放置される内部報告書と消滅する組織知——JAXAに必要な「CHRO」と国家戦略【後編】
執筆:中川真知子(ライター/インタビュアー)
中川真知子のシネマ進行
【本稿のポイント】
・JAXAの要員計画には突発的な不具合対応や事故調査といった「エキストラワーク」が織り込まれておらず、現場は1人で1.5〜2人分の負荷を抱えている。
・業界で最も不足しているのはプロジェクトマネージャーとバックオフィス人材で、ここを軽視した宇宙ベンチャーは資金繰りで行き詰まる。
・2024年4月のJAXAマネジメント改革検討委員会報告書と「現場からの21の提言」は、その後の改善が見えないまま放置されている。
日本の宇宙開発を足元から崩しかねないのは、技術ではなく人の問題だ。JAXAの現場は1人で1.5〜2人分の業務を抱え、2024年4月の内部報告書と「現場からの21の提言」はその後の改善が見えないまま。宇宙ベンチャーもバックオフィス人材の不足で破綻のリスクを抱える。宇宙開発の人材育成に詳しい寺薗淳也氏に、中川真知子氏が処方箋を聞いた。
前編では、元JAXA広報で現在は宇宙開発に活動する寺薗淳也氏に話を伺い、宇宙ビジネスの急速な拡大の影で進む求人要件の過大化、初代「はやぶさ」美談に隠されたやりがい搾取、そしてJAXAを襲う3年・5年任期制と若手流出の危機について伺った。
後編では、過重労働と多重兼務に喘ぐ現場を逆なでしたJAXA本部の「1+1は2以上」精神論通達の真実、絶望的なPM(プロジェクトマネージャー)およびバックオフィス不足と会計ルールの罠、さらに放置されているJAXA内部報告書(21の提言)の実態と、それを打破する「CHRO(最高人事責任者)」設置および「宇宙マイスター制度」の提言へと深く切り込んでいく
■「1+1は2以上」——過重兼務で限界の現場を逆なでした精神論通達
中川:前編では、トラブル対応や事故原因究明といった「エキストラワーク」が現場を圧迫している実態について伺いました。実際の現場ではどのような過重負担が生じているのでしょうか。
寺薗:宇宙研(旧宇宙科学研究所)の教授陣やトップ研究者を例にとっても、本来の研究開発ではなく連日の会議や書類作業に追われ、新しいアイデアを具現化できない本末転倒な状況が生じています。そこへさらに、突発的なロケットや衛星の不具合対応、事故調査、広報や講演依頼といった「エキストラワーク」が本来業務の上に際限なく乗っかってくるのです。
しかし、JAXAの要員計画(人員配置)では「本来業務」の枠しか計算されておらず、こうした突発的業務のための人員は最初から考慮されていません。結果として、1人の職員が何重もの業務を兼務せざるを得ず、現場はすでに1人で1.5人分から2人分の負荷を抱えて限界に達しています。
中川:そんなことになっていたのですね。
寺薗:現場が兼務と過重労働で心身ともに参っていたさなか、JAXA本部から「1+1が2以上になるように」という相乗効果を求めるような通達が出されました。この「1+1は2以上(あるいは3以上)」というフレーズは、元々は統合や組織連携の成果を誇示するスローガンとして使われてきたものですが、現場からすれば「すでに1人で1.5〜2人分働かされているのに、追加の人員も予算も出さずにこれ以上どうしろというのか」という話です。現場の悲鳴を完全に見落とした実質的な精神論・やりがい搾取であり、現場の憤りが爆発したのは当然と言えます。
中川:私自身、かつて身を置いたアニメ業界の構造と非常に酷似していると感じます。政府やメディアは「アニメは日本の誇りだ、クールジャパンだ」と他国に自慢したり成果をいいとこ取りしたりするのに、普段は十分な予算も人員も投じず、現場の努力に甘えるだけ甘えて、ひとたび失敗すると激しく叩きます。自慢するなら、国はしっかりとお金と人を投入して現場を守るべきです。クールジャパンだって、結局失敗し、アニメ産業の構造はほとんど改善されずに終わりました。
寺薗:まったく同感です。JAXA上層部の根底には、かつてH2ロケット6号機の打ち上げ失敗時に「1,100億円が水の泡になった」と過剰にメディアや社会から叩かれたトラウマが強く染み付いています。そのため失敗を恐れるあまり、事なかれ主義で保身的な組織風土を強めてしまった背景もあります。国も組織も、現場へのリソース投入なしに成果だけを求める構造を根本から改めなければなりません。
■「PM」と「バックオフィス」の絶望的不足——宇宙ベンチャーを倒産に導く会計の罠
中川:業界全体で見渡したとき、今最も不足しており、ボトルネックになっている職種やポジションはどこなのでしょうか。
寺薗:一番は「プロジェクトマネージャー(PM)」と「バックオフィス(法務・会計・広報)」です。特に宇宙ベンチャーにおいて、このバックオフィス不足は今後致命的な問題になってきます。
国の「宇宙戦略基金」などの受託金を扱う場合、民間ビジネスとは比べものにならないほど厳格な会計処理と証明資料が求められます。年度末の一括精算ルールや、飛行機の搭乗半券の全保管に至るまで、極めて煩雑な手続きが必要になるのです。ここを甘く見ているベンチャーは、資金繰りやガバナンスで足元をすくわれ倒産してしまう。小型ロケット開発を目指したスペースウォーカーの破たん事例などが典型です。
中川:バックオフィス業務といっても、そんなに複雑で独特だとすると、他業界からの転職も難しそうですね。
寺薗:そうですね。バックオフィスに限らず、JAXAには専門用語や独自の前提概念という「言葉の壁」が存在します。それらを丁寧に教えるOJTや教育プログラムが存在しないため、一人一人の認識にズレが生じてしまう。
PMの役割は全員の認識を揃えて「1+1を3以上」にすることですが、適切なPM教育がないため、年功序列で選ばれたPMが自身もプレイヤーとして走ってしまう「プレイングマネージャー化」を起こし、結果として開発の細部で重大なスペック違いやトラブルを誘発しています。大手企業のような厳格な「PM研修・資格認定制度」の導入が不可欠です。
■ 放置されたJAXA「内部報告書」——現場からの21の提言と失われた信頼
中川:JAXA内部でも、こうした組織の病理や人手不足の危機について議論はなされてこなかったのでしょうか。
寺薗:実は、H3ロケット初号機失敗や古川聡飛行士の研究不正等を契機に作成された『JAXAマネジメント改革検討委員会報告書(2024年4月)』が存在します。社内SNSなどを通じて約600名・1,700件以上の意見が集められ、有志によって「現場からの21の提言」がまとめられました。
そこには「言ったもん負けの風土」「新規プロジェクトを立ち上げる人ばかり評価され、地道なサポート役が評価されない」「上意下達で異論が言えない」「手戻りコストの増大と人員不足の悪循環」といった現場の悲鳴が驚くほど赤裸々に刻まれています。
中川:私自身もその報告書を読みましたが、組織の存続をかけた必死の訴えだと感じました。その後、報告書を踏まえて改善されたのでしょうか。
寺薗:悲しいことに、報告書が出された後、具体的に組織がどう改善されたのかが見えてきません。リスクを背負って声をあげた現場の提言が事実上放置され、居酒屋の愚痴レベルで処理されてしまっている。これでは現場の士気が下がり、JAXAへの失望が広がるのも当然です。
■ JAXAへの「CHRO」設置と「宇宙マイスター制度」の創設へ
中川:私自身、宇宙産業こそが日本の経済発展において絶対に欠かせない重要産業だと確信しています。だからこそ、この人手不足問題で日本の宇宙開発が失速してしまうことを強く懸念しています。この危機を打開する具体的な処方箋はあるのでしょうか。
寺薗:日本の宇宙開発には、世界190カ国の中で自前で宇宙へのアクセス権を持つわずか6カ国(地域)の一つという圧倒的な強みがあります。特に東側と南側が海に開けた射場環境は、アメリカや中国すら羨む絶大な地理的優位性です。このポテンシャルを潰さないための処方箋は2つあると考えています。
ひとつが、JAXA内部に従来の事務的な人事部とは別に、人財能力開発を経営課題として担う「人材開発部」を新設し、トップに経営権限を持つ「CHRO(最高人事責任者)」を任命することです。単なる3年ローテーションの管理をやめ、長期的な人的資本経営にシフトしなければなりません。
次が、国家レベルで実務的な「宇宙職業教育機関(宇宙マイスター制度)」を創設することです。後述する「宇宙スキル標準」をベースに、ベテランのノウハウを体系的に若手や他業界からの転職者へ継承する仕組みを作ります。単にお金を投じるだけでなく、人を育てる「人的資本」に本気で投資することこそが、日本の宇宙産業を救う唯一の道です。
国(内閣府)も宇宙開発を担う人材の不足は理解しているようで、今年(2026年)2月に、宇宙開発を担う人材に必要とされるスキルをまとめた「宇宙スキル標準」をまとめています。これに基づいた人材育成が今後始まっていけば、人材不足についてもある程度の光明がみえるのではないかと私としては期待しています。
ただ、これまで30年放置されてきた宇宙開発の人材育成を考えると、国頼みではない、現場からの人材育成の試みも育てていくことが必要なのではないでしょうか。
以前、筆者は宇宙産業の取材でスイスを訪れました。ESA(欧州宇宙機関)の加盟国であるスイスは、小国だからこそ技術力で勝負しようと、国を挙げて宇宙ビジネスを盛り上げていました。現地では、JAXAを持つ日本への羨望や、ロケットの打ち上げに適した日本の地理的優位性について、何度も耳にしました。海外からはこれほど評価されているのに、その価値は日本国内では十分に知られていない。そのことに、ずっともどかしさを感じていました。
今回、寺薗氏に話を伺い、その強みを生かすはずの「人」が、組織の構造によってすり減らされている現実を知りました。任期制や過重な兼務、人を育てる仕組みの欠如はJAXAだけの問題ではありません。盛り上がりを見せる宇宙ベンチャーでさえ、バックオフィス人材の不足によって破綻のリスクを抱えています。
世界が羨む土台があっても、それを支える人への投資を怠れば、日本の宇宙開発は足元から崩れかねません。現場から上がった21の提言を、二度と放置させてはならない。取材を終え、そう強く感じています。
【よくある質問(FAQ)】
Q1. JAXAのマネジメント改革検討委員会報告書は、どこで読めるのか?
- JAXAが2024年4月23日に文部科学省の宇宙開発利用部会(第86回)で報告し、同日サイトで公開した。本文で触れられている「現場からの21の提言」は、報告書の付録に収められている。報告書は ガバナンス、人、組織、技術、航空宇宙産業基盤の5分野に課題を整理し、41のアクションプランを示している(JAXAの公表ページ、報告書本文)。
Q2. 内閣府の「宇宙スキル標準」には何が載っているのか?
- 宇宙産業の職種一覧、職種ごとの業務、必要とされるスキル、スキルレベルの判定基準、参考となる教育プログラム、キャリアパスの事例が整理されている。決定版は2026年2月作成で、スキルデータベース(Excel)や取扱説明書、英語版も公開されている(内閣府「宇宙スキル標準について」)。
Q3. 本文に出てくる「宇宙戦略基金」とは、どんな制度なのか?
- JAXAに設けられた総額1兆円規模の基金で、輸送・衛星・探査の3分野の技術開発を最大10年にわたって支援する。スタートアップや民間企業、大学などが対象となる(JAXA「宇宙戦略基金について」)。
(本稿のポイント、リード、FAQの文責:Japan In-depth編集部)
トップ写真: 種子島宇宙センターの打ち上げ台から、打ち上げられる日本のH2Aロケット 日本・種子島 2007年2月24日
出典:Photo by Japan Aerospace Exploration Agency/Getty Images
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この記事を書いた人
中川真知子ライター・インタビュアー
1981年生まれ。神奈川県出身。アメリカ留学中に映画学を学んだのち、アメリカ/日本/オーストラリアの映画制作スタジオにてプロデューサーアシスタントやプロダクションコーディネーターを経験。2007年より翻訳家/ライターとしてオーストラリア、アメリカ、マレーシアを拠点に活動し、2018年に帰国。映画を通して社会の流れを読み取るコラムを得意とする。

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