選ばれる。それは日本人でしょう。しかし、前の社長のお気に入りではない。」

「でも、どうして日本のためになるんだい?」

「それが日本の地金だからですよ。滝野川には眠っている価値、含みがたっぷりある。それを使ってどんな素晴らしことができるか」

「なにもかもアメリカに持って行かれてしまうだけだ」

「それでいいんです。そうなったら、三井も三菱も、どの会社も、火が付いたようになります。日鉄も同じ。アメリカが、日本というのは一人で立つことのできる国なんだと理解すれば、真の同盟関係を結ばないと危ないと思うでしょう。そうなるためには、一度海の底に沈むことを経験しなくては、みんなの目が覚めない。」

「損な役回りだな」

ぽつりと三津野が言った。英子が、大木の目のまえも顧みず、三津野に斜め前から抱きついた。

「損?反対でしょう。正に本望です。もし滝野川が初めのターゲットになっていなければ、滝野川は再生する側にいた。しかし、歴史は大和に過酷な運命を要求したように、滝野川に非情な定めを課そうとしている。それを本望と受け止めなくては。そのためには、人々に謗られ、憎まれ、軽蔑される役の人間が要る。三津野さん、それがたまたまあなただったということです。」

英子は三津野のしがみついたまま、小刻みに震えていた。

「先生、わかった。英子、二人の子どものため、いや自分のために、そして日本のために、だ。英子と再会した僕は、英子のおかげでいまや自分に素直であり得る。問題は、日本と滝野川のためになにが一番ふさわしいのか、だ。滝野川の後輩たちに、『君らを両脇にかかえて僕は海へ飛びこむ。能登守教経だよ。いっしょに消えよう、次の世代のために、日本のために。海で臼淵大尉に報告しようではないか』って言うのかな。滝野川を設立した方、設立して、後事を優れた青年たちに任せ切った方はいま1万円札になっている。経営は任せて、次の人材を発掘する。そういう方だった。そうか。俺は、戦後の財閥解体以来の滝野川の幹部従業員の協同組合を壊してしまうのか。人情において、そいつは忍びない。幹部従業員の協同組合。そいつは、苦し紛れで始まったけれど日本なりの素晴らしいシステムだった。戦後40年。プラザ合意でアメリカに破壊されてしまった。第二の敗戦だ。そして失われた30年。いや30年どころかもうすぐ40年になってしまう。日本が再生するために死んだ臼淵大尉へなんと報告するのか、か。そうだな。」

三津野は英子の顔を見すえると、

「英子、進歩のないものはダメなんだよ。『私的な潔癖や徳義にこだわって、本当の進歩を忘れていた。』あの沈みゆく戦艦大和の艦上での臼淵大尉の言葉が、日本独特の、上場株式会社の衣をまとった幹部従業員協同組合の実質を言い当てている。不思議だ。戦後80年。僕らは一貫して『私的な潔癖や徳義にこだわっていた』のか。あれは、そういうことだったのか。じゃあ、その向こう側にはなにがあるのか。滝野川不動産でその組合長をやっていただけに、僕には『私的な潔癖や徳義』がよくわかる、この身にしみこんでいる。そうなんだよ。そうしたことにこだわっていてはいけないんだ。僕は喜んで、背徳者、卑劣漢、裏切者になる。英子、わかってくれるよね。」

英子が大きくうなずいた。

「あなた、なにを言っているの。本当は女性たちも、その一員だったのよ。私的な潔癖と徳義。そのとおり。銃後にいて、戦艦大和を死への出撃に追いやったのは、臼淵大尉の家族であり、未来の恋人。私的な潔癖と徳義。私も日本人だからわかる。それを裏切者になってでも壊すって言うあなた。一人ではさせない、行かせない。私もこの手を喜んで汚す。それが日本のため、日本の新生に先駆けて散る。まさに本望よ。しかもあたなといっしょだなんて。私はこのために生まれてきたのね。だから謗られ、傷ついたあなたと二人で死ぬの。」

三津野は微笑んだ。

「死なない。生きる。僕たちは再生を力強く生きるんだ。」

大木に向き直ると、

「先生、日本の分かれ道だ。貯めてきた富を奪い去られるかどうかの境目だ。コーポレートガバナンスの活躍すべきところじゃないか。独立社外取締役に頼る。ただし、実質がある社外でなきゃダメだ。そのために、選任について会社で働く者に同意権があるという発想はどうだろう?会社は公器だ。株主は中長期の視点を持っていて初めて株主だ。それを法律論としてどう組み立てたらいいのか、いっしょに考えて欲しい。僕が滝野川の買収に賛成するときに提唱したいんだ。立法論なんて評論家業は要らないからね。」

「いいですとも。アクティビストは重要ではない。機関投資家が賛成して初めて力になる、そういう年来の私の持論にも一致します。それに、幹部従業員の協同組合員のこころにもぴったり来るでしょう。いっしょに具体的な中身を考えましょう。技術論は簡単です。定款に盛りこめばいいだけですからね。」

「つまり株主の3分の2の賛成がないといけないってことだね」

「そうです。でも、集まる。かならず集まるんです。ですから、集まるのはなぜか、から考えましょう。」

大木は乗り気のようだった。

三津野が英子に、アールグレーを淹れてくれるように頼んだ。大ぶりなトレーに空いたティーポットと皿にのったままのカップを3つ載せて、キッチンへしずしずと歩いてゆく。その背中に向かって「ノリタケのセットがあったろう。あれ持ってきて。僕が淹れたい」

「ノリタケのどれ?」

「ノリタケの菫の絵のついた小ぶりのやつ。オキュパイド・ジャパンて書かれている懐かしいのさ。僕の好きなの」

「わかった。オキュパイド・ジャパンね」

「で、先生。どうして集まるの?」

「知りません。みんな賛成したくなるからでしょう、きっと」

「え?」

「あなたが裏切者になって、急に有名人になるからよ。吉田松陰みたいに」

いつの間にか英子が春慶塗のお盆にカップと皿を3組持ってきて大木の後ろに立っている。

「おやおや、ずいぶんと老いぼれた松陰だね」

「でも、無謀なことをしてみせる点では同じです。」

大木は冷静だった。

三津野は笑っている。大木の後ろからとなりに動くと、大きく屈みこむようにして大木の手元のテーブルにティーカップを置いた。淡いグリーンのカシミアのセータの胸元が大胆にえぐり取られていてそこから豊満な乳房が溢れだしそうだ。三津野は目を細めて眺めている。英子も三津野に見られていることがわかっている。大木は微笑ましい光景だと顔が緩んでくる。なんという人生の好日を持った、幸運な老人たちなのか。

大木は、2つの写真を思いうかべた。ヴェニスと神戸とで撮られた写真だ。

一枚は、加藤周一がヴェニスのゴンドラ乗り場で矢島翠と二人立っている。冷たいのかコートのボタンをいちばん上までしめた加藤周一は矢島翠の肩を強く抱き、人生が自分に与えてくれた幸せな瞬間への、しみじみとした喜びが満ち溢れた顔をしている。66歳。もう一枚は、谷崎潤一郎が自邸の庭においたデッキチェアに座り、三人目の妻、根津松子を後ろにしゃがませ、自分はおだやかな陽差しを浴びながらカメラに視線を投げかけている。男と生まれてこれほどの幸せはあるまい、と小さな声でつぶやいているようだ。50歳。

大木が出て行ったあと、三津野は英子とこんな会話を交わした。

「どうやら僕は、あの三越の極悪人だった岡田茂になっちゃいそうだね。あなたは同罪の竹久ミチだよ。いいのかい?」

「うれしい。あなたとならどんなことがあっても嬉しいだけ。でも、私たち悪いことなんてなんにもしてない。世間の人たちもわかってくれるっていうのが大木先生のご宣託でしょ」

スネイクチェアに並んで座っていたのが、前にまわって三津野が広げた両脚の間にお尻から入りこんだ。英子の背中と三津野の胸がぴったりと合わさって、大きなシルエットになって凝っているようだった。

 

写真)イメージ

出典)Photo by poplasen/Getty Images




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