無料会員募集中
.国際  投稿日:2025/12/26

ウクライナ戦争の停戦はなぜ難しいのか(下)日本にとっての教訓とは


古森義久(ジャーナリスト/麗澤大学特別教授)

古森義久の内外透視

【まとめ】

・停戦は、ロシアが占拠したドンバス地方の領土問題で困難を極めている。

・日本は、戦争を通じて国際情勢の危険な現実と安易な平和主義の否定に覚醒した。

・自国を守るには軍事力での抵抗が不可欠との教訓から、国防強化の意識が高まった。

 では停戦の実現にはなにが必要なのか。

 2025年12月末までにアメリカが仲介しての停戦協議はかなりの前進をみせたような観がある。たとえば、ウクライナ側はロシアが嫌っていたNATOへの加盟を無期限に延期することに合意したという報道がある。逆にロシア側は停戦後のウクライナ領内にNATO側の平和維持部隊が駐留することに合意したとの報道もある。

 しかし最大の難関は領土の扱いである。

 その焦点はロシアが奪った形のドネツク、ルバンスク両州となる。ロシアの侵攻の開始以来、ウクライナ軍はこの両州を合わせたドンバス地方と呼ばれる地域で激しい攻勢に出た。そしてロシア側が制圧していた地域のかなりの部分を奪回した。ロシア側もまた必死に反撃して、一定地域を再奪回した。

 本来の国際規約では、このドンバス地方はウクライナ領土である。それがロシアに不当に占拠されていた。だから停戦となれば、この地域をウクライナ領土に戻すことが正当だろう。

 しかしロシアはその領土の確保や再奪回のために膨大な軍事力や将兵の命を投入してきた。

もしそのドンバス地方を停戦合意によって、すべて放棄するとなると、いったいなんのための戦争だったのか、膨大な人命と資源の犠牲だったのか、となる。プーチン大統領はウクライナ侵攻を支持した多数のロシア国民にその損失をどう説明したらよいのか、ということになる。

 トランプ大統領はこのへんの双方の主張をみすえて、ドンバス地方をロシア領でも、ウクライナ領でもない自由経済地区にするという提案を準備しているという報道もあった。だがいまの時点では確実なことは不明である。

 ではウクライナ戦争がこのドンバス地方の領土の扱いをめぐって、当事国同士の合意があくまで成立しない場合はどうなるのか。

 その展開は明白である。戦争の継続となる。その戦争の展望では、どうしてもロシアが有利になっていく。ロシアとウクライナと、本来の国力の差、軍事力インフラの違いではロシアの優位が明白だといえる。

ウクライナ側には米欧諸国の支援があるとはいえ、その支援も中期、長期の不安定要素が否定できない。一方、ロシア側にも中国という味方が存在する。そのうえ北朝鮮は実際に一万四千人ともされる戦闘集団をウクライナに送りこんでのロシアへの支援を実行している。

このへんにウクライナ戦争の和平への調停の最大の困難が存在するといえよう。ドンバス地方のような両軍が激しく争った地域のロシアへの帰属を認めた場合、明らかに不法、不当な侵略行動の果実を認めることになってしまう。

一方、ロシアからドンバス地方を完全に奪ってしまう場合、ロシアとしてはそんな譲歩は認められないとして戦争の継続を求める。結局は戦争での軍事的な勝敗で最終の結果を決めるという選択肢になりかねない。となると、ウクライナにとっての悲劇という予測図が浮かぶ。

 さて最後にこのウクライナ戦争がわが日本にどんな影響を与えたのかを考察しておこう。

結論を先に述べれば、国際情勢への衝撃的な覚醒、そして日本の安全保障への自己否定にも近い反省の教訓だといえよう。

 第一には国際情勢の危険な現実への目覚めのような認識である。核兵器を保有する軍事大国のロシアが武力の微少な隣の小国を正面から侵略する。そして殺戮と破壊をためらわない。

 こんな事態は日本のこれまでの多数派の国際認識の否定だといえよう。日本の憲法が前文でうたうように「平和を愛する諸国民の公正と信義」に頼れば自国の安全も世界の安定も得られるという認識がいかに現実離れしているかのいやというほどの証明だろう。

 この世界には相手が平和や友好を求めれば求めるほど軍事力で自国の野望を押しつけるという国家が存在するのだ。ロシアの蛮行は日本国民にもいまの世界の現実を冷徹にみせつけたといえよう。

 日本ではロシアのウクライナ侵略は文字通り、連日連夜、衝撃的なニュースとして報じられ続けた。その衝撃はこれまでの日本の多数派の「世界はアメリカ、中国、ロシアの力の均衡でそれなりに安定し、日本はとくに日米同盟で守られている」という安逸な国際認識を打ち砕いたといえよう。

第二には、自国の独立や安全を守るためには軍事力での抵抗が不可欠という場合があるという教訓である。ウクライナはロシア軍の侵略に対し決然と戦った。その闘争が自国の独立を保ち、国際的な支援をも獲得した。

 日本でもこのウクライナ国民の闘争への賞賛が高まった。その賞賛は日本の一部で根深かった「いかなる戦争も拒否」という無抵抗敗北志向を後退させた。朝日新聞が喧伝するような「自国を守るための自衛戦争でも人殺しだ」とする降伏主義がウクライナ国民の勇気ある戦いにくらべると、いかに堕落し、非人道的かの実証だった。自衛のための戦争までも否定すれば、残るのは侵略の相手への隷属である。

 日本ではこれまで「8月の平和主義」が目立っていた。毎年、原爆投下や敗戦の月の八月になると、「平和こそが最も大切」という標語の下、「いかなる戦争も否定」として事実上の降伏主義が唱えられてきた。自国を保つための防衛や抑止、反撃という概念も排されてきた。

 だがいまの日本では国防の強化、防衛費の増額、反撃能力の保持という正常な国家なら当然の安全保障策を唱える声が広まってきた。これもまたウクライナの教訓だろう。総括すればウクライナ紛争は日本国民の多くに正常な国家意識を呼び覚ませてくれたようなのだ。

(終わり。上、中)

トップ写真:米国ピート・ヘグセス国防長官と小泉慎二郎国防相

 東京、日本 – 2025年10月29日

出典:Takashi Aoyama/Getty Images




copyright2014-"ABE,Inc. 2014 All rights reserved.No reproduction or republication without written permission."