韓国大統領選の裏側:李在明氏勝利と韓国民主主義の成熟

宮家邦彦(立命館大学 客員教授・外交政策研究所代表)
宮家邦彦の外交・安保カレンダー 2025#22
2025年6月2-8日
【まとめ】
・2025年の韓国大統領選挙。李在明氏が勝利し、金文洙氏が敗北、投票率は高水準であった
・韓国の民主主義は成熟し、大統領が非常戒厳を発動しても国軍は動かず、政治的動乱も起きなかった。
・李在明新大統領の今後の行動については、楽観視すべきではなく、政治的に追い詰められれば強硬なカードを切る可能性も。
今週のハイライトは6月3日の韓国大統領選挙だと考え、掲載を少し遅らせて結果を待った。まあ「どんでん返し」は無理だろうな、と思っていたら、何とその日のトップニュースはミスターベースボール長嶋茂雄氏の死去だった。筆者の小学校時代、日本の人気者は「巨人、大鵬、卵焼き」だった。勿論、巨人とは「王・長嶋」のことである。
誤解を恐れずに言うが、あの頃の長嶋茂雄は、今の大谷翔平とは別の意味で、国民的なスポーツ選手だった。決して天才ではなく、努力と精進の人だったのに、彼はそれを表に見せず、あの天真爛漫なキャラクターで多くの国民に愛された。戦後日本が最も輝いていた60年代、70年代を象徴するようなヒーローだった。合掌。
おっと、野球の話ばかりだと叱られるので、本題に入ろう。韓国大統領選挙は、予想通り、進歩系最大野党「共に民主党」の李在明前代表の勝利に終わった。従来、韓国の大統領選は「直前」まで予測不能などと言われていたが、さすがに今回は、この結果に驚いた人は少ないだろう。
一般に選挙は「誰が勝ったか」も大事だが、「誰が負けたか」の方が重要な時もある。今回は「李在明」勝利よりも「尹錫悦」の敗北、というのが筆者の仮説だ。詳しい選挙の分析は専門家に任せるとして、ここでは筆者の勝手な見立てを書こう。この分析は昨年の米大統領選挙でも使った手法である。
失礼を承知で申し上げるが、李在明候補は決して国民的な英雄ではなかった。昨年12月に驚くべき「非常戒厳」を宣言した尹錫悦前大統領が罷免され、保守陣営が分裂する中、前倒しで行われた選挙だからこそ、圧勝できたのだろう。だとすれば、敗者は「尹錫悦」、勝者は「韓国の民主主義」というのが筆者の見立てだ(ちなみに、昨年の米大統領選の敗者はバイデンと米国の民主主義である)。
選挙管理委員会によれば、李氏の得票率は49.42%、保守系与党「国民の力」の金文洙前雇用労働相は41.15%。投票率も韓国大統領選としては1997年以来の高水準だったそうだ。韓国の民主主義は間違いなく成熟しつつある、と強く感じる。大変結構なことではないだろうか。
民主主義が成熟した最大の理由は、勿論、韓国有権者自身の「成熟」であろう。大統領が非常戒厳という禁じ手を発動しても、国軍全体は決して動かなかったし、政治的動乱も生じなかった。また、今も歴史的分断はあるものの、一般国民の意識についても、より冷静で、以前のような教条的リベラル系の勢いは峠を越えたように感じる。
そうは言っても、李在明新大統領が穏健化するとか、中国や北朝鮮に厳しくなるなどと期待すべきではない。民主主義は「気まぐれな有権者の決定」である。政治的に追い詰められれば、「親北朝鮮」、「反日」などのカードを躊躇なく切って来るだろう。とりあえずはcautiously optimisticというかfavorablly pessimisticというところか。
次は、長嶋と李在明の影に隠れていたが、実は重要なウクライナ停戦交渉について。6月2日にロシアとウクライナによる今年2回目の直接協議がイスタンブールで開かれたが、ロイターによれば「大きな進展は見られず、捕虜をさらに交換すると合意しただけで終了した」のだそうだ。
ロシアはウクライナや欧米が求める「無条件停戦」を再び拒否し、逆に前線の「特定地域」での2~3日間の停戦を提案したという。要するに全面停戦する気なんてないのだが、こんなこと、初めから分かっていたことではないのか。トランプ政権は結局従来の支援を続けざるを得なくなるかもしれない。実に馬鹿馬鹿しい限りである。
それよりも気になるのは、ウクライナ側の対ロシア国内攻撃の進化だ。ウクライナ軍は前日にドローンによる大規模長距離攻撃を実施し、ロシア国内奥深くの基地4カ所で爆撃機など計41機を攻撃したそうだ。一年半かけて準備した秘密作戦だったそうだが、この種の戦法は将来の戦争を考える上でも参考になるかもしれない。
もう一点、バチカンについて触れたい。先週は「なぜ枢機卿団は米国出身の枢機卿を教皇に選んだのか。米国人である『にも拘わらず』選ばれたのか、逆に、トランプ政権を牽制するため、即ち、米国人『だからこそ』選ばれたのか。いやいや、いずれも「深読みし過ぎ」で、実はどちらでもないのか。」などと書いた。
この続きは今週の産経新聞のWorldWatchをご一読願いたい。そこには書かなかったのだが、筆者の勝手な仮説は「レオ14世は、前任者、前前任者とは違って、『ごく普通の枢機卿』だった」というものだ。カトリック教会は割れている、あの二人の後継者だからこそ、教会は「最も敵の少ない」「普通」の教皇が必要だったのではないか。
さて続いては、いつもの通り、欧米から見た今週の世界の動きを見ていこう。ここでは海外の各種ニュースレターが取り上げる外交内政イベントの中から興味深いものを筆者が勝手に選んでご紹介している。欧米の外交専門家たちの今週の関心イベントは次の通りだ。
6月3日 火曜日
伊首相、仏大統領と会談。同日別途、スロバキア首相とも会談韓国大統領選挙
6月4日 水曜日
トランプ鉄鋼アルミ関税が50%に
ベラルーシ大統領、訪中から帰国(3日間)
英独、ウクライナ防衛コンタクトグループ会合を主宰
6月5日 木曜日
独首相、訪米し米大統領と会談
ブルンディ、議会選挙
6月6日 金曜日
アルゼンチン大統領、イタリア訪問(2日間)
伊首相、欧州理事会議長と会談
6月7日 土曜日
仏大統領、モナコ訪問
最後にガザ・中東情勢について一言。先週は「今のイランは、米国以上に、『合意』を必要としている筈なのだから・・・」と書いたが、両国間の神経戦は今週も続いている。具体的には、6月2日の報道によれば、米国はイラン側に対し「新たなウラン濃縮施設の建設を認めず、濃縮に使う遠心分離機の新たな研究開発の中止を求める」ものの、「ウランの濃縮度については、平和利用にあたる3%にまで引き下げるなら、濃縮活動自体は限定的に認める」というやや柔軟な姿勢を5月31日に示したそうだ。
他方、その直後トランプ氏はSNSに「今後の合意ではいかなるウラン濃縮も認めない」と投稿、これに対しイラン側も「米提案に対し否定的な回答を用意している」と報じられた。イランにとっては、「米側提案に乗りたいところだが、濃縮率3%は絶対認められない」のだろうと思う。それでは核開発を(秘密裡には)続けられないからだ。
要するに落としどころはまだ見えない。この種の神経戦はまだまだ続くだろう。今週はこのくらいにしておこう。いつものとおり、この続きは今週のキヤノングローバル戦略研究所のウェブサイトに掲載する。
トップ写真:South Korea Holds Presidential Election
出典:Lee Jin-Man – Pool/GettyImages
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この記事を書いた人
宮家邦彦立命館大学 客員教授/外交政策研究所代表
1978年東大法卒、外務省入省。カイロ、バグダッド、ワシントン、北京にて大使館勤務。本省では、外務大臣秘書官、中東第二課長、中東第一課長、日米安保条約課長、中東局参事官などを歴任。
2005年退職。株式会社エー、オー、アイ代表取締役社長に就任。同時にAOI外交政策研究所(現・株式会社外交政策研究所)を設立。
2006年立命館大学客員教授。
2006-2007年安倍内閣「公邸連絡調整官」として首相夫人を補佐。
2009年4月よりキヤノングローバル戦略研究所研究主幹(外交安保)
言語:英語、中国語、アラビア語。
特技:サックス、ベースギター。
趣味:バンド活動。
各種メディアで評論活動。

