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.国際  投稿日:2026/4/21

ベトナム戦争からの半世紀 その53 国防省の引き渡し


執筆:古森義久(ジャーナリスト/麗澤大学特別教授)

古森義久の内外透視

■ 本稿のポイント

・1975年4月30日正午すぎ、筆者(毎日新聞サイゴン支局長)は南ベトナム国防省の建物前で、北ベトナム軍が同省を占拠する歴史的瞬間を目撃した。

・カモフラージュを施したソ連製モロトフ・トラックで到着した北軍将兵約100人超が国防省に突入、南軍の大佐ら高級将校は白旗を掲げて投降し、武器を差し出した。

・占拠完了後、国防省の屋根から南ベトナム政府国旗が引き降ろされ、南ベトナム臨時革命政府の三色旗が掲げられた。

1975年4月30日正午すぎ、サイゴン中心部の南ベトナム国防省前。毎日新聞サイゴン支局長だった筆者は、カモフラージュを施したトラックで到着した北ベトナム軍将兵が同省に突入し、黒縁眼鏡にちょび髭の南軍大佐らが武器を差し出して投降する光景を、偶然に近い距離で目撃した。長年の敵対関係の最終局面で交わされた引き渡しは、意外にも速やかに進行した。本記事は、ジャーナリスト・古森義久氏が半世紀前のサイゴン中心部の路上で記録した、南ベトナム軍事中枢崩壊の迫真のルポルタージュである。(Japan In-depth編集部)

 

■ 大統領官邸を目指して——ジアロン通りへ向かう

 4月30日の正午すぎ、南ベトナム側の究極の拠点である大統領官邸の状況をみようとまた市街中心部を進んだ。独立宮殿とも呼ばれる大統領官邸までは毎日新聞支局からは徒歩でも10分ほど、サイゴン市内の中心中の中枢部を抜けていく。

 朝からの雨はもうあがってしまった。ついさっきまで頻繁に響いていた銃砲声もすっかり減ってしまった。往還する市民の足取りも気の抜けたように緩やかになった。脱出をあきらめたという感じだった。だから街の表情も緊迫がとれたようだった。

 支局から大統領官邸までのちょうど中間あたりにサイゴン市役所の建物がある。だがその脇を抜けて大統領艦艇へと延びる道は鉄条網のバリケードがおかれ、通れなかった。仕方なく左に曲がり、側面から官邸に通じるパスツール通りはいつものように背の高いタマリンドの並木が暗い木陰をつくっていた。人影はなく気味の悪いほど静かだった。この通りが古めかしいジアロン通りと交差するところに南ベトナムの国防省がある。あまり大きくはない3階ほどのビルだが、参謀本部と同様に100万余りの軍隊を統括してきた軍事中枢だった。

 その国防省は私のアパートからほんの5,60メートルだったから、付近は見慣れた光景だった。国防省の入り口のコンクリートの歩哨所はふだんは完全武装の兵士たちが警備に立っていたが、いまは無人だった。その静寂を破って、草色のトラックがかなりのスピードで走ってきた。国防省の正門前にぴたりと停まった。

 トラックはまた1台、続いて1台、さらに1台と、どの車も葉のこんもりとついた木の枝を車体のあちことにくくりつけていた。カモフラージュ目的に擬装だった。ソ連製のモロトフ・トラックである。どのトラックにも荷台に草色の制服の北ベトナム軍将兵が乗っていて、敏捷に路上へと飛び降りる。みな国防省内へと駆けこんでいく。将兵の人数はあっというまに100人を超えていた。明らかに国防省の占拠の先遣隊だった。

 

■ 北ベトナム軍が国防省になだれ込んだ瞬間とは

 兵士たちの先頭の一段はすばやく国防省の内部へと走り込んでいった。みなAK47ライフルや軽機関銃を腰だめにして、引き金に指をかけた戦闘態勢だった。長年の敵の根拠地へと踏み込んでいくのだ。国防省の屋根にはなお黄色い地に赤の線3本の南ベトナム政府の国旗が掲げられていた。その政府は戦闘停止命令という形で降伏の意を表したが、なお一部の将兵はどう抵抗するかわからない。緊張の瞬間だった。

 だがこれまた歴史的な場面だった。ベトナム戦争の最終の最終時点で北ベトナム軍が南ベトナム軍の国防省本部を占拠するのだ。周囲には北軍将兵以外はだれもいなかった。この歴史的な光景を目撃する第三者は私だけのようなのだ。と、そこで別の心配に襲われた。

 敵の本拠地に突然、突入してきた北ベトナム軍の兵士にとって、正体不明とも映りかねない私に対して、どんな反応を示すだろうか。外国人記者としても、同じアジア人同士である。もしかして敵側の人間とみて、攻撃してはこないだろうか。そんな懸念に襲われたのだ。だから彼らの後ろについて国防省構内に入りながらも、カメラをことさらに構えて、写真を映す報道陣であることを誇示してみせた。しかもわざと、ゆっくりと歩いた。兵士たちの何人かと視線が合ったが、彼らは私を一瞥しただけで、とくに気にもしないようだった。そして注意を前方の国防省の建物に向けて、前進していく。私も一安心して、彼らの後について前進した。

 

■ 南軍大佐はどのように武器を差し出したのか

 北軍将兵は国防省の前庭ですばやく、しなやかな動きで展開した。機関銃をかついだ一群は正門の横の大きな木を背にして、あっというまに銃座を据えた。銃口を建物の正面に向け、ぴたりと向けた。将校らしい中年の指揮官が建物の内部に向けて、大声で叫ぶ。そこにいる人間はみな外に出てこいという指令だった。だれもがかたずを飲む数瞬間が過ぎた。すると暗い建物の内部から南ベトナム軍の将兵が5,6人、えいっと、思い切りをつけたような意外と早い足並みで現れた。うちの1人は小さな白旗を掲げていた。だがほぼ全員がなお腰に拳銃を吊っていた。ほんに小さな行き違いから双方の銃が火を噴いてもおかしくない緊迫の一瞬だった。

 しかし私はそんな危険をも忘れ、この劇的な投降場面に吸い込まれるように前へ、前へと進んだ。カメラのシャッターを押し続ける。北軍将兵とそれこそ肩を並べる近さに部外者の私が立っているのに、誰もとがめようとしない。北側将兵には民間人、さらには外国人のジャーナリストなどには丁重に対応するよう命令と規律が浸透していたのだろう。

 北軍の指揮官と兵士数人が南ベトナム側将校に近寄った。北軍の指揮官は腰から大型のビストルをさっと抜いて、真正面の南軍将校に突きつけた。その南軍の将校は黒縁の眼鏡をかけ、ちょび髭をはやした人物だった。黒い花をかたどった襟章が三つ、階級は大佐だった。高級将校である。大佐とそのすぐ後ろに並んだ将校たちはこわばった顔つきで持っていた武器をつぎつぎに差し出した。

 南軍将校団はアメリカ・スタイルの前つばのついたかっこうのよい戦闘帽、清潔な軍服、スマートな編み上げ靴、一方、北の人民軍将兵は汗と泥にまみれた草色の制服、だぶだぶのズボンにゴムのサンダル、さらに野暮ったいヘルメットと、すべてに対照的だった。南軍将兵は照れたような面はゆい表情で北軍兵士に直面していた。

 

■ 屋根に翻った三色旗——革命政府の占拠完了

 国防省引き渡しはてきぱきと進んだ。長年の敵同士とはいえ、もともとは同じベトナム人同士である。会話の進行は速い。ふとみあげると、建物の屋根に北軍兵士が1人、軽やかな身ごなしでもうよじ登っていた。そして黄色い地の南側の国旗を引き降ろし、三色の革命政府旗をするすると掲げた。南ベトナム国防省は完全に北ベトナム側に占拠されたのだった。

(つづく)

 

■ FAQ

Q1. サイゴン陥落とはいつ起きた出来事か?

A. 1975年4月30日、北ベトナム軍が南ベトナムの首都サイゴン(現ホーチミン市)を制圧し、南ベトナム政府が崩壊した出来事である。これにより1965年の米軍本格介入から続いたベトナム戦争は事実上終結した。

 

Q2. 南ベトナム臨時革命政府の三色旗とはどのような旗か?

A. 赤と青の地に黄色の五稜の星を描いた旗で、南ベトナム民族解放戦線および南ベトナム臨時革命政府の旗である。赤地に黄星の北ベトナム国旗とは区別され、サイゴン陥落後に各政府機関に掲げられた。

 

Q3. モロトフ・トラックとは何か?

A. ソ連製の軍用トラックの通称で、ベトナム戦争中に北ベトナム人民軍が輸送手段として多用した。本記事では、国防省突入時に北軍将兵が木の枝でカモフラージュを施したうえで使用していた。

 

Q4. AK47ライフルとはどのような武器か?

A. ソ連で開発された自動小銃で、1947年に制式化された。北ベトナム人民軍および南ベトナム解放戦線の主力個人装備として広く使用された。原稿では国防省に突入した北軍将兵の携行火器として登場する。

 

Q5. 南ベトナム国防省はどこに所在したか?

A. 原稿によれば、サイゴン中心部のパスツール通りとジアロン通りが交差する一角に位置する3階建ての建物で、約100万の南ベトナム軍を統括する軍事中枢だった。



■シリーズ紹介

本連載は、歴史の目撃者である古森義久氏による貴重なアーカイブです。過去の記事も併せて読むことで、サイゴン陥落に至るまでの緊迫した推移を知ることが出来ます。

 [連載「ベトナム戦争からの半世紀」バックナンバーはこちら]

ベトナム戦争からの半世紀 その52 正規軍の入城

ベトナム戦争からの半世紀 その51 北軍の最終戦略

ベトナム戦争からの半世紀 その50 革命ゲリラの登場——サイゴン陥落の日、私が目撃したもの



トップ写真:数人の将兵たちが直面しあっている写真。南ベトナム国防省の北軍による占拠の場面。(筆者撮影)




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