《中国の反日教育の実態》その9 政治が動かす歴史の内容
執筆:古森義久(ジャーナリスト/麗澤大学特別教授)
「古森義久の内外透視」1116回
【本稿のポイント】
・1980年版の中国の中学歴史教科書に「南京大虐殺」の項目はなく、南京事件の記述は150数文字にとどまっていた。
・1992年以降の版では記述が520文字以上に増え、「南京大虐殺」の項目が新設され、90年代には挿絵も加わった。
・筆者は、この変化を江沢民共産党総書記の指導部発足とほぼ重なる時期の、史実の新発見によらない政治判断の産物と分析する。
中国の歴史教科書における「南京大虐殺」の教え方は、1980年代から90年代にかけて大きく変わった。1980年版には「南京大虐殺」という項目がなく南京の記述は150数文字だったが、1992年以降の版では520文字以上に増え、挿絵も加わった。ジャーナリストの古森義久氏は、史実の新発見ではなく政治判断による変更だと指摘する。本稿ではその変遷を教科書の記述からたどる。
中国の歴史教科書ではその主題となる「南京大虐殺」は以前から一貫していまと同じように教えられてきたのだろうか。この問いへの答えは「ノー」である。
その教え方の歴史をさかのぼると、なんとも意味ありげな変遷が浮かびあがる。
1980年版の中学生用歴史教科書「中国歴史第四巻」の記述をまずみよう。このときの教科書には「南京大虐殺」という項目も章もなかった。南京についての記述は日本軍の行動全体に関する記述のなかに次のようにおさめられていた。
「日本侵略軍のおもむくところどこでも、焼く、殺す、犯す、奪う、ということが行われ、残虐をきわめた。数えきれない市や村が廃墟となった。無数の中国人民が殺された。日本軍は南京を占領すると、狂ったように大虐殺を行った。
南京の平和的な住民のうち、ある人は射撃の標的にされ、ある人は銃剣の的にされ、ある人は油をかけられて火をつけられ、焼け死にとなり、またある人たちは生き埋めにされ、ある人たちは内蔵をえぐりとられた。1ヵ月ちょっとの間に殺害された人は30万人を下らなかった。
焼かれた建物は3分の1に達した。当時、南京市内には死体や骨が道路に並び、瓦礫は山となり、ぶきみな風が吹き、人間の地獄となった。敵の極悪残虐は全国中国人民の大きな怒りを呼んだ」
南京での出来事については以上の記述がすべてだった。この記述の最大の特徴は「南京大虐殺」という言葉がなかった点だといえる。日本軍が南京で大規模な虐殺をしたという記述こそあるが、その行為を歴史的な大事件と位置づけ、はっきりと「南京大虐殺」という標語のようにする習慣はなかったのだ。その後に定着した「南京大虐殺」という歴史的用語は1980年には中国の歴史教育のなかには存在しなかったのである。
◆1980年版の中国の歴史教科書は南京事件にどれだけ紙幅を割いていたのか?
その1980年の時点での歴史教科書での南京事件についての記述は150数文字に過ぎなかった。だが1992年以降の教科書ではそれが520文字以上へと増えていったのだ。
1980年版では日本軍の暴行と南京事件とをあわせてB4版教科書の1ページの3分の1足らずの分量だった。しかし1992年以降の版では南京の記述だけで大型A4版のほぼ1ページ全体となった。しかもそこに初めて「南京大虐殺」という項目が独立して新設されていたのだ。
92年版ではさらに80年版にはまったくなかった「陥落地区での日本侵略者の残虐な統治」という章が新たに設けられ、6ページものスペースが与えられた。80年版では南京での虐殺といっしょにすませていた日本軍の暴行一般を南京から分離して、拡大したわけだ。
◆1992年以降、中国の教科書は非難の対象をどう変えたのか?
記述の内容で目立つ変更は80年版では南京攻略などの主体が「日本侵略軍」となっていたのが、92年以降は「日本侵略者」という表現に変わった点である。非難の対象が単に日本軍から日本側の一般も含める日本全体へと広がったとみてよいだろう。
さらに顕著なのはビジュアル効果の変化だった。80年版では日本軍の暴行と南京での殺戮を合わせた短い記述には挿絵も写真もなにもついていなかった。グラフィックの教材はなかったのだ。
ところが90年代にはそれががらりと変わってしまった。たとえば95年版にはすでにこの連載で紹介した「南京で人を殺した後、刀の血をぬぐう日本軍」という説明がついた、なまなましい挿絵が2枚ついていた。95年版の南京事件とは別個の「陥落地区での日本侵略者の残虐な統治」という章の計6ページにはさらに8枚の同種の挿絵が載っていた。いずれも挿絵であって、写真ではない。教科書を使う中国の青少年へのビジュアルなアピールなのである。
◆中国は1990年代前半に南京大虐殺の教育をどう変える決定を下したのか?
こうした変化をみると、1980年代の後半から90年代の前半にかけて、中国側では明らかに「南京大虐殺」をクローズアップし、プレーアップして、生徒たちの視覚に強く訴え、日本の侵略への激しい怒りや憎しみをあおるという新しい政治教育の決定が下されたようである。
この時期は江沢民共産党総書記下の指導部の統治スタートとほぼ一致する。
この教え方の変わりようは、歴史の出来事になにか新しい発見があったとか、新しい解釈が生まれたというような結果ではないことは明白である。中国当局が認識する史実はそのまま同じなのに、記述の分量、強調の方法、提示の手法が著しく変わったというのは、やはり政治判断の産物であろう。
◆南京大虐殺の教え方が変わったのは何によるのか?
政治による歴史の教え方の変更なのだ。政治によって露骨かつ大幅に動かされるのが中国の歴史の教育なのである。その教育は中国一般の歴史の認識として国民に押しつけられることともなる。そうした中国側の政治判断に立脚する「歴史認識」を政治体制のまったく異なる日本が共有すべきだという主張がどれだけ現実から離れているかは明白である。
このあたりの実態は中国の歴史教科書の内容を時系列的にたどることによっても、さらに明確となる。
◆1982年版の教科書は1980年版とどう違うのか?
1982年版の教科書では南京事件は1980年版と同様に扱われている。少ない記述の分量も、日本軍の暴行一般の記述といっしょにする見出しのない扱いも、80年版とまったく同じなのだ。
ただひとつだけ違うのは犠牲者の数についての記述だった。80年版では「1ヵ月ちょっとの間に、殺害された人は30万人を下らなかった」とあった。だが82年版では「ある調査によれば、殺害された人は30数万にのぼる」と記されていた。わずか2年の間に、犠牲者の数の記述が微妙ながらも「30万人を下らない」から「30数万人にのぼる」と変わっているのだ。
数字の根拠についてもまったく曖昧なままだった。殺害の期間も「1ヵ月ちょっとの間に」という大ざっぱな表現であり、2年後の版では期間を特定もしていなかった。中国当局がそのころは「南京大虐殺」の教えにそれほど熱意をこめていなかったことの現れだろう。
◆1992年以降の教科書は犠牲者数の根拠をどう示したのか?
ところが前述のように1992年版以降の中学教科書では、「極東国際軍事裁判によれば、日本軍は南京占領後の6週間以内に武器を持たない中国の国民30万以上を虐殺した」と、一応の根拠を示し、より具体的で、明確な記述となった。教育指導でも「生徒に大虐殺の時間的経過と殺された人数を覚えさせよ」と指示するまでに変わっていったわけである。
(その10につづく)
【よくある質問(FAQ)】
Q1. 南京事件について、日本政府はどのような見解を示していますか?
A1. 日本政府は、日本軍の南京入城(1937年)後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています。被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難との立場です(外務省「歴史問題Q&A」問6)。
Q2. 極東国際軍事裁判(東京裁判)とは何ですか?
A2. 戦後、連合国が日本の重大戦争犯罪人を裁くために設置した裁判です。1946年5月3日に開廷し、1948年11月12日に刑が宣告されました。28名が起訴され、病死または免訴となった者を除く25名が有罪判決を受けています(外務省「歴史問題Q&A」問7、同「極東国際軍事裁判(「東京裁判」)について」)。
Q3. 日中歴史共同研究とは何ですか?
A3. 2006年10月の日中首脳会談で立ち上げが一致した、日中の有識者による歴史共同研究です。双方が10名ずつの委員で委員会を組み、2010年1月31日に第1期の報告書(両国委員の自国語論文)が発表されました。報告書の序は、各論文が体現しているのは執筆者本人の認識であり、双方が同意した共通認識ではないと明記しています(外務省「日中歴史共同研究(概要)」、報告書「目次・序」)。
(本稿のポイント、リード、FAQの文責:Japan In-depth編集部)
トップ写真:清明節を迎え、南京大虐殺の犠牲者を追悼する中国の人々 中国・南京 2010年4月4日
出典:Photo by China Photos/Getty Images
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この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授
産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。

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