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.国際  投稿日:2026/4/30

ベトナム戦争から半世紀その56 勝者と敗者


執筆:古森義久(ジャーナリスト/麗澤大学特別教授)

古森義久の内外透視」1073回

本稿のポイント

・大統領官邸の裏庭では、勝者の北ベトナム軍将兵と敗者の南ベトナム側要員が同じ芝生の上に混在し、極めて対照的な光景が広がっていた。

 ・北側の報道班は「革命軍入城」の歴史的瞬間を演出、再現撮影しており、現実の歴史的事件と記録映像の乖離を筆者は間近で目撃した 。

・サイゴン陥落当日、毎日新聞サイゴン支局はUPIの特別回線を通じて、午後1時以降に海外へ発信された唯一のテレックスとして現場報告を東京へ届けることに成功した。

1975年4月30日、サイゴン陥落の日。大統領官邸の裏庭では勝者と敗者が同じ芝生の上に混在し、その対比はあまりに鮮烈だった。北側報道班による「歴史的瞬間」の演出撮影を目撃した筆者は、支局に戻り原稿を打ち始める。遮断されたテレックス回線、拳銃を置いて去った南ベトナム軍将校――混乱のさなか、毎日新聞サイゴン支局はいかにして陥落の報を東京へ届けたのか。(Japan In-depth編集部)

勝者と敗者はなぜ同じ芝生の上にいたのか

大統領官邸の建物の内部からいったん外に出て構内の裏庭に向かうと敗者の別の一群が目に就いた。大統領府の職員、ボディーガード、親衛隊員などが50人ほど芝生の上に固まって、坐らされていた。革命側の兵士が数人、銃を持って周囲に立ち、うちの1人が南側の要員に指示を与えていた。降伏した側は芝生に座って、膝を抱えこみ、茫然という表情だだった。

その少し離れた芝生の上には革命側の将兵の別の一群がヘルメットをぬいで、くつろいいだ感じで越をおろしていた。何人かは談笑し、笑い声まであげていた。外国人記者がカメラを向けると、兵士の何人かは立ち上がり、ポーズをとった。みな陽にやけた、たくましい顔を一瞬、やわらげてカメラをみる。まさに勝利のポーズだった。長年の苦しい闘争をついに勝ち抜いた勝者の喜びの表現としては当然だった。ただしそのすぐ近くの同じ芝生に座りこんだ南ベトナム側の将兵たちの茫然とした態度とはあまりに対照的だった。

北側報道班はなぜ「歴史的瞬間」を再現撮影したのか

大統領官邸の正面では北側の報道班による撮影が始まっていた。「革命軍入城、独立宮殿占拠」という歴史的な瞬間の再現だった。巨大なT54戦車がいったん官邸の外に出て、報道班がカメラを回すなかを鉄のゲートに向けて突進する。正門をぶち壊して内部に突入するわけだが、一度ではうまくいかず、再度の演出を試みる。

官邸の建物の正面でも、つい2時間ほど前の内部への突入のシーンが再現されていた。カメラが回るなかを革命旗を掲げた兵士たちが全力疾走で階段を駆け登る。暗い入口のなかへと第一陣の将兵が踊りこむ、これまた歴史的な光景の再現だった。この演出でできた写真や動画がすぐにハノイのベトナム通信や解放通信から全世界に流されたわけである。現実の歴史的な出来事はその記録を求める側の都合よくは展開してくれず、この種の演出がやはり欠かせないということだろう。

拳銃を置いて去った南ベトナム軍将校——敗戦とはどういうことか

私はこうした大統領官邸での目撃を記事にしてまとめるため、毎日新聞支局にまた戻った。するとこれまで軍事情報の提供で協力してくれた南ベトナム軍のガ少佐が支局に崩れ折れるように入ってきた。まだ軍服を着用していたが、憔悴しきった表情だった。

「もうすべてが終わりです」

ガ少佐はそうもらすと上着を脱ぎ、右手を左脇に差しこんで軍用の小型拳銃を取りだした。デスクの上にそれをどんと置いた。

「もうこれも要らなくなった・・・とにかく体を洗わせてください」

ガ少佐はそういえば泥まみれだった。そして洗面所に入り、長い時間、出てこなかった。

やがて軍服の上着を脱ぎ、上半身は下着だけになって出てきた彼はとにかくサイゴン市内の自宅に帰ると告げた。私は彼の手を握り、長期間の取材活動への協力への感謝の意を述べた。今後も連絡を保つことをも約束しあった。

サイゴン陥落当日、毎日新聞はいかにして東京へ記事を届けたのか

私は国防省や大統領官邸で目撃したことを記事に書く作業を始めた。毎日新聞の専用テレックスはすでに革命側により不通となったことをわかっていた。しかし万が一の場合を考え、記事をテレックスのテープに打ちこんでおくことにした。テープに記録すれば、それを機械にかけると、自動的に送信されるのだ。私はたったいま目撃したばかりの歴史的な展開を新聞記事にして、テープに打っていった。

するとまもなく先輩の升岡忠敏記者が支局に姿を表した。彼は前日、他の毎日新聞記者らとともに米軍ヘリコプターでの国外避難を試みたが、途中で考えを変えて、サイゴン残留を決めていた。陸軍士官学校出身、ベトナム戦争ではテト攻勢取材の経験を持つ升岡記者もサイゴン陥落という事態にはさすがに興奮の色をみせていた。だがさすがにべテ案記者だけあって、車もないのにすでにサイゴン市内を回って、かなりの取材をすませているようだった。ロック記者の通訳で革命軍の将兵とサイゴン市民との会話などを視聴してきたという。

「俺にも少し原稿を打たせてくれよ」

升岡さんは活気を感じさせる太い声で告げた。私は急いで自分の分の執筆を終え、テレックスを譲った。升岡記者はテレックス席に座るや否や、よどみのないスピードでキーを打ち、テープを作っていった。

私たちはその直後、このテープ原稿を同じビル内にあるUPI通信の支局に持っていった。それまでも毎日新聞の支局の私たちはUPIに送信を頼むことがよくあった。毎日新聞とアメリカの大手通信社のUPIとは本社間での提携があり、その種の協力関係があったのだ。この時点で毎日新聞サイゴン支局の専用テレックスは当局から停止を告げられていた。UPI支局の特別回線も同様に停止が言い渡されたと聞いていた。ところがこのUPIの香港につながる特別回線はこの日の夕方までに2回、どういうわけか、それぞれ短時間だったとはいえ、つながったというのだ。その交信ルートで升岡記者と私の記事もテープを機械に乗せることで毎日新聞東京本社に届いたのだった。

後にこのサイゴン陥落の4月30日の午後1時以降に海外へと発信されたテレックス通信はこのUPI発信だけだったと聞いた。なぜそんなことが起きたのか。機械の気まぐれか、通信担当の職員の意図的な発信か、その理由はわからなかった。だが結果として升岡記者と私の記事はサイゴン陥落と占拠のホットな描写を東京へ届けることに成功したのである。紙面上のインパクトは大きかったと自負しても許されるだろう。

(つづく)

【よくある質問(FAQ)】

Q1:UPI通信とはどのような組織か?
A:United Press Internationalの略で、アメリカの大手通信社です。AP通信と並ぶ世界的な報道機関として、20世紀を通じて国際ニュースの配信を担いました。各国のメディアと提携関係を結び、現地支局のネットワークを通じて世界中にニュースを配信していました。

Q2:テレックスとはどのような通信手段か?
A:電話回線を使って文字情報を送受信する通信システムで、20世紀中盤から後半にかけて報道機関や企業で広く使われました。送信内容をテープに記録しておけば自動送信が可能で、インターネット普及以前の国際報道において不可欠なインフラでした。

Q3:T54戦車とはどのような兵器か?
A:ソビエト連邦が開発した主力戦車で、北ベトナム軍の主要装備の一つでした。サイゴン陥落の象徴的な場面として、このT54戦車が大統領官邸の正門を突き破る映像は世界中に配信され、ベトナム戦争終結を告げる歴史的映像として広く知られています。

Q4:テト攻勢とは何か?
A:1968年1月、北ベトナム軍と南ベトナム解放民族戦線がベトナム全土で同時多発的に展開した大規模攻勢です。旧正月(テト)の休戦期間中に行われたことで世界に衝撃を与えました。軍事的には撃退されましたが、アメリカ国内の反戦世論を大きく高め、戦争の転換点となりました。

(本稿のポイント、リード、中見出し、FAQの文責:Japan In-depth編集部)

■シリーズ

本連載は、歴史の目撃者である古森義久氏による貴重なアーカイブです。過去の記事も併せて読むことで、サイゴン陥落に至るまでの緊迫した推移を知ることが出来ます。

▶️連載「ベトナム戦争からの半世紀」バックナンバーはこちら]

写真)多数の人間が集まっている写真。戦闘を停止して、軍服を脱ぎ捨てる南ベトナム軍の将兵たち。
出典)筆者提供




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